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ジャニーズのエンタメとは何か〜スノスト、滝沢歌舞伎、少年たち、関ジャニなど

大手事務所、ジャニーズ。他のアイドルとは一線を画している。一体何がそんなに特別なのだろうか。大学の卒論として書いた2万字のレポートを掲載する。

■はじめに 

日本を代表する男性アイドルといえばジャニーズである。

テレビをつければドラマやバラエティ、更には情報番組にまでどの時間帯もジャニーズのタレントが誰かしら出演しているし、書店に行けばジャニーズが表紙を飾っている雑誌が売られている。耳をすませばジャニーズの話題が聞こえてくるし、街を歩けばジャニーズのグッズを持った人にすれ違う。彼らのファンではなくても、ジャニーズのタレントの名前と顔が一致し、ジャニーズの曲が歌えるという人はかなり多いだろう。

本論では、ジャニーズとは大手芸能事務所「ジャニーズ事務所」のこと、あるいはそこに所属するタレントを指す。ジャニーズ事務所は1962年に創業されて以来、光GENJIやシブがき隊、少年隊、SMAP、嵐など多くの国民的スターを世に輩出し続けている。2020年現在、関ジャニ∞やKing & Princeなど17組のグループ、木村拓哉や生田斗真など14人の個人アーティスト、Travis JapanやHiHi Jetsなど9組のジャニーズJr.内ユニット、さらに数百人ものジャニーズJr.及び関西ジャニーズJr.らが所属している。 

博報堂が調査した「コンテンツファン消費行動調査2020」によれば、同年の支出喚起力ランキング1位は624億円で嵐、3位は256億円でKing & Prince、9位は133億円でKis-My-Ft2、10位は121億円でSnow Manとジャニーズ勢が4組ランクインしている。支出喚起力とは、コアファンによる年間の関連市場規模の指標であり、自社の商品やサービスそのものにコンテンツを組み込んだオリジナルの企画を開発し、コンテンツファンの実際の購買を目的とする際に、どのくらいの売上規模が見込めるか推計するものである。このデータより、彼らの市場における影響力の大きさがわかる。 

平たく言えばジャニーズは「アイドル」であるが、歌って踊るだけではなく、作詞作曲、舞台やモデル、声優やナレーション、プロデュース業など、彼らの活躍の幅は非常に広い。とはいえ、アイドルがマルチに活動することは昨今珍しいことではない。同じ男性タレントとして俳優、声優、お笑い芸人などを挙げても彼らを見ない日はなく、幅広い分野で活躍しているといえる。ただ、他と圧倒的に異なるのは、ジャニーズには男性タレントしか所属していないという点である。小学生から50代のベテランまで、男性タレントのみで形成された彼らの存在は極めて特異的であろう。 

2019年7月、ジャニーズ事務所を築き上げたジャニー喜多川が逝去した。彼は一芸能事務所の社長に過ぎないが、その死はニュース速報をはじめとしてマスメディアでも大々的に報道された。そのことからも、ジャニーズ周辺だけでなくメディア界においても彼の存在が大きかったことがわかる。
他社のアイドルやタレントとは一線を画する巨大組織「ジャニーズ」とはそもそも何なのだろうか。

本論文ではジャニー喜多川が最重要視していた「ミュージカル」に焦点を当て、ジャニーズ流のエンタテインメントについて考察していく。タイトルでもある「ジャニーズ流のエンタテインメントとは何か」が、本論文の大きな問いである。この問いに対して、ジャニーズ流のエンタテインメントとは、ジャニー喜多川の独特な目線を体現したものであると仮説を立てる。

ジャニーズのオーディションの合格基準は一般人にはよくわからない。不合格だったにも関わらず、帰り際にジャニーに話しかけたから合格になったというケースがある。ジャニーズ入所への第一歩となる合否を決めるのもジャニー喜多川の独自の価値観であり、ユニット結成やデビュー決定をするのも彼の判断であり、コンサートやミュージカルの監修や演出も彼の手が加わる。実際はその場にいるスタッフやタレントらが支え合っているとしても、かなりジャニー喜多川のワンマン運営だといえる。

それゆえにジャニーズの独自な世界観が作り出されているのではないだろうか。 本研究では主に文献調査と映像作品の分析を行うことで仮説を検証していく。

本研究は、文化社会学的視点から日本を代表する男性アイドルとアメリカやオリエンタリズムと関連付けて述べることで、戦後日本のサブカルチャーの在り方を考察することを目的としている。


■先行研究


ジャニー喜多川


ジャニー喜多川は1931年にロサンゼルスで日本人の両親のもとに生まれた日系アメリカ人二世である。ジャニー喜多川という名は芸名ではなく、純粋に彼のルーツがアメリカにあることを表している。

彼の父・喜多川諦道は真言密教の導師であり、高野山米国別院の主監として現地に滞在していた。太平洋戦争時に姉のメリーと共に和歌山に疎開していたジャニーは、1945年7月9日、アメリカ軍による空襲にあった。死者1,200人以上、家屋3万1,000戸焼失という大規模なものである。彼らはアメリカで生まれたのにアメリカ軍に攻撃されるという悲痛な体験をしたのである。終戦後アメリカに戻ると、ジャニーは地元の高校で音楽を専攻すると同時に、ロサンゼルスの有名な劇場で裏方としてアルバイトをした。

諦道は別院を地元の日系人たちのコミュニティにしようと考えていた。そこで、バザーなどのイベントが開催できるように、収容人数1,000人ほどの大規模な会堂を建てた。戦後日本の芸能人がアメリカで公演することがステイタスとされていた時代にこの会堂こそが会場として使われ、そのステージには女優の田中絹代、歌手の笠置シヅ子、美空ひばりらが立ったという。これらの経験を通し、ジャニーは「当時の最先端のエンタテインメントをこの寺院で目の当たりにした」のである(矢野2016:19)。

ここでジャニーはある商売を始めた。公演を行う芸能人の写真を1枚50セントで売り、その売上金をタレントの所属事務所に渡す「生写真ビジネス」である。このときまだ学生だった彼はすでに「肖像権」でビジネスをするという価値観を持っていたのである。

