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便所の落書きを読むのが好きだった

俺氏はかつて女子中学生だったころMEMORIZE(当時はブログという言葉もまだなくて「レンタル日記サイト」だった)で、細々と日常をしたためておりました。その後、MEMORIZEのサービス終了に伴ってJUGEMという無料ブログサイトに移行してまたしても細々とブログを書いたり消したり書いたり辞めたりそしてまた書いたりしておりました。
MEMORIZEはさすがにログが残っていないので見れない(見れなくて良かったよ)のですが、JUGEMは今もアカウントがあるのでたまに読み返しては、結構おもろいじゃんと呟いたりなどしております。(ナルシシズム)

この度はもうめんどいのでJUGEMのアカウントは削除しちゃおうかと思っており、でも過去のブログが全部消えちゃうのはなんだか惜しいので自分なりによくかけたなと思えるものをインポート&ペースト

MEMORIZEってレイアウトの自由度が高くてサイト作ってるみたいで楽しかったな…

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日記
inmni

2019/01/17 00:34:48

5:30アラーム鳴る。睡魔に粘られ6:00起床。出勤は気が重い。運転はとかく眠い。8:00~10:00仕事、得るものなし。12:00~19:00仕事、8割ウンコ系。もしも私が50分おきに給茶室に行って嫌いな上司のことを陰でウンコと呼んでいる事務員ならウンコ系仕事=上司絡みだけど、今日は他人のウンコ、つまり人糞を取り扱う仕事だったということです。どんな仕事なのかと聞かれることがあるけど、私もよく分かっていない。まあまあ疲れる時もあるけど手を叩いて大声で笑うときもあったりして、なんとか勤めることができている。20:00帰宅してすぐに回した洗濯機が回り終わるのを見届けて空虚(Youtube)を見つめていたら日付けが変わっていた。さっさと洗濯物を干して寝たい。明日も何かしらをして生きる予定がある。


ハッピ現象
inmni

2019/01/17 17:43:39

数日前から部屋を暗くしているときに限って壁の隅から不定期にパチ、パチ、と音が鳴っている。この音はどこかで聞いたことがある。お祭りでハズレくじを引いた時なんかでもらえる巻きつけるブレスレット(なんなのアレ)をピンと伸ばすときのパチ、だ。私はこのアイテムのパチ、がかなり好きだった。壁の音がもしも見えない何者かの仕業だったとしても、懐かしい玩具を思い出せたことはかなりラッキーである。ただ近いうち私に、顔つきが変わった・やたらと神を侮辱する・卑猥な単語を叫ぶ・突然高笑いする、などの行動が見られたときは何も言わずにクレイジーソルトをぶっかけてほしい。(クレイジーソルト美味しい)


タイトルを入力してください
inmni

2019/01/20 20:06:55

仕事でスケート場に行き10周ぐらい滑った。十数年ぶりにスケート靴を履いたけれど、思い出すことは何もなかった。下半身中の筋肉の繊維がきっと千切れている。成人女性の付き添いでスケート場に行ったはずが、入場受付の男性はこちらを見て「お母さんは付き添いですネ」と言った。がびーん。しかし時間が経って思い返してみると、もし彼の目にお母さんっぽく映っていたならそれはそれで悪くないような気もした。
スタジオで喃語の練習のはずがメンバーが揃わず、急遽個人練習となる。個人練習に夢中になりながら婆さんになって訳が分からなくなっても八分休符や7度の響きを忘れないように、と思っていたことも忘れて一日中食堂にいて窓を見つめて座っている。味の薄い食事と週にたった2回の入浴を心待ちにしている。面会は誰も来ない。


