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「凡凡」38. あほんだらの神谷さん

 39歳、独身、独居、猫二匹。
 夜寝る前に少しだけ思う、明日の朝、目が覚めたら私が私じゃなくなっていたらいいのに。明日、目が覚めたら仲代達矢とか向井秀徳とかになっていたら特に嬉しい、明日の朝、突如仲代達矢になっていたら、私は即羽織を買いに走るだろう。向井秀徳になっていたら、とりあえずアコギを持って無駄に外をかっぽして「マツリスタジオからやってまいりました!」「マツリスタジオからやってまいりました!」とチリ紙交換のように徘徊するだろう。
 眠る前に必ず本を読む、本を読んでいる間は私が私でいなくて済む。でもたまにそのまま眠れなくなってしまう本がある、眠気で鈍感になりかけていた脳がピキと音をたてて、名称のわからない内臓がザラザラして、いつの間にか興奮していることに気がつく、しょうがないからベッドから出て、冷えた泡盛や焼酎のお湯割りなどを飲むのだけど、そういう時は興奮しているものだから、お酒でさらに目が冴えてしまう、明日に備えて無理矢理布団に入るのだけど、また興奮の原因になった本を開いてしまう、もしそのまま眠ってしまったら、明日は私が私でいないとこの本の続きが読めないなあ、と不覚に思う。でも基本的には毎晩、私が私でなくなってくれ!明日にも!の気持ちを持て余すオールナイトロング。
 朝、目覚めてもあいにく私は私のままで、仲代達矢にも向井秀徳にもなっていない。きのうの夜に私が設定したアラームを私が止めて、布団の中に入ったまま充電コードがつながったスマホでTwitterを徘徊して、私が寝ている間に私以外の人たちが相変わらず私以外の人であった証みたいなツイートを眺める、あいつらも今日もあいつらのままだ、私も私のままだとぼんやり思う。最近Twitterで「粉瘤の広告」をやたら見かける、私がTwitterを見るたびに「粉瘤の広告」が視界に入ってくる、「粉瘤」というのが不吉な文字で妙に記憶に残る、画像検索を絶対にしてはいけない気配を孕む「粉瘤」という字ズラ、寝ぼけた頭で毎朝「粉瘤」の文字を見ていると私自身が「粉瘤」なのではないかと思えてくる、だからといって、やったあ!私は私じゃなくなって粉瘤になった!とまで本格的に「粉瘤」になるわけでもなく、無駄に冷静になって「粉瘤の広告」の凄み(効果)だけを感じる。今日も私は私のままで少しがっかりして、今日も私は私をやらなきゃいけないとうんざりして、布団から出ていく。
 今日、仕事の帰りに買い物をしていたら知人に会った。知人はすこぶるお洒落をして痛々しいくらい若作りをして、憎たらしいくらい上等なウールを着た子供を連れて、そのお洒落が全て無駄になるような場所で彼女は買い物をしていた。私は仕事帰りでボサボサの髪に野ズラで、十年以上着ているスカジャンに仕事用のガボガボのジーンズだった「あー!イニキちゃん!」と声をかけられて、曖昧にその場を取り繕い、私はかわいくない子供に「かわいい」と嘘を言った、彼女はBMWに乗って去っていった。私は自分の軽トラックに乗ってから「けっ」と言った。あの反射神経のような「けっ」とは、いったいなんだったんだろう、私は彼女をうらやましく思ったのだろうか、全身ステイタスみたいな彼女のように私もなりたかったのだろうか。明日の朝、私が私じゃなくなっていて、もし彼女になっていたとしても私は同じようにがっかりするのだと思う、やけくそになって自家用のBMWをボコボコに蹴り散らかすかもしれない、だったら粉瘤になった方がましだ!では、いったい私はどんなふうになっていたかったのだろう、今日の晩の寝つきが不安でしかない。
 「火花」の映画を観る前に再読しておこうと「火花」を本棚から出したものの、「火花」は眠れなくなる本。「火花」の主人公、徳永と同じように、私もあほんだらの神山さんに一瞬で惚れてしまった。井の頭公園で「いせや」のシュウマイを食べて、公園にいた赤ちゃんに神谷が蝿川柳を披露するシーン、劇場で神谷が徳永に「お客様」と声をかけるシーン、神谷がしつこく言い続ける「大丈文庫」、池尻大橋から二子玉川の河川敷までお惣菜をリュックに入れて歩く間に神谷が語った、酷いことをされて腹がたっても、そのことを「そいつがその夜生き延びるための唯一の方法なんやったら、やったらいいと思うねん」という神谷の持論。神谷から送られてくる素敵なメールの数々「バックドロップbyマザーテレサ」「エジソンが発明したのは闇」「三畳一間に詰め込められた救世主」。神谷と徳永はとにかく二人でよく歩く、神谷の少し後ろを徳永が歩き、そのゆっくりしたペースのリズムにのったボソボソした二人の会話が暗くてもその内容は「笑い」についてなのだから不気味で最高に気持ちがいい、そして二人は確実に同じ方向に向かって歩いている。圧倒的な才能を思い知らされる不幸せ、憧れの存在が側にいるという幸せ、現実と己の能力とのすり合わせはとても息苦しい、もがいて哀れでみっともなくて、そしてひたすらかっこいい。映画では私の好きなどのシーンが採用になっているかしら、桐谷健太「大丈文庫」言うかしら、今週末は映画館で菅田将暉より私の方が泣いているにちがいない。
 相方と喧嘩した徳永が一旦冷静になろうと神谷に電話をして「殴ったろうかなと思ってるんです」と徳永は神谷に伝え「腹立つんです」と報告するシーンが私はうらやましくてたまらなかった。自分を失いかけた夜、神谷さんから変なメールが届いたら嬉しい、「腹が立つんです」と私も神谷さんに電話したい。
 「神谷さん、イニキです。腹立つんです、1㎜もステイタスしてない私を明らかに見下してるんです、口元だけ笑って目がね、ぜんぜん笑ってないんです、んでねビーエム乗って去ってったんです、追いかけて殴ったろうかなと思ってるんです」神谷さんはきっと惨めな私を笑いに変えてくれる筈なの、神谷さんは「楽しい地獄」を教えてくれた。

写真注釈:明日の朝、神谷さんになりたい。




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