1952年、アメリカ国籍をもつジャニーは朝鮮戦争にアメリカ兵として徴兵された。そこでは韓国の災害孤児となった少年たちに英語を教えていた。1年2カ月の兵役期間が終わり再び日本に戻ると、アメリカ大使館軍事援助顧問の事務員として代々木の米軍関係者居住施設であるワシントンハイツに住むことになった。ジャニーはその敷地内のグラウンドに日本の子供たちを集めて、「ジャニーズ少年野球団」として野球を始めた。これがジャニーズの始まりである。

このように、ジャニー喜多川はアメリカ人としての背景と日本人としての背景を併せ持っているのである。この件について、ジャニーズについて研究する有識者らは次のように述べている。

自分が生まれ育った国・アメリカから攻撃された体験を持つ少年は、その後そのアメリカ側の人間として、敗戦国・日本の少年たちに野球というアメリカ発祥のスポーツを通じて関わっていこうとする。要するに彼自身、戦争において敗者でも勝者でもあった。/つまり、ジャニー喜多川は、アメリカと日本のどちらかだけに属することなく、そのあいだを揺れ動いている人、言うなれば日米の境界線上の人なのではないか?(太田2016:28)
ジャニーにとってエンタテイメントは、日本に“教えるべき”アメリカ文化のひとつだった。(中略)これら(ジャニー喜多川が重視していた個性の尊重と機会の平等)は、アメリカが戦後日本に教えようとした民主的な価値観とすくなからず重なってくるということだ。ジャニーにとって芸能活動とは、いわば民主的な教育機関としての役割を担っている。(矢野2016: 21-25。括弧内引用者)


ジャニーズとミュージカル

ジャニー喜多川はCDを売り上げることよりも劇場でミュージカルやコンサートを上演することに重きを置くことで知られている。2011年には「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」としてギネス記録に認定された。また、ジャニーズにはCDを発売して歌って踊る「アイドル」ではなく、生田斗真など舞台をメインに活動する「舞台班」と呼ばれるタレントも多く所属している。ここでは、大谷ほかの『ジャニ研!』(2012)を参考に、ジャニーズとミュージカルについて調査していく。

ジャニーズが主催するコンサートやミュージカルを見に行くには簡単なことではない。人気公演だから抽選に漏れてしまうという面ももちろんあるが、そもそも「一般の人」がチケット販売に申し込みをすることさえもできないのである。ジャニーズにはファミリークラブと呼ばれるファンクラブがある。グループごとにファンクラブはあり、例えば嵐と関ジャニ∞を掛け持ちしている人は二つのファンクラブに入会する必要がある。年会費4,000円と入会費1,000円を支払い、「ファミリー」になることで初めてチケットの抽選申し込みをする権利が与えられるのである。もちろん申し込みができても、先述の通りその抽選で当選しなければならず、「参戦」までの道のりは長い。

この「囲い込みビジネス」はジャニーズが簡単には手の届かない存在であることを示すとともに、彼らのステージもまた軽い気持ちで見ることはできない特別な空間であることを演出しているものと思われる。また、他の事務所のアーティストや近年女性を中心に人気コンテンツになっている2.5次元ミュージカルなどは、映画館で公演を中継するライブビューイングを行うことがよくあるが、ジャニーズにおいては非常に稀なことである。

ジャニー喜多川は彼の送るエンタテイメントをジャニーズと「ファミリー」になることを決意した「選ばれし者」にのみ提供したいのである。

先述のとおり、ジャニーズはもともと少年野球チームであったが、ジャニーと彼らがミュージカル映画『ウエスト・サイド物語』を見たことがきっかけで、歌って踊るジャニーズへと変貌したという。それ以来、今まで絶えず事務所の誰かがミュージカルを上演している。

1965年には石原慎太郎作『焔のカーブ』に初代ジャニーズが出演し、1967年にはジャニー作『いつかどこかで』が上演され、1973年には永六輔作『見上げてごらん夜の星を』をフォーリーブスが再演した。その後も『少年たち』、『PLAY ZONE』、『SHOCK』や『滝沢歌舞伎』など、単発ではなく毎年上演されるシリーズ化した舞台も多く生まれた。

・SHOCK/堂本光一

ここでは先行研究をもとに、主にKinKi Kidsの堂本光一が座長を務める『SHOCK』シリーズについて考えていきたい。

2000年の『MILLENNIUM SHOCK』から始まり、2005年以降は『Endless SHOCK』として毎年上演されている人気ミュージカルである。2020年現在で通算公演回数は1791回、来年2月に予定されている公演の上演中に1800回を超えるという。

おおまかなストーリーの流れは、コウイチ(堂本光一)率いるミュージカルカンパニーがブロードウェイを目指すというものである。出演者はみな役名もキャラクターも本人のまま登場する。これは「吉本新喜劇と同じ仕組み」でもある(大谷ほか2012:240)。

『SHOCK』ではフライングなど派手な演出が用いられるが、その代名詞ともいえるものが8メートルにも及ぶ20段以上の階段落ちである。

このシーンは歌舞伎や新選組、池田屋などの要素が混ざり合った「異様」なジャニー喜多川の「オリエンタル妄想」であり、「歌舞伎=見得を切る=切られて会談を落ちる」という方程式の上で成り立っていると指摘されている(大谷ほか2012:251)。

また、ストーリーの主軸とは別に、シェークスピア作品などがコウイチらの劇団による劇中劇として組み込まれている。そして、このシリーズのキーワードは劇中に何度も繰り返される「Show must go on」である。これは「ショーという純然たる虚構の世界に殉じる覚悟の象徴」であるという(太田2014:115)。

このように、単にアメリカを再現するわけでもなく、日本を表現するわけでもなく、そのどちらの要素も組み合わせたエンタテイメントを作り出すことこそが「ジャニーズ流」といえるのではないだろうか。


ジャニーズとオリエンタリズム


実際、ジャニーズには「和」を感じさせるモチーフが多く散りばめられている。例えば過去には「光GENJI」や「忍者」、「シブがき隊」と名付けられたグループが所属していた。2018年には「King&Prince」といった洋風な名前のグループがデビューしているが、今もなおジャニーズJr.内には「7MEN侍」や「少年忍者」といったユニットが存在している。このようにグループ名だけ見てもジャニーズと「日本らしさ」には密接な関係があることがわかる。この点に着目しながらミュージカルには必要不可欠であるジャニーズの楽曲について見ていきたい。