Man In The Mirror
inmni

2019/01/22 22:31:58

便所の落書きを読むのが好きだった。なので、喃語のライブ告知をします。2019年1月26日(土)@新宿Motion曇ヶ原企画「Radical Progressive Hour」開場18:00/開演18:302,400円(+1Drink)小仏(山梨)喃語(札幌)※19:25~演奏予定CompactClub(東京)曇ヶ原(東京) 予約はinfo@naaango.com又はTwitter@inmni までリプライやDMブログへのコメントでも大丈夫です。変拍子・プログレのバンドがたくさん出るようですのであなたなりのプログレッシブを携えて喃語を感じてください。
公開中の「こんな夜更けにバナナかよ」という映画を2度も見た。1度目は先輩から頂いた前売り券で、2度目は障がい者の介助者として。どんな映画でも無料で2度も見れるなんてラッキー!福祉のことや90年代の障がい者の自立生活がすごくよく分かる映画だった。本当にポップに仕上がってて、水戸黄門ぐらい裏切らないストーリー展開。しかし24時間テレビのような感動ポルノ的な気色悪い演出はなく、見やすい。大泉洋の演技がとにかくリアルで素晴らしかった!高畑充希がラッコの赤ちゃんみたいだなぁと4.5回思った。ラッコの赤ちゃんなんて見たことないのだが…。私は仕事で障がい者の介助をしていてたまたま見る機会があったけれども、そうでなければ絶対に見てなかったと思う。障がい者の生活なんて自分には関係ないぜ!と思う人は多いだろうけど、交通事故で身体が動かせなくなったときや年老いて身体が1人では暮らしていけなくなったとき、そういう誰にでもある未来のために福祉があるわけでそれらの社会保障は税金から支払われているわけで本当に無関係と言い切れるのかどうかは手前で考えてください。


星になれた
inmni

2019/01/31 01:25:28

ネガティブなことは書くまいと思っていたら何も書くことがなくなり1週間が経っていた。今日はスケジュール帳に3つ、予定を書き込んだ。結婚式、結婚式、結婚式。そのうち1つは呼ばれていない。大好きな友人が少し会わないうちにいつのまにか恋人が出来て結婚して家を建てていたのだ。(もしかして友達だと思ってるの私だけですか?)しかも挙式は親族だけでやる、というので無理やり日程を聞いて勝手に祝うことにしたのだ。
30歳を目前に控えて結婚が立て続くという話は何度となく聞いているけど、本当にそうなんだ。友人から定期的に届く結婚だとか出産だとかの話題で自分の年頃を自覚する。でもすぐ忘れる。地元に帰って近所のおばさんたちに「女は子どもを産んだ方がいい」とか言われて、へえそうですか、と思う。でもすぐ忘れる。焦ったり思い詰めたり、ちゃんとしなきゃいけないのかもと考える。でもやっぱりすぐ忘れる。バカを繰り返してもいつかはちゃんと塵になるし、塵になれたらハッピーじゃん。


正義の爺
inmni

2019/02/13 19:30:00

出勤のためバス停に並んでいた。すでに3人ぐらいが1列で並んでいたので、その後ろについた。しばらくして私の後ろに行列ができた。するとどこからか突然おじさんが現れ、ただ無心に並んでいた我々に向かって話し始めた。おじさんは不満や怒りという感じの表情をしている。なんだろうと思いイヤホンを外してみると「2列に並べ!」と一人一人の肩を叩き整列させているのだった。私も肩を叩かれ、おじさんの指示された通りに並び直した。並ばされた人たちはおじさんを怪訝そうに見つめ、バス停は一気に不満でいっぱいになった。(ところで不満でいっぱいって熟語にすると満不満?まんふまん…)みな言葉にはしないものの"異常者現る"という共通の認識でその気まずい空間をやり過ごしていた。私はふとバス停の貼り紙を確認する。”混み合いますので2列で並んで下さい。”と赤文字で書かれている。しかも二重下線まで引いてある。おじさんは間違ってなんかいない。ただしっかりとルールを遵守しようとしただけのおじさんは、ルールを把握すらしていない多くの人たちの暗黙の共通認識によって異常者となった。バスが到着し次々と乗り込んで座席を埋めていった。おじさんの隣だけが、空いていた。


