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鯛のアラ炊き


梅雨が始まって、いきなりびっくりするほどの雨。
そうかと思えば、次の日は、灰色の雲と青い空が行きかうお天気。
この雨のすきまをぬって、レンタサイクルで鬼ヶ城まで行くことにした。

自転車で、海の見えるレストランへ行こう!

鬼ヶ城へ行くのには訳がある。
海の見えるレストラン、マリーナ。
そこで熊野灘を見ながら、職場のみなさまご推薦、鯛のアラ炊きを食べてみたかったのだ。

地元の噂話というのはホントに面白いもので。
このレストラン、熊野市の姉妹都市、イタリアのソレント市をイメージしてオープンしたものの、あまり地元感のないメニューだったせいか、伸び悩んだ時期があったそうだ。
その頃の反省からか、現在は「熊野鯛とマグロの紅白丼」「熊野地鶏の親子丼」「熊野牛のスジコン丼」など、地元食材メニュー推し。
そうした中で、数量限定の「熊野鯛アラ炊き&鯛めし」の定食が、職場でのイチオシだった。
そうと聞けば、やっぱりいただきにいかなくちゃ!

お昼少し前に駅前で自転車を借りて出発。
一旦、海の方まで出て、七里御浜の風を感じて走ってみることにした。
自転車旅のいいところは、傾斜を感じる、つまり地形を感じることができること。
駅から浜の国道の方へ向かっていくと、やや登り。
なるほど、海沿いの道は少し高めに作られていて、海や浜を見通せて気持ちがいい。
鬼ヶ城へ行くためにはトンネルをくぐって向こう側へ出るはずだが……
(あれ?そうか……国道のトンネルは車オンリーか……)
鬼ヶ城トンネル。
その名前にうっかりつられて、国道のトンネル近くまで来てしまったが、自転車や徒歩の人は、旧い国道の木本トンネルを行かなくてはならない。
方向転換して、海から離れ川沿いの細い道を登っていく。
(………………まだ登り?)
そう。
自転車旅の悪いところは、傾斜を感じる、つまり登り坂が体力的にきついこと。
木本トンネルへ向かうまでの登りが、地味に長く、それなりにきつい。
急な傾斜ではないが、運動不足の身体にはどんどん重たくこたえてくる。
(がんばれ!鯛のためよ!!)
心の中で自分を励ましながら、息を切らせて木本トンネルに突入。
トンネルの中は、暗くて涼しい。
少し怖いけれど、でも、しっかりした段差で車道とは区切られた歩道がある。
息を整え、汗を冷やす風を感じながら、黙々とペダルをこいだ。
トンネルを抜ければ、海風の気配。
私の鯛は、もうすぐそこだ!

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鬼ヶ城センターへ着くと、自転車を停めて、2階へ向かう。
今日はもう心は決まっている。
「アラ炊きでお願いします!」
土曜日のお昼、雨も止んで、他にも数組の先客がいた。
海を見ながらの休日ランチ、ゆったりした空気だ。
今後のために、お店の方に他のオススメも聞いてみる。
「やっぱり紅白丼ですね、熊野へ来たら、熊野の魚を食べてほしいから」
ふむ、次に来た時には紅白丼だね。
お水をいただきながら、ぼーっと海を眺めてお食事を待つ。
頑張ってペダルをこいできた身体に、冷たいお水が沁みとおるみたい。
ほてった汗が少し落ち着いてきたころ、甘みあるお醤油の香りと共に彼らはやってきた。

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「はい、こちらアラ炊きと鯛めしです。ごゆっくりどうぞ」
思いのほか、早かった。
いや、私がぼーっとしてただけかも。
ともかくも、煮付の香りに誘われてすぅっと箸へ手が伸びていく。
本日も、食材や作ってくださった方々に感謝して。
「いただきます!」