・スシ食いねェ!/シブがき隊

まず、シブがき隊を挙げる。彼らは「サムライ・ニッポン」(1984)や「アッパレ!フジヤマ」(1984)、「べらんめぇ!伊達男」(1984)など、「日本らしい」単語が入った楽曲をうたった。

ここではその一つの「スシ食いねェ!」(1986)を取り上げる。グループ自体は1982年から1988年までの短い期間で活動を終えてしまったが、この曲はジャニーズJr.のコンサートや年末にジャニーズが大集合するカウントダウンライブなどで現在も歌われ続けている。

この曲は、「ヘイ・ラッシャイ!」という掛け声とともに、「トロは中トロコハダアジ」といった具合に寿司のネタで歌詞の大半が構成されている。矢野(2016:132)は、これを「音楽性よりもコンセプトや企画、わかりやすく言えば『ネタ』が先行した珍妙な」ノベルティソングだと表現している。

この寿司という題材は「アメリカ人好みのステレオタイプな日本イメージ」であり、実際にこの曲は英語版である「Oh! Sushi」が作られている。この歌詞に注目していきたい。

一見原曲のように寿司のネタを英語で歌っているのだが、「カツオカンパチウニイクラ」の部分が「KATSUO is a SAZAE’s brother」となっている。日本語と英語では語感や音韻、単語が使う尺が異なることから、翻訳時に歌詞を変えることはよくあるが、ここでは「カツオはサザエの弟です」と、日本の国民的アニメ「サザエさん」にちなんだ「ジャパニーズジョーク」に変わっている。

原曲の「のれんをくぐれば天国」「日本のほこりさスシは」はひねりなく素直に「There is PARADISE」「Sushi is pride of ALL JAPAN」と訳されている。日本語で見るとなんだか「とんちき」な面白い歌詞であるが、英語になると何の疑問を持つこともなくしっくり内容が入ってくる。矢野はこれを以下のように指摘している。

「素人」っぽさを利用するシブがき隊は、歴代ジャニーズのなかでもいちばん“日本型“のアイドルに近い存在と言える。アメリカでも通じる高度なショービジネスを目指すジャニー喜多川の志向性からすれば、シブがき隊は異色の存在だ。(中略)シブがき隊を見ていると、それがいかにもアメリカ由来の発想だ、ということに気付く。/シブがき隊のノベルティソングは、アメリカから日本へ向けられた視線、すなわちジャパニズムによって成立している。/(中略)/ジャニーズにおける日本とは、外国人が、日本と言えばスシ、サムライ、フジヤマを連想するのと同様の、なかば誤解を含んだものとしてある(矢野2016:132-133)。


・お祭り忍者/忍者

ジャニーズ楽曲においてこのような事例は少なくない。そこで次に「忍者」に注目したい。彼らも1985年から1997年と活動期間はジャニーズの中では比較的短かったものの、その楽曲はシブがき隊と同様に今も歌い継がれている。

彼らのデビュー曲「お祭り忍者」は美空ひばりの「お祭りマンボ」、二作目の「リンゴ白書」は同じく美空ひばりの「リンゴ追分」、三作目の「おーい!車屋さん」も同「車屋さん」のリメイクになっている。

また、「日本ブギ」、「早口ブギ」は「東京ブギウギ」や「買物ブギー」などを歌った終戦後の「ブギの女王」笠置シヅ子を意識している。

彼女らには共通点がある。それはジャニーがまだ学生だった頃、渡米して彼の実家の会堂でコンサートを行っていたことである。美空や笠置ジャニーの目に「日本」を焼き付けた人物であると言っても過言ではない。

「祭り」「車屋」のような和のモチーフと、美空ひばりの「江戸っ子的な方向性」、笠置シヅ子の「関西弁的な方向性」のテイストを掛け合わせたグループとして忍者が生まれたのである。


・好きやねん、大阪。/関ジャニ∞

続いて関ジャニ∞を見ていきたい。近年の彼らはTOKYO METROPOLITAN ROCK FESTIVALに出演するなど、バンド路線で活躍しているが、デビューから数年はシブがき隊や忍者の系譜を受け継いでいた。

彼らのデビュー曲「浪花いろは節」はテイチクレコードから発売されており、オリコンでは演歌チャートで扱われた。実際は本格的な演歌ではなく、ラップ調のリズムに乗せて「いろはにほへと……」といろは歌を歌っている。音楽番組ではメンバーが和太鼓を叩く演出が披露された。もちろん現代において五十音を「いろはにほへと」と表す人はおらず、典型的な「日本」が表現されていると言える。

関ジャニ∞の二枚目のシングルは歌謡曲調の「大阪レイニーブルース」であるが、このタイトルが指すブルースは黒人音楽ではなく、「伊勢佐木町ブルース」、「柳ヶ瀬ブルース」のようないわゆるムード歌謡であると考えられる。「帰られへん戻られへん」と関西弁で哀愁を漂わせながら歌う曲である。

さらに「ヒョウ柄服」「ビリケンさん」などこちらも大阪色全開の「∞SAKAおばちゃんROCK」、岸和田のだんじり祭りをテーマにした「F・T・O」などと続く。

また、彼らは「服部良一〜生誕100周年記念トリビュート・アルバム」にて先述の笠置シヅ子「買物ブギー」をカバーした。忍者のようにノベルティ感のやや強い「和」のテイストが関ジャニ∞のカラーとなっており、矢野も「ジャニーズにおいては、どうも大阪というのが過剰にオリエンタルなものとして面白がられている印象がある」(矢野2016:142)と述べている。


とりわけここで注目したいのが「まいどあり」「商売繁盛」など大阪色が強い歌詞の「好きやねん、大阪。」である。タイトルになっている通り、「やっぱ好きやねん」という歌詞とセリフも多い。

ここで思い出すのがやしきたかじんの「やっぱ好きやねん」である。大阪の人気者であった彼をオマージュした楽曲かもしれないことは安易に推測できる。実は、この曲は東京出身の鹿紋太郎によって書かれた似非関西弁の歌詞である。「やっぱ」というのは関東の話し方であり、関西では「やっぱし」が一般的で、やしき本人も違和感を覚えたという。