よなよな
inmni

2019/02/27 01:22:25

便所の落書きを読むのが好きだった。ライブの告知です。3/3(日)@札幌JAMUSICA「Jimanica × 喃語 × chikyunokiki 」前売¥2,500 当日¥3,000 学生¥2,000(+1D)開場 19:00/開演 19:30予約は info@naaango.com までお気軽に…。このブログにコメントくれても良いです。この世では意思を表明することが、大切なのです。
2月24日、大阪でのライブが終わり、打ち上げでしこたまアルコールを摂取したのち深夜3時ごろに金龍ラーメンを食べた。大阪の人みんなが金龍ラーメンを食べるならもう2杯は飲まないと!とか言うので震えながら食べたそれはまさに、ライブが終わって打ち上げでしこたまアルコールを摂取したのち深夜3時ごろに食べたいラーメンという味で良かった。旨味の全くしないやけに辛いだけのキムチになんとも言えない愛着を感じながら店を出て、始発を待った。始発までの時間で、道頓堀川を初めて見た。こんなに煌々とそしてくっきりとまるで写真のように水面にビル群が映し出されていた。こんな光景はきっとうっすらと油の膜が張ったこの川でしか見られないだろう。おそらくこの川の一番美しい姿を私は見たのだと思う。実際はどうか知らないがまあそういうことにしておくと、つまり良い夜だったのである。深夜には良かったラーメンと川も、昼間にきたら同じようにはきっと思えない。知らなくても良い真実がこの世にはある。ライブを見た人が、格好良かったと言ってくれた。物販も存外に売れていった。見に来てくれた方から頂いた、新酒のにごり酒が大変に美味しかった。多謝。


それぞれのちんぽ
inmni

2019/03/24 22:58:46

待ちに待っていたドラマ版の『夫のちんぽが入らない』が配信され、私はちんぽ配信をきっかけにずるずると悩み続けていたNetflixにようやく加入することができた。『夫のちんぽが入らない』を知ったのは、小説が発売になる数日前のことだった。Twitterで話題になっていたし、何よりタイトルが気になる。公開されていた無料サンプルを読み始めて、すぐ購入を決意した。シンプルでユーモアがある、私がとても好きな文章だった。まもなく発売日に本屋に駆けつけ、新刊の棚からなんとか自力で見つけ出し、購入した。夢中になり読んでいたらいつのまにか朝を迎えていた。痛いぐらい真剣に問題を抱えて生きてきたことが、淡々と軽快に、書いてあった。その軽快さが、事態をより深刻に一層苦しく感じさせた。ときに声を出して笑い、ときに泣きながら読んだ。本気で悩んでいることを人には話せないし、肝心なことほど人には伝えられない。まさに当時、私は到底誰にも打ち明けられないような問題を抱えている最中だったこともあって、ちんぽが入らないことはたしかに問題だとしても、ちんぽさえ入っていれば良いということでもないとつくづく思った。この世に問題のない人がいないように、問題のない人間関係も、たぶんない。ドラマ版の『夫のちんぽ~』は、小説や漫画とはまた別の物語になっていた。たくさんの人に向けて夫婦や家族のありかたを問うようなシーンもたくさんあって、ドラマ化することにはそれなりの意義があるものだと思った。原作を読んで気になっていた部分が映像になっていたのも、嬉しかった。ちんぽといえば、なぜちんぽほどのポップさがまんこにないのかという問題があると思う。(あるか?)それは単に語感なのか、造形なのか、社会なのか、いつかまんこを笑える日が来るのか、なぜ私にちんぽが付いていないのか。それはまた全く別の問題である。


