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【思い出】真冬にイカダを作って全部水没した話

私が中学生の頃の話です。

中学生というのは、気になったことをとりあえず行動に起こそうとする時期です。

「たぶんこうなるだろうな」という分かりきった事でも、自分の目で見ないと納得できなのです。

私もそんな人間の一人でした。

今では考えられませんが、昔の私は「英語」という概念が本当に存在しているのかすら疑っていました。

あの「英語」をです。

私の離島に英語を話している人がいなかったとはいえ、ありえない思考に辿り着くこともしばしばありました。

そのくらい、私は「自分の目」だけを信じていました。

そんな幼いような好奇心溢れるような時期。

面白そうなことには獣のように飛びつく時期です。

私には「面白そうなこと」にノリノリで付き合ってくれる友達が2人ほどいました。

その友人たちは「最高」という言葉では収まりきらないほどでした。

どれだけ最高だったのか。

例えば。

湧き水を発見したらその場で飲みまくる。

海で貝を発見したら焼いて食う。

太陽で熱くなったコンクリで目玉焼きを作る。

どれも「子どもだけどギリキモい」ようなことばかりしていました。

人目につかないことをいいことに、私たちは縦横無尽に野原を駆け回りました。

私たちはとんでもない過疎集落で遊んでいたのですが、もはやその集落のギャングのようなものでした。

そんな日々を過ごしていた私たちですが、ある日、友人の言葉をきっかけに物語が大きな展開をみせました。



「いかだ作らない?」

私が湧き水で喉の渇きを癒やしていたとき、友人の一人が言いました。

その友人を「Tくん」としましょう。

Tくんは続けて言いました。

「この浜辺に漂流してるものでさ、いかだ作ろうよ!」

私は袖で口を拭いながら、彼の顔を見ました。

彼は目をキラキラと輝かせていました。

いかだ・・・面白そう・・・!

私はすぐにTくんに同意しました。

「よし、作ろう!」

私は彼の言葉を聞き、胸の内から熱いものが湧き上がってくる感覚がありました。

いかだ作りはこれまで何度も挑戦したことがありました。

しかし、完成させたことはありません。

全部中途半端だったのです。

私は「今度こそ完成させてみせる!」と意気込みました。

そこからTくんを含めた友人3人で、いかだ作りが始まりました。



動物の勘というのは鋭いものです。

私たちは人類を超越した嗅覚で、砂浜中から漂流物を見つけていきました。

次々にパーツがそろい、あっという間に十分な量の漂流物が集まりました。

さっそく組み立てです。

私たちにノウハウなどある訳がありません。

すべてフィーリングで「こうすれば浮くやろ!」という自らの感覚のみに従いました。

私たちの情熱は、NASAのロケット開発部門と全く同じでした。

1ミリの設計の狂いが事故を生む。

1秒の気の緩みが失敗に繫がる。

極度の緊張のためか、口がすぐにカラカラに渇きました。

しかし私たちは瞬きひとつせず、精密機械のようにイカダを作り続けました。

湧き水のコロコロという水音、イカダが擦れるガサガサッという音だけがあたりに響きました。

その間、誰一人として休憩しませんでした。

そして数十分後。

とうとう私たちは念願のイカダを完成させました。

私たちは「うおおおおおおお!!」やら「やったぜ!!」やら歓声を上げ、跳びはねて喜びました。

嬉しくて嬉しくて、心から興奮しました。

湧き水もガブガブ飲みました。

私たちは、待ちきれない!といった様子でイカダを抱えたまま海に走り出しました。

それは、12月の非常に寒い日でした。



イカダの人生はあっという間に終わりました。

14時01分にこの世に誕生し、14時03分に大破しました。

跡形もなくバラバラになりました。

私たちは全身ずぶ濡れになりながら、その破片を大事そうに掬い上げました。

丁寧に丁寧に掬い上げ、そっと胸に抱えました。

その動作はまるで、慈愛に満ちた母親のようでした。

途端、強い海風が容赦なく吹き荒れ始めました。

私たちはぶるぶると震えるばかりでしたが、誰一人として喋ろうとしませんでした。

全員がうつむき、濡れた髪から水滴がしたたるのを眺めました。

こうした経験から私は一つの教訓を得ました。

それは「結論が出るまでが一番楽しい」ということです。

どのような結果になったとしても、工夫した過程というのが最も記憶に残るのです。

これは何事にも言うことができます。

一つ一つの小さな過程を楽しみ、そして共有することが人生の質を高める最良の方法であると思います。














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