この事例は、まさにジャニーズの世界観の表し方とのアナロジーといえるのではないだろうか。外部(関東)の者がある地域(関西)を「誤解」を含んだイメージで語る、外部の者からすると違和感はないかもしれないが、語られる側にとってはなんだかおかしい。

日本にとっての外部=アメリカのジャニー喜多川が、日本をミュージカルや楽曲を通して表現するとき、語られる側=日本人からすると、それは珍妙なものに感じられるのである。

数々のユニークなジャニーズの表現は、日本国内の文脈だけでは系統立てて理解しにくい。/しかし、そこにジャニー喜多川という人物が体現していた「アメリカ」という視点を入れると、途端に見通しが良くなる。/ジャニーによるエンタテインメントは、「日本人のアメリカ化」という文脈のなかでとらえなくてはならない。(矢野2016: 29-30)


・JAPONICA STYLE/SixTONES

ここまで古いグループや楽曲についてみてきたが、では最近のジャニーズ楽曲における「日本らしさ」はどうなっているだろうか。

2020年にデビューしたばかりであるSixTONESのジャニーズJr.時代の曲に「JAPONICA STYLE」がある。直訳すれば「日本趣味様式」だろうか、いかにも「和」なタイトルであり、和とEDMが融合したような曲調になっている。

歌詞を見ていくと「Japonica!」から始まり、「わびさび」「諸行無常」などの「和」の単語と「hurry up」「give up」などの英文が混在している。4回繰り返される「夢恋桜」というフレーズはサビに登場する「はかなきJaponica style」の具体例であろう。歌舞伎や浄瑠璃などで演じられる演目のイメージのようにも感じられる。

では彼らが忍者や関ジャニ∞の系譜を継ぐグループかというと全く違う。SixTONESの「和」はあくまでこの曲に限ったものであり、「JAPONICA STYLE」においても「ノベルティ感」は全くない。MVでも和装はしていないし、和太鼓を叩くパフォーマンスもない。視覚で確認できる「和」は、所々で扇子を持ったカットや屏風の部屋を背景にしたカットが映るくらいである。今風でかっこいい「和」を体現する新しいジャニーズ流ジャポニズムを体現しているのである。

また、この曲には英語に翻訳された「JAPONICA STYLE [English Ver.]」があり、そのリリックビデオがYouTubeに公開されている。この動画での彼らはというと、私服のようなラフな格好でヘッドホンをし、マイクに向かってレコーディングをしているだけで、シングルCDの特典DVDに収録されているメイキング映像のような動画である。英語バージョンであるこの動画は、少なからず海外への発信を目的としているに違いない。それなのにもかかわらず、「和」を前面にアピールしていないのである。

この曲はジャニーズ事務所が初めてYouTubeに進出した際に「ジャニーズをデジタルに放つ新世代」のキャッチフレーズと共にYouTubeに掲載されたものである。新世代の新しい取り組みと同じように、令和世代においては「和」の解釈の仕方もまた新しくなっているのである。

とはいえ楽曲が制作された2017年の「ジャポニカスタイル」は「夢恋桜」だろうか。これもアメリカ人から見た「誤解された」日本の姿であろう。


さて、ジャニーズの根源には野球(ベースボール)とブロードウェイミュージカルがあると述べた。そしてジャニー喜多川はミュージカルに重きを置いていたことも既に指摘した。彼は〈アメリカ〉を日本に持ち込みたかったはずである。それなのにどうして彼は「ジャパニズム」を押し出すグループをもプロデュースしていたのだろうか。


彼のルーツがアメリカにあることは既に述べたが、彼が純粋なアメリカ人ではなく、日系アメリカ人二世であることが、ここまで見てきたジャニーズ楽曲の特異性に繋がっているのではないだろうか。

和を連想させるグループ名や楽曲、歴史物や歌舞伎を扱ったミュージカルなど、ジャニーズと「ジャパニズム」は密接な関係にある。その「和」が自覚的か非自覚的にか「誤解」されていびつに表現されている場合がかなり多く、ファンの中では「とんちき」だと言わることがしばしばあると上述した。

エドワード・サイードの『オリエンタリズム』によれば、「オリエント」は「ヨーロッパ人の頭の中で作り出されたもの」だという。オリエンタリズムの考え方は、西洋が自らを優位にし、「東洋」を「後進的でエキゾチックな」ものとみなすものである。

ジャニー喜多川もまたアメリカ人として「上からの」目線から異国趣味として「日本らしさ」を取り入れたエンタテインメントを提供していたのであろうか。後述するが、単に上から見下ろすような姿勢では、これほど多くのファンからの指示を得ることは出来なかっただろうが、彼の複雑な生い立ちがジャニーズの「世界観」に一貫して影響を及ぼしていたことは確かであるように思われる。
次の章ではジャニー喜多川が最も大切にしていた舞台作品について分析していく。

■ジャニーズと舞台


PLAYZONE


1986年に青山劇場にてジャニー監修のもと始まったミュージカル『PLAY ZONE』は2008年まで少年隊主演で毎年夏に上演され続けた。2009年にはジャニーズJr.が、2010年から2015年までは今井翼が同所で主演を務め、青山劇場の閉館とともにPLAYZONEシリーズは幕を閉じた。通算公演回数は1,232回にも及び、総動員数は173万7,450人にも上った。

・PLAYZONE 2010/今井翼

まず、今井翼が初めて当シリーズの座長を務めた『PLAYZONE 2010〜ROAD TO PLAYZONE』を見ていく。本作では、マイケル・ジャクソンの振付師であるトラヴィス・ペインがダンスの振付けを手掛けたことが話題を呼んだ。

生きるために盗みを繰り返していたスラム街の少年たちがある日ショーに魅せられ、ステージ上のスターを目指す物語である。『SHOCK』と同様に、本作中の役名は演じる者の名前と同じであり、例えばA.B.C-Zの戸塚祥太はショウタ役であるが、劇中では普段の愛称である「とっつー」と呼ばれている。また、ツバサが「タッキー元気かな」と同じユニットの相方の名前を出すシーンもある。また、カンパニーの座長を務めるツバサを演じるのは実際の座長である今井翼であり、座組みを仕切るヤラは振付けを担当する屋良朝幸、彼らに憧れる少年は当時デビューしたての中山優馬と、川島如恵留や七五三掛龍也らデビュー前のジャニーズJr.が演じている。