ああ我が友よ
inmni

2019/04/03 00:32:52

急遽仕事になり出勤したら失敗をした。休日出勤だからといって大目に見てもらえる仕事などないのに心のどこかで失敗の程度を少しでも軽く見積もろうとする自分がいる。なんて愚かしいんだろう。10年ぐらい前から、インターネットでなんとなくたどり着いたうつ症状の診断ページを開くのが私の落ち込んだときの習慣となっている。朝起きられないYes、何もしたくないYes、自分なんて居なければいいと思うYes、Yes、Yes、Yes。誰にも言えていないことをワンクリックで表明できる世界がそこにはある。"あなたはうつの疑いがあります。専門の機関へご相談ください。" 親愛なるインターネットにそう言われると安心してページを閉じる。ああやっぱり今の私は少しおかしいのだ、医者にかかっても良いぐらいに。そう思うと自然と心が楽になる。こんなのしょうもないことだと分かっている。だけど、こんなしょうもないことを続けてようやくまともに、いやもうとっくにまともでは無いのかも知れないが、いちおう生活できている。誰かに話すには重く、壁に話すには寂しく、"誰"でも"どこ"でもないただそこに存在するインターネットが一番都合がいい。さみしいときだけ甘えて、満たされたらそっとタブを閉じる。こんな身勝手な関係をたったの月額数千円でもう20年ぐらい続けているわけだし、いつか個人情報のすべてを抜きとられて丸裸で売り飛ばされても恨みきれない。インターネットよありがとう


岬の兄妹という映画を見ました。
inmni

2019/04/16 01:54:31

給料日だったので映画館に行き、『岬の兄妹』を見た。貧困・障害者・性、それぞれテーマにした映画はたくさんあるけれど、3種あいがけ(?)映画は見たことがなかった。中でも貧困層の「劣悪な環境を抜け出せず、もがきながら生きている」みたいな日常を描いた映画は少なくはない。『岬の兄妹』も軽度の身体障害を持つ兄と自閉症スペクトラムの妹との同居生活シーンから始まって、その生活環境は超劣悪であることがすぐに分かる。こういう映画を見たとき、以前の私であれば「区役所行って生活保護もらえばいいじゃん」と思っていた。『そこのみにて光り輝く』とか見たときに何度もそう思った。しかし貧困は遺伝のようなもので、子は親の教養と文化と生活を譲り受けて大人になる。かなり努力して意図的に人生を変えようとしなければ、親の貧困をそのまま引き継いだような人生を送ることになる。いつの日か誰かが気付くまで、貧困の連鎖はずっと続いていく。社会保障という発想にたどり着かない(もしくは何らかの理由でたどり着いても仕方がない)家庭というのが、確かにあるのだ。私がそれを理解したのは福祉の仕事を始めて障害者と関わるようになってからで、それまでは社会的に正しい選択(たとえば区役所で手続きを受けてなんらかの保障を受けること)が最善だと疑いもしなかった。兄妹の生活は、何一つ正しいことがない。でもその正しくないところが最高に面白い。社会的に正しくないとしても、作品として圧倒的に正しい設定。展開。結末。名場面の連続で、震えた。真理子が公衆トイレを出て行くシーンの演出がたまらなかった、、、現実の人生だって本当は正しくなくても面白い方を選んだって良いのかもしれない。その末に更なる問題に直面するとしても、間違い続けた人にしか見えない景色があるのだ。思わずそう思ってしまった。『岬の兄妹』は崖っぷちに立つ彼らにしか見ることのできない景色をそのまま映像にしたような映画だった。あともうとにかく和田光沙さんの演技がすさまじかった。天才。
久々にディノスに映画を見に行ったら、札幌ディノスはあと1ヶ月半で閉館になるらしく壁中に来場者のメッセージが書き残されていた。キンプリ(ジャニーズじゃない方)の応援上映に通い詰めた人たちのハイテンションなメッセージの隅に、そっと「半世紀通いました」とか書いてあってジーーーーン。なくならないでほしい。


OKINI
inmni

2019/04/17 08:44:51

OOHYOのPiano Dustという曲が去年の秋頃から私の心の中で絶えず輝き続けている、、、OOHYOは韓国出身のシンガーソングライターで、この曲は彼女の1stアルバム『Girl Sense』に収録されているのですが、、、なんて素敵なアルバムタイトルなんだ、、、When she was just a girl…から始まる歌詞と、コード進行と、間奏のシンセの音色も好き最後に繰り返されるMy soul cling to the dustのフレーズも思春期的でまさに"Girl Sense"韓国では神童とゆわれているそう、、、そしてそんなウヒョ様が4月19日に発売するフル・アルバム「Far from the Madding City」が発売前なのにすでにサブスクで全曲配信してくだすって、これがまたとても良かった…!これまでよりシンセの存在感は強くなってはいるものの華美になりすぎていない、バランス感覚が最高…好みの音楽に出会うと景色が輝きだして"人生ってすばらしい!"みたいな、なにもかもI WISHな状態になる。しばらくはウヒョの方角に深々とお辞儀をしてから出社しようと思う。