海の王様づくし!アラ炊き&鯛めしセット

まずはお味噌汁をひと口、アオサと味噌の風味にほっとする。
さて、アラ炊きと鯛めし、どちらからいくか。
香りでガンガン呼ぶのはアラ炊きなんだけど、口の中が煮付のお味でいっぱいになってしまう前に、まずは鯛めしを味わっておこう。
ご飯をひと掬いして、口元へ運ぶ。
ああ、これが鯛だ。上品でいてしっかりとした海の風味。
やわらかくほぐされた身が、ご飯とまじりあってやさしく香る。
ちょんと載せられた山椒の葉の緑と一緒に、もうひと口。
山椒の葉の香りがちょっとしたアクセントになって、これまた鯛の香りがひきたつ。
うーん、しみじみ美味。
この鯛めしとお味噌汁だけで、満足してしまいそうなほど、美味。
だが、本日のメイン、アラ炊きさんがまだ控えている。
(では、いよいよ参りますか)
つやつやと照り映える鯛のかぶと。
骨ごと外して、箸で身を取り出していく。
煮汁の沁みた表面と、今初めて空気に触れたような白い身のコントラスト。
これ、ご飯が進んじゃうやつでしょ、絶対。
口へ運ぶと、予想通り、しっかりした醤油味。
口の中に煮付の味の残るうちに、鯛めしをまたさらに口元へ。
なんて贅沢なんだろう。
ガツンと濃い味の鯛の風味と淡く上品な鯛の風味が、一度に私の口の中へ。
(これが海の町の幸せよねぇ)
しみじみと味わいながらも、よく見ると、目のそばに煮凝りが添えてある。
小さく掬って味見をすると、ほんのり酸っぱい予想外の味だった。
ほんのり一味唐辛子か、それに生姜のみじん切りも閉じこめてある。
ピリッとさっぱり、絶妙なバランス。
おお、これは飽きが来なくていい。
こってり醤油味の煮付と、さっぱり煮凝りを、交互に口元へほうりこんで、さくさくと食べすすめ……
そこで直面したのは、一つの未練だった。

骨湯 or not ?

(この美しい鯛の煮付、骨湯をせずに終わってしまっていいのか?)
皆さんは骨湯というものをご存知だろうか?
煮魚を食べ終わった後、そのお皿に熱湯をかけまわして、そのつゆを飲む。
魚の骨の風味や脂、煮汁の旨みを最後まで味わえるし、お皿も綺麗になる。
ただ、見た目がちょっと、いや、結構お行儀が悪いかも。
どうしたものか……
悩んでいるうちに、先客が次々と会計を済ませて店を出て行った。
この流れはやはり、勇気を出して言えってことか!
「あ、あの……お湯をいただくことってできますか?」
レストランのおばちゃんは、一瞬、きょとんとした顔をしながらも、コーヒーカップに熱々のお湯を一杯、持ってきてくれた。
何も言わずにいきなり注ぐのも気まずくて、おばちゃんにも聞いてみる。
「あの、骨湯っていう、こう、煮魚を食べ終わった後にお湯をさしてですね……こちらでも、そういう習慣あります?」
おばちゃんは、そこで納得したかのように笑って教えてくれた。
「小さいころ、よく飲まされとったよ。うちじゃ『医者ごろし』って言うとったね。これさえ飲んでれば、医者はいらんて言うてね」
それを聞いて、何か、心強くなった私。
他のお客さんがいない今のうち、おばちゃんと何かちょっと共感できたような嬉しさと一緒に、お皿にお湯をまわしかけて、いただいてみた。

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こってりしていた煮汁が上質なスープに早変わり。
うん、まだ少し濃いかな、もう少しお湯を足して、と。
そして、自分好みの濃さに仕上がった骨湯をじっくり堪能する。
(ああ、勇気出して、お湯をお願いしてみてよかった)
脂がキラキラ、旨みの沁みだしたつゆ。
お魚の滋味を存分に味わうのに、こんな素敵な食べ方は他に無いんじゃないだろうか。
帰り道にはまた頑張って自転車をこがなければいけないけれど。
鯛とおばちゃんから、たっぷりパワーをもらったから、大丈夫。
ぽかぽかする身体、風を切る自転車で涼みながら帰ろう。

我ながら、上々の昼下がり。
幸せを届けてくれたみんなに感謝を送りつつ出発する。
鯛を育て、届けて下さる漁業関係者の皆さま。
素敵な味付けで調理して下さるレストラン、マリーナの皆さま。
『医者ごろし』を教えてくれたおばちゃん。
海の幸、山の幸を育む熊野の山々と水と海に。
たべびとは今日も幸せを存分に受け取り、味わい尽くしています。
「ごちそうさまでした!」

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