役名だけでなく、実際の立ち位置や上下関係も舞台にそのまま持ち込まれており、現実とフィクションがメタ構造を成しているといえる。その他に大きな特徴として挙げられるのは、劇中のショーパートはどれもブロードウェイを連想させるところである。

・PLAYZONE ’11/今井翼

次に、翌年に上演された『PLAYZONE ’11 SONG&DANCE’N.』を見ていきたい。この公演は2010年とは大きく異なり、タイトル通りそのほとんどが歌と踊りのパートで、お芝居としてのストーリーはない。さらに、近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」(1981)やSMAPの「$10」(1993)、KinKi Kidsの「硝子の少年」(1997)など往年のジャニーズの名曲が披露されている。曲のイントロ部分ではそれぞれ当時の近藤真彦らの映像が上映された。

前年の公演ではショーパートのブロードウェイらしさが目立ったが、今作ではスーツをまとったムーディーなダンスからスウェットやジーンズを着たストリート系のダンス、電飾隊の衣装が光るパフォーマンスなど幅広く提供された。また、ほとんどの曲がフォーメーションを意識したマーチングのような振り付けになっていた。

中でも気になった演目が3曲あるため、ここで記したい。
「約束の場所」はきらきらした衣装を着た今井が客席に降り、観客に手を振りながら歌うものである。その姿はまさにスターさながらである。「ここは約束の場所たどり着いたんだ」という歌詞からツバサが何年もの月日をかけてようやくステージに立つことができたのだと推測できる。

続く「一夜の夢」では、打って変わってネオンが怪しく光るアングラ感のある背景が映し出され、そこでジーンズにタンクトップというラフな格好でヤラら数名によるストリートダンスが行われる。「僕らのキスに罪はないのさ」「踊ろうよ朝まで」といったアダルトな雰囲気の歌詞で、曲の後半には服を脱ぎ、鍛えられた上半身を見せながら力強く踊る。彼らがストリートで欲望のままに恋やダンスに生きている様子が伝わる。

そして3曲目の「ずっと仲間」では、ブランコや滑り台など公園のようなセットが登場し、ジャージ姿でユウマとジャニーズJr.らが躍る。「夢をきっとつかみたいから」「僕らかけがえない仲間さ」という歌詞は、まるで放課後に公園で夢を語り合うようなピュアな少年たちを表現しているであろう。

この3曲を通して伝えたいことは、今作ではセリフやストーリーがなかったものの、各演目が実はキャストの立場や関係性を暗示していたということである。タッキー&翼として表舞台で活躍していた今井、CDデビューはしていないものの振付師として広い活躍を見せる屋良、デビューを目指して活動するジャニーズJr.とデビューしたての中山、等身大の彼らがそのまま曲と踊りに反映されていたのである。


また、2011年の公演中には、『PLAYZONE』初演の1986年からプレゾンの歴史を振り返る映像とともに、その年に生まれたキャストを紹介するコーナーが設けられていた。例えば、1994年の公演映像とともに同年に生まれた中山らの赤ちゃん時代の写真が映し出され、それについてコメントするといった具合である。

プレゾンシリーズにはメタ構造が散りばめられていると述べたが、もはや設定が「メタ」ではなく「リアル」なのである。プレゾンとはショーを目指すリアルなジャニーズを舞台上で再現したものであり、プレゾンの歴史はジャニーズの歴史、ジャニーズの歴史はジャニーズタレントの歴史、そしてファンの歴史なのである。


『少年たち』

刑務所を舞台にしたミュージカル『少年たち』は作・企画・構成・演出ジャニー喜多川のもと1969年から1976年まで日生劇場ほかでフォーリーブスにより上演され、2010年からは日生劇場でジャニーズJr.、大阪松竹座で関西ジャニーズJr.の主演により毎年内容を変えながら若手の登竜門として再演され続けている。

・2010年/Kis-My-Ft2・A.B.C-Z


ここでは24年ぶりに上演された『少年たち 格子無き牢獄』(2010)を見ていく。初めに、日生劇場で当時ジャニーズJr.であったKis-My-Ft2とA.B.C-Zにより上演された公演から見ていく。

上手と下手にそれぞれ風神雷神、バックの大きなモニターには龍が見守る中、白虎隊のような白い衣装をまとい、殺陣のシーンから始まる。その後、舞台上に橋が出てきて「義経」のワンシーンが始まる。そこに赤と青のつなぎを着た囚人たちが登場し、舞台は刑務所へと移る。ここでも役名はそのまま演じる者の名前である。シリアスな物語の中、コメディ要素も含まれながら話は進んでいく。

第二部はショータイムである。出演者たちは白いタキシードを身にまとい歌って踊る。「Hellow Broadway」や「君の瞳に恋してる」、「New York, New York」などブロードウェイを連想させる曲を8曲英語で披露する。その後、白や黒を基調とした衣装で各グループ一曲ずつオリジナル曲を歌う。

・2010年/関西ジャニーズJr.