手前の名前
inmni

2019/06/26 01:23:07

気がついたときにはもう、しっくりと来てなかった。違和感とまでは思っていないから尚更ややこしい。拒絶するほどのことでもない、ただなんとなく喉につっかえる感覚がずっとある。書類を書くとき、初対面の人と会ったとき、メンバー紹介されるとき…etcとにかく頻繁にその"しっくり来なさ"に遭遇する。"しっくり来なさ"に気づいたのは私が小学生のときだった。当時の私は今とは違い活動的で、毎日外で遊んで日焼けをしていたうえに濃い顔をしているので、親からはタイガー・ウッズみたいだと言われていた。でも性格は内気で人見知り、周りの女の子の顔色ばかりを伺っていた。気が強いヤンキーの女の子と遊ぶのが嫌になり、家で泣いていたこともあった。口から発する言葉とは真逆のことをいつも考えていた。そんな様子だったから年齢を重ねるごとに性格がどんどん暗くなっていった。ちょうどその頃、キッズ・ウォーという昼ドラマが放送されていた。主人公の"茜"はヤンチャだけど正義感が強くて格好いい、いつでも空間の中心になるような小学生だった。そしてそれは、私とまったく同じ名前なのだった。一方で私の"茜"といえば、内弁慶で人の機嫌ばかり気にして自分を抑え込んでは教室の隅っこでウジウジしているような小学生だった。格好いい"茜"に自分を重ねて、ヒロインのような気分になったりもしたけれど、重ねていくごとに私は"同じ名前でも同じ茜ではない"ことを実感した。まだ幼かったから、あれはただのドラマの主人公であって私は私で良いという気持ちにはどうしてもなれなかった。(いつになったら自尊心って芽生えるんだろう)心のどこかで私には"茜性"が足りていないのではと思っていた。ところで私は自分の名字もあまり好きではない。私の名字には"照"という文字が導入されていて、照らすことも照らされることもないような、うす暗く歪んだ私にとっては"照"の一文字が少し重く感じられてたまらないのだ。28年間、照と共に生きているのに未だに歩み寄ることができていない。そういう理由で、私は自分の名前にしっくり来ていない。違和感という程でもないし、思春期を過ぎて割とどうでもよくなってはいるものの、相変わらずしっくりは来ていない。自己紹介もメンバー紹介も苦手なままだけど、名前なんて記号なのだし、そんなことを気に悩むほど暇でもなくなった。だけど、もし本当に記号でいいなら、私 ▼ になりたい。理由は特にないけど、何でもいいなら▼だっていいだろう。そうはいっても、茜という名前自体はとっても気に入っている。ややこしい。


廊下は異常ありません
inmni

2019/07/18 22:42:17

京アニ放火テロが起きて、どんどん増えていく死者の数をぼんやり眺めながら、そういえば寝不足だったことを思い出したのだ。無理にでも寝てやろうと思い、ラジオを流して睡眠の体制をとると案外すぐに眠ることができた。できたのは良かったが、人を殺す夢を見た。殺しながらこんなの絶対に間違ってると思っていた。正当化される殺人なんてないのにそれでもその時は他に方法が無いと思っていた。人を傷つけて良い瞬間などあるはずがないということを、人を傷つけているその瞬間には見失っている。それにしたってなんで今日に限ってこんな夢を見るんだろう。共感なんてしたくないのに、最悪だ。


