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読む動機がないnoteばかり書いてるけど私は元気です。


たまたま遭遇したこちらのnoteを読んで反省した。

読む動機。
たしかにそれが感じられないのに読もうとは思わないな。

そう思いつつ、ちょっと疑問に思った。

「読まれたい」のかい、「書きたい」のかい、どっちなんだい!

脳内できんに君が問いかけてくる。


これまでの私は、noteを書く目的が不純だったと思っていて、

「スキがついたらいいな」
「読んでもらえるようなことを書かなきゃ」

みたいなことばかり考えていたから、趣味でやってるはずなのに全然楽しくなかった。

ここ2回くらいのnoteでは、読んでもらえるかどうかみたいなことは置いといて、「書きたいこと」を意識して書いてみた。

思いついた文章をざざっと書き、あまりに"ただの日記"すぎないか、嫌なきもちになりそうな言い方はしてないかを確認して、それらがクリアしていそうなら他は気にせず投稿。

楽しい。

書きたいことを書きたいままに書くのはとても楽しかった。

ところがどっこい。

「書きたいこと」だけ意識すると、スキが1つもしくは1つもつかない。


いやいや、1つでもスキがついたことを純粋に喜べばいいじゃん。
反応はなくても誰かは来てくれてるみたいだし。

と、自分に言い聞かせてみてもなんか落ち込む。

内容がおもしろかったり、共感してもらえたりすれば、おのずとスキはつくはずだから、ちらっと覗きにきてくれた人の心境は「何が言いたいのかわかんね~」「え、つまんな」って感じだと思います。

そんななか遭遇した冒頭のnote。

なるほど、私のnoteは「読む動機」が欠片もないから読まれないのか、と納得しながら悲しくなった。


読まれたいなら、これからは「読む動機」を考えて書けばいい話なのだけど、「書きたいこと」をベースにして読む動機をつくるスキルが私にはまだない。(まだ、と思いたい)

それにこのnoteは集客目的でも仕事でもなく、ノウハウを伝えたいわけでもない。

読みたいと思ってくれた人や偶然たどり着いた人が読んでくれたらいいな、くらいに思ってる。

でもでも、本当に「読みたい人だけ読んでくれたらいい」と思ってるなら、スキの数なんて気にしないでしょ?ともう一人の私が聞いてくる。

気になるってことはやっぱり、承認欲求もちょっとは満たしたいのかもしれない。人間の欲深さはこわいなあ。


なんにせよ、ある程度「読む動機」がないとたどり着いてももらえないか。

まずは誰かがふらりとたどり着いてくれるように、noteのお題にいっぱい参加してみようかな。

独自の視点とかってむずかしいなあ。


以上、毒にも薬にもならないnoteを書きながら元気に生きてる私の心境でした。

最後まで読んでくださってありがとうございます!