続いて同年に大阪松竹座で関西ジャニーズJr.によって上演された公演を見ていく。

東京公演と同様に風神雷神と見守る中、扇子を持ち法被をアレンジしたような衣装で幕が上がり、殺陣が始まる。鬼のツノや兜のようなものを頭につけている者もいる。その後、和太鼓の演奏や「変面」のパフォーマンスが行われ、そのまま囚人たちの喧嘩が始まり舞台は刑務所へと移る。

ここでも役名は演者の名前のままで、出演者に合わせて関西弁のセリフになっている。また、実際に三兄弟である室龍規・室龍太・室将也が出演しているが、彼らは劇中でもそのまま兄弟役になっている。

大まかなストーリーは同じであるが、関西ということでお笑いコーナーも多く設けられている。また、メインのKis-My-Ft2とA.B.C-Z、看守役のMis Snow Manの3グループと3名のジャニーズJr.しか登場しなかった東京公演とは異なり、大阪公演では関西ジャニーズJr.がほぼ総出演している。

第二部は同じくショータイムであるが、こちらにブロードウェイ要素はなく、衣装も普段のものであり、一曲目から彼らのオリジナル曲が全17曲披露される。これは「少年たち」ではなく関西ジャニーズJr.の単独コンサートといっても過言ではない。彼らの曲は特別「和」でも「アメリカ」でもない曲であるが、いろは歌を題材にした演歌扱いの「浪速いろは節」や美空ひばりの楽曲をアレンジした「お祭り忍者」が歌われている。これらの披露時には法被姿で神輿を担いでおり、「関西=祭り」の考えが反映されていると言える。

・映画/SixTONES・Snow Man


初演から50年を迎えた2019年、今作はSixTONESとSnow Man、関西ジャニーズJr.らが大集合し、『映画 少年たち』としてジャニー喜多川製作総指揮のもと映画化された。少年刑務所を舞台に物語は展開されていく。舞台セットの元となった重要文化財である旧奈良監獄がロケ地になっており、どのシーンもリアリティにあふれている。

映画とはいえ、従来のミュージカルさながらに劇中に何度も歌唱シーンがある。冒頭の「Fire Storm」「Shadow」「JAPONICA STYLE」「Ⅵ guys Snow Man」歌唱シーンはワンカメノーカットで撮影されており、非常に見応えがある。

中でも終盤のショーパートは煌びやかである。桜吹雪の舞う中、ジャニーズではお馴染みの変面、タップダンス、ローラースケート、アクロバット、フライングなど様々なパフォーマンスをHiHi Jetsや美 少年ら次世代を担うジャニーズJr.が披露する。

その様子はまさにジャニーズのミュージカルそのままであり、あの空間こそジャニー喜多川が目指した「ジャニーズワールド」であろう。

この映画は公開日から10日間で計34回、丸の内ピカデリーに出演者がランダムで登場しその場でパフォーマンスを行う「映画と実演」が実践された。

これは昔の映画ではよくある形だったらしく、ジャニー喜多川が提案したものだという。彼がミュージカル、つまり生のパフォーマンスを重視していたことがよくわかる取り組みの例といえよう。

ショーパートをメインに考察してきたが、少年と看守が敵対する物語という内容は、ジャニー喜多川自身が体験した戦争の記憶からきているのかもしれない。

『滝沢歌舞伎』

『滝沢歌舞伎』の歴史は長い。作・演出・総合演出ジャニー喜多川のもと滝沢秀明主演の時代劇LIVEミュージカルとして『滝沢演舞城』が2006年から新橋演舞場にて上演された。2010年からは『滝沢歌舞伎』とタイトルを改め日生劇場で、2014年から再び新橋演舞場にて上映され続けている。シリーズ10周年にあたる2015年には海外公演の少ないジャニーズとしては非常に稀で、ジャニーズ制作の舞台としては初のシンガポール公演も果たした。

・2018年/滝沢秀明

前節までやや懐かしい公演を見てきたため、本節では最近の公演に注目したい。そこで滝沢秀明、三宅健、長谷川純らが出演した『滝沢歌舞伎2018』を見ていく。

滝沢のフライングとともに華やかに幕を開ける。舞台上には大きな屏風のようなセットがあり、バックで踊るジャニーズJr.は大きな金色の扇子を持っており、「和」の幕開けという具合である。だが、このあと女性ダンサーによるバトントワリングという非常に「洋」なパフォーマンスが入る。

続く「SPARK」ではスーツを着た三宅が歌って踊るが、ここに「和」はなく、いたって「普通」のJPOPらしいものである。

そして一転、「戦〜IKUSA〜」が始まる。鎧のような衣装をまとって刀を持って戦う殺陣アクションの「和」な演目である。とはいえ、そのBGMとして流れているものはアクションに合わせたロックのような楽曲であり、和楽器などではない。

次いで「ピアノとチェロ」では長谷川が切なげなピアノの音色を奏で、タップダンスを披露し、「MASK」ではアンティークな雰囲気で三宅がダンスを披露する。

次は「変面」である。これは顔を覆うマスクの色を次々に変える中国の芸能であるが、その衣装は海賊のようなものである。

「浮世艶姿桜」は滝沢と三宅のユニット・KEN☆Tackeyの楽曲である。百花繚乱などの言葉と和風の音階で構成された曲であるが、アップテンポで、二人はジャケットにハットという格好で歌う途中、キャストが乗るセグウェイに電飾体が仕掛けてあり暗闇に光るエレクトリックな演出もある。

ここで前半が終了し、舞台上で滝沢と三宅が白塗りを行う。本来裏で行うべきことをあえて見せてしまう大胆な演出である。この間、ジャニーズJr.の林翔太と谷村龍一がMCを務め、当時の映像とともに滝沢歌舞伎の歴史を振り返る。これは前述した『PLAYZONE』にもあった演出であり、ジャニーズにおいて歴史を振り返ることは重要な意味を持っているのである。

そして、Snow Manらによる「Thousand Suns」の歌と踊りや化粧を終えたばかりの滝沢と三宅のトークを挟み、ようやく創作歌舞伎が始まる。

美しい女形に扮し、切なげな表情を浮かべる滝沢の前に立役の三宅が現れ、日本舞踊の舞をする。LEDライトのようなものでできたパネルに赤い糸やハートを映し出すなど、「和」だけではなくテクノロジーとの融合がみられる。

その後、今回の公演のテーマである虹をバックに色とりどりの紙吹雪とともに踊り、第一幕は幕を閉じる。

第二幕はバトントワリング、Ken☆Tackeyの「青き日々」で始まる。

そしてかの有名な「五条大橋」が演じられる。弁慶に扮した岩本照と、桃色の布をまとい牛若丸を演じる滝沢のフライングを用いた力強くも美しいパフォーマンスと舞台に降り注ぐ桜吹雪は圧巻である。

この演目は『滝沢演舞城』の初演時2006年から行われている。というのも、2005年にNHKの大河ドラマ『義経』で滝沢が主役・源義経を演じたからである。このドラマなしに『滝沢歌舞伎』シリーズは生まれなかっただろう。

