いろいろいろ
制約が可能性の存在を際立たせる。
なにもかもが溢れていたら、どれを掴み取ればいいのかわからない。
なにかを選ぶときには、選ぶための理由がある。
目に見える世界は、
すべて
自分の取捨選択から成り立っている。
無意識であれ、
それが選択の結果であることは、自覚的でいたいと考える。
それが、
自分と向き合うためのひとつの方法でもあるから。
"なぜ"
と考えるためには、
そこまでに蓄積してきた情報と知識と選択の基準が必要。
「正しさ」は、
"それ"を遂行するための「最適解」であって、常に"そうでなければならない"わけではない。
大人になって感じるのは、
わたしは自分の考えを数学的に分解していくとわかりやすいし、腑に落ちるということ。
国語というのは、自分の抱える感情をかたちづくるためのツールだ。
相手に伝えるために、どの単語を並べるか、なにに例えると想像しやすいか。共通するものを駆使して、伝えるために考える。
そんな
思考散策の一端に、このnoteを使っていきたいな
と思う。
はじめまして。
どうぞ、よろしく。
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