おわれえ芸人
inmni

2019/07/25 18:56:32

中学生のころからお笑いとお笑い芸人が大好きで、当時、吉本興業のCSチャンネル「よしもとファンダンゴTV」がどうしても見たくて親に頼み込んでスカパーに加入してもらった。おもちゃやゲームの類はどんなに頼んだって買ってもらえなかったのに、月額数千円(スカパーの料金がそのくらいだった)掛かるお笑いチャンネルはオッケーという謎判断のおかげで私の中学生時代はかなり充実していた。「よしもとファンダンゴTV」では、劇場公演や単独ライブ、新喜劇、吉本興業制作のバラエティ番組の再放送(吉本超合金とか)など、とにかく24時間365日「お笑い」が放送されていた。自社のタレントだけで365日、24時間放送できるってすごすぎる…。そんな「よしもとファンダンゴTV」の番組の中でも私は、『笑っていいとも!』と同じ時間に生放送していた『ワイ!ワイ!ワイ!』という番組が大好きだった。なぜなら当時大好きだったカリカがレギュラーで出ていたので。カリカリーズの太郎の回のことは一生忘れない(誰にも伝わらない)だいたい2年ぐらいよしもとファンダンゴTVを楽しんでいたけれど、だんだんと通信の芸人養成講座みたいな番組が増えてきてあっという間に飽きてしまった。芸人養成講座ではいつもラッキー池田がじょうろを頭に乗せて踊っていた。…まあ、そういうような思い出と思い入れがあり、ずいぶんお世話になったので、なんか平和な感じで収束してほしいです。


バランス
inmni

2019/09/03 10:01:00

バランスを取ることが好きだ。なぜバランスを取るのが好きなんだろう。天秤座だからかもしれない。そんなことある?理由はどうだっていいが、出来る限りバランスが取れている状態でありたい。音楽と生活、寄り道と近道、踏ん張りと諦め、カレーとナン、幕の内弁当。そしてそのバランスをうまく取ると"生きたくもないし死にたくもない"という精神状態に至る。これは、とても過ごしやすい。偏りたくないです。


ポジティブ虚無
inmni

2019/09/05 23:05:34

全ての人に価値があるならそれはまた全ての人に等しく価値がないということだと思っている。どんな人もただ生きていてあとは死ぬだけのことなので弱くても足りなくても貧しくても、何でもいい。努力や苦労も、特に意味はないのでしてもしなくてもいい。報われるとか報われないとか、そんなのは初めから存在していないので考えても仕方がない。夢も希望もあってもいいしなくてもいい。ただ時間が流れて、続いていく。何をしてもいいし、何をしなくたって良い。何をしなくても良いのだ!中学生の頃、日記に海辺の岩に張り付く藻になりたいと書いていた当時の私に教えてやりたい。藻のようにただ漂っているだけで良いのだと。つまり無理して"何か"をやるくらいなら何もしなくていいよねって話です。無理しない時代が来ているわけだし、やりたいことだけやって生きる人は生きて、破滅したい人は破滅しようって感じで良いんだよね?世紀末?
やりたいからやっているし、やりたくないからやっていないだけのことをこれ以上何も聞かないでほしい。今日もポジティブに、明快に、虚しい。