そして雰囲気は変わって長谷川のダンディな「Julia」、滝沢の切なくも情熱的な「記憶のカケラ」、ダンスが揃ったSnow Manの「Boogie Woogie Baby」、滝沢のフライングをバックに歌う三宅の「LAST FOREVER」と歌とダンスが続く。

本シリーズの代名詞である「太鼓」は、上半身の肉体美を見せながら和太鼓を叩く演目である。仰向けから45度くらい起き上がった体勢や縦に360度回転する装置で逆さになった状態での過酷な演奏から、「腹筋太鼓」と呼ばれている。

汗の飛び交う場面から一転、Ken☆Tackeyの「逆転ラバーズ」はポップでキャッチーな彼らのデビュー曲である。

「Shadow Dance」ではスクリーンに映し出される龍の影と戦う。「美」「絆」「愛」といった漢字が何度も映し出される様子は前述の「JAPONICA STYLE」を思い出させる。

続いて「鼠小僧」はコメディ要素も含む鼠小僧をモチーフにした時代劇である。この演目も2014年から繰り返し上演される恒例のものである。

先に見てきた舞台二作品と違い、出演者に役名が与えられてはいるものの、鼠小僧役の滝沢が、お丸役のSnow Man深澤に「ジャニーズJr.」と言う場面がある。物語の世界観は作られているものの、それが完璧なフィクションではないところがジャニーズミュージカルの特徴なのである。

最後の「WITH LOVE」ではリハーサル風景を流しながら座長・滝沢が、桜をバックに手話の振り付けとともに出演者総出で感動的に歌いあげる。フィナーレの「LOVE」では手拍子と笑顔で明るく、かつフライングで華やかに幕を閉じる。

・ZERO/Snow Man

滝沢秀明引退後の2019年には、当時ジャニーズJr.であったSnow Manが座長を引き継いで『滝沢歌舞伎ZERO』(以下、ZERO)が上演された。
本公演は二部構成であり、第一部では歌や踊りのエンタテインメントショー、第二部では時代劇のお芝居が繰り広げられる。

300万枚もの桜吹雪を降らせる演出(通称・ドカ桜)とオープニング曲の歌唱と共に幕が開く。座長挨拶の後は女性バレリーナやバトントワラーの西洋風の踊り、続けてSnow ManとジャニーズJr.によるダンスパフォーマンスが和の音楽に合わせて行われる。

「殺陣(モノクロ)」はバトルを感じさせるような音楽に合わせ、ペンライトのように光る剣を用いてダンスと殺陣を組み合わせたパフォーマンス、刀とアクロバットを組み合わせたアクションの演目である。続いてSnow Manは白、女性ダンサーは青のアラジンとジャスミンを連想させるエキゾチックな衣装で変面を披露する。

「Maybe」ではメンバーの歌に合わせてラウールが一人踊りで激しい感情を表現する。

バラード曲「My Friend」では渡辺が歌唱し、宮舘がフライングを披露する。実はこの二人は生まれた病院が同じという幼馴染みであり、役名はないもののこれも現実とフィクションがメタ構造になっているといえる。

次は滝沢歌舞伎の大目玉、「腹筋太鼓」である。太鼓がもつ「和」の雰囲気と、その汗を飛ばしあう様子が日本男児の力強さを表現している。

ここでSnow Manオリジナル曲「Make It Hot」が披露される。

ここからようやく「歌舞伎」に移る。ジャニーズJr.林翔太が滝沢歌舞伎の沿革などを語っている間、ステージ上でSnow Manは自ら歌舞伎の準備である白塗りをする。またこの間「義経」の一部・五条大橋の場面が演じられる。

そして本格的に「滝沢歌舞伎」が幕を開け、創作歌舞伎が始まる。「五右衛門ZERO」では隈取りを施した岩本らが歌舞伎の踊りをする。続く「桜の舞」では阿部と佐久間が女形に扮し華麗に舞う。そして第一部の最後は出演者たちよる「総踊り」である。「乱れ踊る花鳥風月」という歌詞と共に歌舞伎の動きを取り入れながら踊る演目であるが、この曲調はとてもアップテンポでJPOPらしい楽曲である。


第二部では、コメディ要素も詰め込まれた時代劇ミュージカル『満月に散る鼠小僧〜望んでいたのは笑いあり、涙なし〜』が上演される。江戸の人気者兼守り神だった鼠小僧の死後、荒れた街を見て二代目鼠小僧になろうとする新吉と、人を斬り血を流してでも世直しを図ろうとする官兵衛、そして江戸の人々の物語である。

例年同様に江戸の世界観が完成しているものの、「DVD見てるみんな」「カメラ目線」「ヤフーニュースの見出し」などの発言が見られる。もはやこれも恒例のことである。

カーテンコールはお馴染みの「WITH LOVE」を出演者総出で歌唱し幕を閉じる。

・映画/Snow Man

毎年行われていた滝沢歌舞伎だが、2020年は新型コロナウイルスの影響で上演はかなわなかった。そこで同年12月、『滝沢歌舞伎ZERO2020 The Movie』としてシリーズ初の映画が上演されることとなった。滝沢歌舞伎の演出を担った滝沢が映画監督を務め、前年のZEROに引き続きSnow Manが主役を張る。


話の流れはこうだ。部屋から出られない毎日に退屈している少年・将聖のもとに、怪しい人形と仮面の男、西洋人形のような女性・ミシェルが現れる。滝沢歌舞伎の文字が光輝く本を開くと、ミシェルと共に絵本の中の未来都市に入り込んでしまう。ちなみに導入部分のセリフで未来都市という言葉が出てくるだけで、作中にSF要素はなく、何かの伏線になっているわけでもない。文章だけで伝えるのは困難かもしれないが、この「世界」への導入の「とんちきさ」もジャニーズならではである。

そしてスクリーンは大量の桜吹雪でピンク色に染まり、お馴染みの「ひらりと桜」で滝沢歌舞伎が始まる。殺陣や変面、もちろん腹筋太鼓など恒例のパフォーマンスを披露する。

ZEROでは白塗りの準備中に簡易的に行われた「五条大橋」が一つの演目として追加され、今回は弁慶を岩本、牛若丸を佐久間が演じた。「滝沢歌舞伎」シリーズの原点ともいえる演目だからこそ、メインに持ってきたのだろう。

