モンテローソ『恐竜』より短い3つの超短篇と1つの最も短い詩について

 以前『俳句の超短篇 vol.9』では以下のように書いた。

 実は最近の中南米ではモンテローソ『恐竜』よりルイス・フェリペ・ロメリの『移民』という作品が世界一短い小説として知られているらしい。

 しかし何となく『移民』«El emigrante»がウィキペディアで立項されているのを発見してしまい、その後もっと短いものが出続けていたことを知ったので共有したい。

 『移民』はメキシコ人作家であるルイス・フェリペ・ロメリが2005年に発表した超短篇である。この作品はスペイン語で書かれた物語として、最も短い作品だと考えられてきた。しかしながら翌2006年に(スペイン人作家)フアン・ペドロ・アパリシオは超短篇集「悪魔の半分」に収録した『ルイ14世』において、たった一言だけの更に短い超短篇を発表した。
 2015年にはアルゼンチン人作家マルセル・ゴォボによる『超短篇作家の墓碑銘(エピタフ)』という、句点一つのみの作品まで登場している。
 この『移民』が2005年に発表されるまでスペイン語で書かれた最も短い物語は、グアテマラ人作家アウグスト・モンテローソ『恐竜』だった。
El emigrante es un microrrelato del escritor mexicano Luis Felipe Lomelí, aparecido en el 2005. Se le consideró el relato más corto jamás escrito en castellano; sin embargo, al año siguiente aparece1​2​ «Luis XIV», microrrelato de una sola palabra, relato aún más breve, y luego, en 2015, «Epitafio para un microrrelatista», del escritor argentino Marcelo Gobbo, que consta solo de un punto.3​ Este aparece en La mitad del diablo (2006) de Juan Pedro Aparicio. Antes de su publicación en 2005 el relato más corto de la lengua española había sido «El dinosaurio», del escritor guatemalteco Augusto Monterroso.


 とはいえ『移民』より短いとされているものは、ちょっと出オチ感のある作品なので、『恐竜』や『移民』の方により高い文学性が感じられる気がしないでもない。

 改めて『恐竜』と『移民』、そして新たに『ルイ14世』と『超短篇作家の墓碑銘(エピタフ)』を紹介しよう。

アウグスト・モンテローソ『恐竜』
 目が醒めても、まだ恐竜がいた。
Augusto Monterroso Bonilla «El dinosaurio»
Cuando despertó, el dinosaurio todavía estaba allí.

 作品の知名度だけで言えば、たぶん今回取り上げた4つの超短篇の中ではもっとも有名な作品。
 1929年の結党から2000年という71年間に渡りメキシコの最大政党として(途中に二度の改名を経てなお)与党に居座り続けた「制度的革命党」(el Partido Revolucionario Institucional)への風刺が込められている。
 そうした背景を知らないものが読んだとしてもその高い文学性は誰しも感じ取ることができる。


ルイス・フェリペ・ロメリ『移民』 
―何かお忘れではありませんか?
―だったら良いのに!
Luis Felipe Lomelí «El emigrante»
—¿Olvida usted algo?
—¡Ojalá!

 この作品が発表される遥か以前からメキシコからアメリカ合衆国への移民問題は根深く、それは両国の国境に壁を作ることを公約にしたトランプ大統領の公約にも表れていた。
 中南米の超短篇にはこうした社会問題や文学、哲学などを下敷きにした作品が多い。


フアン・ペドロ・アパリシオ『ルイ14世』
 朕
Juan Pedro Aparicio «Luis XIV»
Yo.

 17世紀フランス、時代的には30年戦争は終了したもののスペインとの戦争が継続していた時期でルイ14世が口にした「朕は国家なり(L'État, c'est moi)」という発言が元になっている(現代の研究では創作であるとされる)。この言葉は当時の絶対君主制を象徴としているとして世に広まった。
 この作品が収録されている超短篇集『悪魔の半分』には138編の超短篇が収録されている。『悪魔の半分』は作品の文字数の多い順に作品が配置されており、『ルイ14世』はその最後を締めくくる。

マルセル・ゴォボ『超短篇作家の墓碑銘(エピタフ)』
 。
Marcelo Gobbo «Epitafio para un microrrelatista»
.

