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弱者の救済と弱社の退出

 先月TV東京系のオンライン番組、モーサテサタデーで日本の今後の金利政策等について解説がありました。この番組はチャットで視聴者も質問や意見を言える仕組みです。話題が今後の日本経済全般になってきたので、私が普段から思っていることで「弱者(個人)は救済すべきだが、弱社(会社)は必ずしも社会的なコストをかけて救うものではない、個人の命は大切だが組織(会社)は社会の活性化のためにも新陳代謝が必要です」との趣旨のコメントを投稿しました。この日のコメンテーター(森田長太郎さん)は基本的にこの考え方に賛同しつつも、日本では非常に小さい会社は個人か法人かの区分が難しいとのコメントをされていました。私もこの考え方には基本的には賛成ですが、ここでは少し別な視点で日本の会社(法人)の位置づけについて考えてみたいと思います。
 日本では給与所得者については源泉徴収制度があり、個人の所得税は会社が徴収して納めています。あまり意識されていませんが地方税についても会社が源泉徴収して納めています。具体的には会社の人事部等の給与関係の部署が社員一人一人が住んでいる市町村と連絡を取り合って源泉徴収事務を行っており、会社の社員の税金関係事務はなかなか大変です。これは国家にとって重要な税の徴収業務を会社(法人)に丸投げして代行させているということです。
 社会が安定し税を効率的に集めるためには、会社が倒産や合併することがなく、また社員も転職することなく同じ会社に終身雇用されることが、効率的に税金を集めることができる社会として安定します。会社を通じて税金を納めてるということは会社が倒産したり、従業員個人が転職したりするとその納税ルートが動くことになりますからその社会的負担は大変なものです。もし米国のように申告納税制度であれば納税のルートは一本道で、会社が倒産や合併しても、従業員が転職しても、何の社会的負担はありません。
 日本の給与所得者には納税感覚がないとよく言われますが、実はこの源泉徴収の徴収という言葉が象徴していますが、日本では給与所得者にとって税金は納税するものではなく、徴収(取られるないし盗られる)ものとの感覚です。
 最初に会社の新陳代謝が大切だと書きましたが、あまり意識はされていませんが、多くの個人は会社組織を通じて納税している(統治されている)ため、社会の安定のためには、潜在意識として会社の新陳代謝に対して否定的な世の中になっているのではないでしょうか。
 コロナ給付金では給付の混乱が大きな問題となりましたが、現在マイナンバー(カード)で国家と個人が直接接触することが可能となってきました。これが社会を大きく変えるきっかけになり、社会の新陳代謝の活発化のきっかけとなるかもしれません。まだこの制度にはいろいろ批判もあり紆余曲折がありそうですが、日本社会の活性化には役に立つと思います。