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有島武郎『カインの末裔』を読んで

お正月、実家の本棚を整理していると、日本文学全集(新潮社)の『有島武郎集』を見つけました。奥付を見ると昭和40年の第12刷とあるので、おそらく父が買ったものでしょう。

今回読んだ『カインの末裔』はその作品集に収録されていて、『或る女』と並んで有島武郎の代表作の一つです。「タイトルがかっこいいなあ」と前から気になっていたので、この機会に借りてきました。題材は旧約聖書の「カインとアベル」なのでしょう。僕はこの二人の名前を聞くと、「ファイアーエムブレム 紋章の謎」と「ゼノギアス」を思い出しますけどね。

しかし、そんな軽い動機で臨んだことを後悔するほど、なんとも重苦しい複雑な読後感を抱くことになりました。没頭できたのですが、納得できない点もあり…。その辺りのモヤモヤを書きつけておこうとnoteにまとめました。

100年以上前の小説ですが、念のため注意喚起を。
以下、盛大にネタバレします。

■極めて雑なあらすじ

なぜこの物語に没頭できたのか。それは、淡々としながらも力強い文体が影響していると思います。

舞台は、近代の北海道。田畑を拓く段階から進んで、組織的な小作農が始まっている様子ですから、明治中期くらいでしょうか。当時の厳しい環境が、茶色と灰色で構成された映像となって浮かんでくるようでした。動作の描写やセリフの端々にも無駄がなく、息つく間もなく読み進めました。正直なところ方言や旧字の部分は苦戦しましたけどね。

物語は、主人公である仁右衛門が馬を引き、妻と一人の赤子と共にある村の農場を目指すシーンから始まります。

その仁右衛門、非常に乱暴で自分勝手な性格です。すぐに暴力を振るうし、人の嫁さんに手を出すし、禁止されている博打もするし、小作料も納めません。体躯に恵まれているから周りも止められず、やりたい放題です。さらに、本人は世間知らずが故に自分の成功を信じて疑わず、貧しい小作人ながらも数年本気で働けば財をなせると考えています。

ところが、物語が進むにつれて仁右衛門に様々な不幸や苦難が襲います。むちゃくちゃ詳細を省きますが、「子どもが亡くなる」と「馬を失う」などの事件が起きます。

結局、仁右衛門は村を出ていくことに。しかも借りていた住処に火を放ちます。ラストシーンでは、冒頭で歩いてきた道を反対に向かい、仁右衛門と妻は厳しい寒さの中へと吸い込まれるように消えていきます。物語の始まりよりも確実に不幸な状態となって。

■「弱くてニューゲーム」の妥当性

『カインの末裔』というタイトルは、旧約聖書『創世記』のカインとアベルの話からとっています。あまり詳しくない領域なので、今回もWikipedia先生の力を借り、下記の通り一部を引用しました。

カインとアベルは、アダムとイヴがエデンの園を追われた(失楽園)後に生まれた兄弟である。カインは農耕を行い、アベルは羊を放牧するようになった。
ある日2人は各々の収穫物をヤハウェに捧げる。カインは収穫物を、アベルは肥えた羊の初子を捧げたが、ヤハウェはアベルの供物に目を留めカインの供物は目を留めなかった。これを恨んだカインはその後、野原にアベルを誘い殺害する。
(中略)カインはこの罪により、エデンの東にあるノドの地に追放されたという。

引用:Wikipedia「カインとアベル」

「人類最初の殺人」として伝わっているこの話ですが、『カインの末裔』では対となる兄弟・アベルがいるわけでもなく、乱暴者の仁右衛門が殺人を犯すわけではありません。

この物語が指すカインの罪は、「恨み・妬み」の感情を抱いたことかもしれません。それならば物語中に仁右衛門も抱いた感情で、理不尽な出来事を他人の責任だと考える描写が何度も出てきます。

創世記では、追放されたカインは「耕作を行っても作物は収穫出来なくなる」とヤハウェから告げられます。呪いのようなものだと解釈できます。

仁右衛門はどうでしょうか。彼の仕事に馬は欠かせない存在でしたが、ある出来事で両の前脚を折ってしまう事態に。最終的には村を出ていくときに仁右衛門自身の手で始末されます。

耕作ができなくなったカインと馬を失った仁右衛門を、無理やりながらも重ねることは可能かもしれません。

ただ、カインは追放されたノドの地で子孫を残すことはできました。何代か後の子孫であるトバルカインは、鍛冶の祖とされているようです。

一方、仁右衛門の場合、子どもは赤痢で亡くなってしまいます。しかも今後予想される一層厳しい生活の中で子をなそうとするのかどうか…。

物語の題材とキレイに重ね合わせるべきだと主張したいわけではありません。ただ、「仁右衛門、カインより不幸じゃない?」と思うわけです。

物語の冒頭よりもさらに過酷な条件で再びさまよい始める、ラストシーンの仁右衛門と妻。多分彼らは、ノドの地にもたどりつけないんじゃないでしょうか。あるいは、たどり着けたとしても、また短い期間で追われるように出て行く羽目になるのでは。

「弱くてニューゲーム」でハードモードを周回していると言えば俗っぽさが過ぎますが、そう感じさせる結末でした。

■僕もコンティニューします

作中での素行の悪さを鑑みれば、仁右衛門の自業自得と言えるかもしれません。しかし、彼が奔放に生きるのは罪と言えるのかどうか。納得できない部分はその点でした。

子を失い、馬を失い、ある嫌疑をかけられ、場主(農場の責任者)に心を折られ、最終的には追われるように土地を出ていく。そしておそらくは、いずれのたれ死ぬ運命を背負っている。

果たして仁右衛門はそこまでの仕打ちを受ける重罪を犯したのだろうか?
しばらく考えても、答えが出ませんでした。

いったん結論は保留して、寝かせてみようと思います。おそらく期間をあけて、再び『カインの末裔』を読むことになると思います。数カ月後になるか数年後になるかわかりませんけれど。あるいは、有島武郎作品の評論などを読んでみると自分とは違った解釈で読み解けるかもしれません。

とても短い物語ですが、複雑な読後感ゆえにとても印象に残りました。風景が匂い立つような力強い描写と、考えても考えても納得できなかったラストシーンのせいなのでしょう。

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