 この作品については、何となくわかる気がしないでもないが、さっぱりわからない。
 きっと何か元ネタがあるという気もするのだけれども、単にピリオド一つだけの作品を作るというアイデアだけという可能性もなくはないか。

 一文字だけというアイデア自体には他に例がないこともない。

草野心平『冬眠』

 タイポグラフィ的な作品であり、どのようにも読むことができるだろう。


 これまで最も短い超短篇として知られている作品を見てきた。それでは最も短い「詩」はどんな詩なのだろう。
 もちろん上記にあるようなゴォボや草野心平の作品の方が短いと言えるのは間違いないが、きっと最も短い詩として世界的に最も有名な作品はこちらの詩ではないだろうか。

モハメド・アリ
わたし / わたしたち
Mohammed Ali
Me / We

 これはボクシング元ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリが1975年6月4日にハーバード大学の卒業式に行った講演で即興で語ったとして有名な詩だが、初出は1963年のテレビのトーク・ショウでもっと駄洒落っぽく発したものであるらしい。
 ボクシングの世界王者でありながら最初期のラッパーとして数えられることもあるアリは、軽快に試合相手を挑発していたのと同じくそこでも自分の言葉を自画自賛した。ここはHip-Hop風に、Boastingしていたと言った方が良いかも知れない。

 俺は自分で詩を作り韻も踏む。実のところあんたに語っているこの間もずっとこの最高の短篇詩を練り上げている。この俺と同じくらい偉大ってことをこの詩自体が物語っている。これこそ――史上最高の短篇詩だ。Me? Whee!
I write my own poetry, and I think in rhyme, and as a matter of fact, while I’m talking to you, I’m writing the greatest short poem of all time. This poem tells how it feels to be as great as me. This is it – the greatest short poem of all time: Me? Whee!

 「Greatest」とは当時の彼の異名である。この時まだ彼は自らの全盛期を捨てることになるのを知らない。
 世界タイトル9連続防衛という破竹の勢いで無敗街道を突き進んでいた25歳となった1967年のアリは、29歳までの3年7ヶ月を自らの信念に従い捨て去ることとなる。

ベトコンに喧嘩を吹っかける気はない。奴らは俺をニガーとは呼ばない。
Man, I ain't got no quarrel with them Viet Cong. No Viet Cong ever called me nigger.

 詳細は省くが、ベトナム戦争への徴兵の対象となったにも関わらずそれを拒否した。その廉で有罪判決を受け、世界王者のベルトはもちろんボクシング・ライセンスまで剥奪され、世間や仲間だと思っていた人々にまで避難をされた。
 後に有罪判決は破棄され、ボクシング・ライセンスも回復することとなるが、失われた時間が戻ってくるわけではなく、1970年に復帰して翌1971年の復帰第三戦のジョー・フレージャー戦にて初めての敗戦を喫することとなる。
 もちろん、もし1967年に世界タイトルやライセンスが剥奪されなかったとしても、1971年まで無敗であったという確証はない。ただそれまで無敗だったかも知れないという可能性が奪われただけである。

 こうした経緯を踏まえると1975年、改めてアリの口から語られた詩は同じ言葉でありながらまるで違った様相を生み出しているように思える。
 皮肉なことに、言葉のポテンシャルがこうした経緯によって引き出されてしまったと言えるかも知れない。

 アリが自らの栄光の可能性を捨てずに済むことがもし可能だったとしたらその世界は、ベトナム戦争を開始せず黒人が差別されていない1967年のアメリカに到達していなければならない。
 しかしその世界が存在していたら、彼は強くなることが可能であったのかどうか。

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