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陰キャの独白③ ~成功体験しかない「無敵の人」になりたい~

 「無敵の人」と聞いてどんな人を思い浮かべるだろうか。ネットスラングとして一般的には、職や金がなく、家族や恋人、友人などもいないので、社会的に失うものが何もない人のことを指す言葉である。無敵の人は罰則をためらう必要がないので、どんな犯罪でも恐れずにできる可能性が高いとして人々に怖がられる。しかし、「犯罪」という部分を外せば、大抵のことを怯まずにチャレンジしようとする人間は一定数存在する。今までに大きな挫折を味わったことが無く、努力した先に成功しかないと信じて突き進んでいく人間は私にとってとても恐ろしい存在だ。私はそういった人達のことも「無敵の人」と呼んでいる。成功体験しかない「無敵の人」だ。本来の無敵の人と区別を付けるため、ここからは「無敗の人」と呼び直すことにする。


 かくいう私もかつては無敗の人であった。小中高と成績は良い方で、「努力は裏切らない」という思考をしていた。ゲームをしても周りでは私が一番目や二番目くらいに強く、ゲームを極めてオンラインのランキングを伸ばすことを楽しみとしていた時期もあった。しかし、大学受験で大きな敗北をしてしまった。更に一年勉強しても受かる気がしないと思うレベルでの敗北であったため、浪人はせず滑り止めで受けた別の大学に進学した。しかし、そこでも私より優秀な人間が何人もいて、努力ではかなわない世界を思い知ってしまった。そこからというもの、私は失敗をひどく恐れ、努力をしないようになってしまった。また、ゲームのランキングを上げることも、一位になれる訳でもないだろう物に負けて苦しみながら時間を割くことに意味を見いだせなくなり、あまり楽しめないようになってしまった。

 かつての私のような、世間を知らない、勉強をしていれば褒められる高校生には「無敗の人」がそこそこいるように感じる。ツイッターを見ていても、結果主義の高校生は他の世代に比べて多い。物事を0か1かだけで判断していてはいつか失敗した際に自分を責めるしかなくなるのに、それを分かっていない。まあ私自身がそうであったので気持ちはとても分かる。

 大学生以降になって「無敗の人」である人ももちろん存在する。ここまで失敗していない人間は、自分が設定した目標は必ず達成できると信じて、最大限の努力をしている人が多い。例えばApexでマスターに行けると信じて1年間努力した結果達成できたという人がいたとする。それ自体は健全でとても素晴らしいと思うのだが、「努力すれば何でもできる。努力しない人間は愚か」という思考を持つようになる場合がある。何かを成し遂げた際に自分を褒めるのは大事だが、他者を下げるのは良くない考え方だ。


 ここまで述べたことは、結局私自身の純度100%の嫉妬でしかないだろう。何事にも臆さずに全力で取り組んで結果を残すことができる人間になりたいと思っているだけなのだ。それでも私は「無敗の人」ではないので、全く同じようにすることはできない。ここからは、できる限り「無敗の人」に近づけるようになる考え方を模索していきたい。


 そもそも「無敗の人」でも完全に無敗という訳ではない。人間は負けを重ねることで成功へと近づいていく。私がかつて無敗の人だった頃も、負けた後努力して勝てるようになったときが一番楽しかったのは覚えている。そうした小さな積み重ねが自身の成長へと繋がるのは間違いない。しかし現在、私はなかなか勝負することを躊躇っている。その理由を自己分析した結果、2つの原因が浮かび上がってきた。その原因と自分なりの解決策を後に述べていく。


 1つ目は「失敗できない場面で失敗してしまった」ことである。結局のところ小さな失敗や敗北ではなく、大学受験に落ちるという大きな失敗を経験したことが自身に大きな影響を及ぼし、勝負や勝負するための努力を避けるようになっているのだろう。これが無敗の人との大きな差である。
 ではどうすればまた勝負しようと思えるのか。これについては正解は分からない。おそらくネットで調べたり人に聞いたりしても精神論みたいなものしか出てこないであろう。そんな中実践できることは、また0から成功体験を積み重ねることくらいしか無い。小さな勝負をし、小さな成功に喜ぶことを繰り返し、徐々に自分を高めることを意識していけば、少しずつ自信が取り戻せるようになると信じたい。

 2つ目は「ネット社会によって比較対象が多すぎる」ことである。ツイッターやYouTubeでは色んな学問やゲームのトップ層が散見される。どれだけ自分が努力をしても、そういった人間には敵わないと思うとやる気が失われるのはよくあることでは無いだろうか。「○○は結局暇人が強いゲーム」みたいなのはよく言われるし、私自身もよく思っている。かといって私は1つのことのために他のことを捨てられるほど覚悟のある人間ではない。そうして大した結果が得られないなら努力もしたくないと思ってしまい、何も得られないまま時が過ぎていくことが多かった。
 これについての対処法は、最早トップ層と自分を比べないというシンプルな解決策しか浮かばない。そういった人達から学ぶことはしても、自分がその領域にたどり着こうとは思わず、自分の小さな成長を喜ぶようにしたい。しかし、こういった思考は流行や需要がめまぐるしく変わっていく現代で通用するか怪しい。だが、たとえ自分のこれからのキャリアに必要なものではそれが不可能であっても、趣味の1つには自身を高めるものを持っておきたい。


 「努力は裏切らない」と思っている無敗の人になることは、私にはもう不可能だ。しかし、「努力は無駄では無い」と思うことは今からでもできる。たとえ目標に到達できなくても、第二希望になら届くかもしれないし、更に時間をかけられるならきっと成功するのだろう。私の時はしばらく止まっていたが、これからは少しずつ自分を高め、成長を喜んでいきたい。

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