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創作①怪奇月食

皆既月食

いつも通り仕事を終え、誰もいない玄関でただいま、と呟く。
呟くというよりも空間に向かって言葉をほおり投げている、といったほうが正しいのかもしれない
単身者特有の声出しのようなものだ

今日はとても疲れた
何か特別大変なことが起こったわけでもなく、仕事もそれなりにスムーズに進んだ。
それでも、すごく疲れている。

何か音が欲しくなり、ニュースをつける
今日はどうやら、何百年に一度の月食らしい
キャスターが興奮気味に、皆既月食のピークの時間を教えてくれる
「皆既月食のピークは20時41分から42分です。皆さん、この時間はぜひ月をご覧ください」
20時41分。なんだか中途半端な時間だなと思った
どうせだったらもっと真夜中に近い時間の方がロマンチックなのではないか
そんなことを考えながらコンビニで買ってきた弁当を胃に流し込む

幼い頃、月にはウサギが住んでいると母親が言っていた。
懸命にどこが頭でどこが尻尾でと説明してくれたのだが、当時の自分にはそれが、どうしても人の顔にしか見えなかったことを思い出した
それなのに、今は、
月がウサギに見えることも人の顔に見えることもない
とても不思議だ

タバコを切らしていたことに気付く
いつもならわざわざ外に出て行くのが面倒なので、しぶるところだが、
ついでに月を見ようと思った

もう11月なのに、やけに暖かい
外では人々が携帯を空にかざしている
インターネットで拾えば綺麗な写真なんていくらでも出てくるのに、何故自分で写真に収めたいのだろうか

空を仰いでみる
確かに、月は欠けている
普段見るそれとは少し違い、下の方からぼんやりと、何か黒いものに、少しずつではあるが、刻一刻と侵食されているように見える
黒くてぼんやりとしたもの
小さい頃に磁石で移動をさせていた柔らかな砂鉄の集合に似ている

月をスマートフォンのカメラでうまく撮れた試しがないため、皆の真似をすることはなかったが、
それでも確かに久しぶりの高揚感に包まれていた

どれくらい時間が経ったのだろう
真っ暗闇の中目が覚めた
今何時かわからない
時計を見ると3時手前だ
まだ起きるのには早すぎる時間だった
ふと、月の様子が気になる
カーテンを開ける
眼前に強烈な光が降り注ぐ
外の世界は自分が想像もしていなかった容態であった
世界は光に包まれていた
優しい光ではなく、何かが爆発する寸前のような、もはや全てが白光りしていてほとんど何も見えない
おびただしい熱のエネルギーを感じる

瞬時に、ああ、月の仕業だなと思った
皆既月食ならぬ怪奇月蝕だった
世界に別れの挨拶をして、ふただび目を閉じた

自分の咽び声で目を覚ました
どうやら夢を見ていたようだ
ああ、今日も生きてしまった
もう何年も会っていない母親に無性に会いたくなってまた泣いた
その日から月が頭から離れなくなっている
見上げると、それは人の顔のように見えた


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