学校の思い出
inmni

2019/11/27 01:55:22

私が育った地区は札幌の中でも比較的治安が悪かった。ワルそうな顔で骨を咥えたブルドッグが背中にプリントされたジャージの父親、ゴワゴワの金髪のガリガリの母親、襟足だけが長い男児、アイプチで瞼をひん剥いている女児などが近所中にたくさんいた。治安の良くない地区にある学校には相応の教師が集められるのか、強烈な人がたくさんいた。小学1年生の時の担任は、クラスで女の子が泣くたびに自分の着ているセーターをその子の頭に被せ、「ここで泣いていいからね」と抱きしめていた。一方で、男の子が泣いた時は「男が泣くな」とスリッパで頭を叩いた。中学生のときは、現代文の先生が特に酷かった。一言めに「ギャンブルが辞められません!」と挨拶した先生はヤニ臭くて、枯れ枝のようなおじいさんだった。おじいさんは小学校を卒業したばかりの私たちに、いきなりなぞなぞを出題した。「新幹線は男か女、どちらだと思う?」正解した生徒はいなかった。今思えば、正解を知っていたけど誰も答えたくなかっただけなのかもしれない。しばらく経ってから先生は「正解は、、、男!新幹線は駅を飛ばすでしょ、駅(液)を飛ばすのは、男!」と、いくつかの隙間が空いた歯と黒ずんだ歯茎を見せて笑った。大人になった今でも新幹線や快速列車に乗ると、このなぞなぞを思い出してしまう。高校のときは、日本史の先生が突然日本神話を語り始めたこともあった。部活動に力を入れていた高校だったから部活動に全体力を注いで授業中に睡眠時間を稼ぐ生徒が多く、日本史の授業はまさに「睡眠時間」だった。ある日いつものように教室に入ってきた先生が突然「誰も聞いていないなら好きな話をする」と日本神話を図解しながら語り出した。女のイザナミと男のイザナギが身体の欠けた部分と余った部分を合わせてみたら何か起きるのでは…?ということに気付いて国と神が生まれるシーンや、その後生まれたスサノオが妻のアマテラスに悪戯をしたら驚いたアマテラスが機織り機を陰部に刺して死んでしまうシーンまで丁寧に図解してくれた。思春期の私の頭には性行為と女性器のイメージが交互に頭に浮かんでいたけれど先生が話す神話は面白かった。多分、今まで受けたどの授業よりも面白かった。地元のことは今でも好きではない、友達もほとんどいない。でもまあ、地元で育っていなかったらこんなに卑屈な性格にはならなかっただろうし、友達がたくさん出来ていたかもしれないし、そんな自分は全然おもしろくない。


天国につながるwi-fiどれですか
inmni

2020/01/20 01:53:00

私は彼女のことが好きで、彼女も私のことが好きだとわかる。なぜわかるか?そんなの”分かってしまうから”としか言いようがない。

どんなことで笑うのか知っていて、漫画をおすすめし合って、どんなゲームにハマっていて、見た映画の批評をして、過去のことを思い出して、将来を思い描き、今を嘆く。ケンカしても本当に腹が立つことなんてなくて、毎回新しい彼女に出会い、そのたびに深く知っていく。お互い仕事が忙しくなって会う機会は減ったけれどお互いの誕生日だけは会って欠かさずに祝う。恋人がいたりいなかったりするけれど、恥ずかしいし、ほかに話すことがたくさんあってなかなか言い出せない。私から聞きたいこと本当はもっとたくさんあるけれど、全部は聞かない。ずっとこんな距離感で一緒にいたかったのです。

あなたの好きだった芸能人は芥川賞を受賞し、心酔していた棋士は17歳の少年に敗北する。こんなこと、想像してた?私たちが仲良く生きた平成がゆっくりと幕を下ろして、新しい年号に変わっても私のことを忘れないでほしい。


苔のむすまで
inmni

2020/11/01 09:17:32

案外、苔が好きなのかもしれない。山道歩くと苔が目に入り、つい触ってしまう。たまに、昔実家で飼っていた柴犬と似たような手触りの苔があって嬉しくなる。とくに柴犬の耳の手触りが大好きで、いつも触っていた。亡くなったときは、耳だけ標本にして残したいと思った。苔を身近に生やしたいならば盆栽がよいだろうか?でも私に何かしらの世話するということは、できないと思う。きっとすぐに枯らし、腐らせる。私が苔ならば、丁寧に取り扱ってくれて、穏やかに愛してくれる人のところに生やされたい。それは、私ではない。


大丈夫ってなに?
inmni

2020/11/04 23:21:18

ヒトに大丈夫ですよって言うたび私は大丈夫じゃなくなっていってるけど大丈夫じゃないと言ったところで大丈夫になるわけでもない。当たり前のように声に出した大丈夫という単語がひとつずつ麻酔みたいに効いてきて、それがだんだんと全身に錆びついていくような感覚がある。とっくに全然、大丈夫なんかじゃない。全然大丈夫じゃない状態が大丈夫な状態を続けていると脳が錯覚するのか「全然、大丈夫じゃない」が「大丈夫」に変換されてしまう。そういう時なんと言えばいいのだろう?もうシンプルに、助けてくれ


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