歌唱曲はSnow Manの新曲「Crazy F-R-E-S-H Beat」と「BLACK GOLD」が新たに加わったが、ほとんどZEROと同じである。

歌舞伎パートである「五右衛門ZERO」はもちろん、ZEROの「桜の舞」は新たに男役に目黒を加えた「男と女の舞」としてさらに魅力的な演目になりスクリーンに持ち込まれた。

Snow Manのオリジナル曲はスタジオなどで別途収録されているが、その他の演目は従来のように新橋演舞場で撮影されている。つまり、『滝沢歌舞伎ZERO』をそのまま映画館で上映しているのである。ライブビューイングのようなものかというとそうではない。客席から舞台を見るときにはできない角度からの映像もたくさん使われているのである。

映像作品だからこそできる演出を詰め込んだのが「鼠小僧次郎吉」である。ストーリー自体はZEROの鼠小僧と同じであるが、冒頭の鼠小僧の葬儀シーンから日光江戸村をはじめとする屋外で撮影されているが、最後の見せ場である新吉らと官兵衛らの戦いは新橋演舞場に舞台を戻し、例年通りの大量の水を使った迫力あるシーンになっている。編集で見せる映像と舞台のライブ感を見事に融合したのである。

カーテンコールである「WITH LOVE」はもちろん映画でも披露される。映画用オリジナルの歌詞が付け足されており、「今度は必ずみんなで歌おうよ/笑顔で会えるよその時まで」と、まさに現代に向けて歌っている。これは冒頭導入部分の将聖の「今は外で遊べない」というセリフと呼応している。

つまり、『滝沢歌舞伎ZERO2020』は未来都市の空想の話ではなく、現実で起きていることなのである。


さらに本作は映画館での公開に先駆け、新橋演舞場、京都・南座、名古屋・御園座にて特別上映が実施された。この取り組みは、ジャニー喜多川が大切にした生のパフォーマンスはもちろん、ステージを提供してくれる劇場への思いを受け継いだものだと考えられる。

そして滝沢歌舞伎は伝統を大切にしている。毎年ほぼ同じ演目ではあるが、その見せ方はいつも異なる。「日本らしさ」をいつまでも継承してほしいというジャニー喜多川の願いが反映されているのかもしれない。


■考察

ジャニーズとオリエンタリズム

和を連想させるグループ名や楽曲、歴史物や歌舞伎を扱ったミュージカルなど、ジャニーズはオリエンタリズムないしジャポニズムと密接な関係にあると考えられる。オリエンタリズムの考え方は、西洋が自らを優位にし、「東洋」を「後進的でエキゾチックな」ものとみなすものである。

ではジャニーもまた日本を上から目線で見ていたのだろうか。いや、彼は決してそのようなまなざしは向けていなかったはずである。確かにジャニーズにおける「和」のテイストは珍妙で、ファンからも「とんちき」だと言われている。しかし、それがなぜだか大衆に受け入れられ、流行となる。それは紛れもなく、「アメリカ人としてのジャニーが面白いと思ったものを素直に提供し」、「自分が良いと思ったものを堂々と舞台のうえで見せつけ」ているからである(矢野2016:145)。


彼はアメリカ人であるから、日本といえば寿司だというイメージを強く持っていても何ら不思議ではない。一方で彼は日本人でもあるため、日本を上から目線で異国趣味として見る必要もないのである。単純に彼が好きな「日本」を彼が好きなジャニーズに体現させていただけであり、そこに「諧謔性も戦略性も無い」のである(大谷ほか2012:260)。


ジャニーズ流エンタテインメント

ミュージカル作品の分析を通して、ジャニーズ流エンタテインメントとはいったい何ものなのか、その姿がつかめたように思われる。

まず、ジャニーズのエンタテインメントの正体は「ジャニーズワールド」とも称すべきものであるということだ。ジャニー喜多川が夢見たブロードウェイをはじめとするアメリカの要素もあるし、侍や歌舞伎など日本の要素もある。ジャズやディスコもあれば中国の伝統芸能もある。

本論を通していくつかの作品を深く分析してきたが、上演時期もキャストも異なるミュージカルであっても共通している点が多い。とにかく彼が好んだ要素がすべて詰め込まれているのである。

そこには、ナショナリズムやオリエンタリズムが生じさせる序列意識は一切介入しない。各々の文化に優劣はなく、それぞれが混じりあい作用しあい、オリジナルのカルチャーがいわば「ジャニーイズム」として形成されていくのである。

このユートピアは非常に閉鎖的で外部からは簡単にのぞけないが、望んで手を伸ばせば一瞬にしてファミリーになれる。

例えば、ディズニーランドに代表される夢の国・テーマパークは、絶対に外の世界を見せず、虚構を徹底して作りこむが、「ジャニーズワールド」は決してフィクション=虚構にとどまらず、現実世界の情報を参照する。完璧に作られた虚構の世界の中に、メタ構造としてリアルとのつながりが必ず盛り込まれるのである。


そしてこの世界の住人は一定ではなく、世代交代を行うことがある。その時でさえも、ミュージカルを通してそれを暗示し、また新しい世代が伝統を守りつつも新たな要素を加えて「ワールド」を作り上げるのである。

そして、この世界の共通言語は、ジャニー喜多川が愛した「ミュージカル」である。音と歌と踊りがあればいいのである。つまり、ジャニーズ流エンタテインメントとは、日本人でもアメリカ人でもあるジャニー喜多川が、自身が純粋に好きなアメリカと日本や諸国の文化を融合させたユートピアなのである。


■まとめ

芸能界で圧倒的な存在感を持っているジャニーズだが、昨今、その絶対性は揺らぎ始めているようにも見える。

現在男性エンタメ市場は拡大を見せ、男性アイドルの選択肢が非常に広がった。「第三次韓流ブーム」も来ていて、原宿のジャニーズショップにいた女の子たちは既に新大久保に拠点を移してしまったのかもしれない。

俳優、声優、メンズアイドル、ヴィジュアル系バンド、芸人、YouTuber、配信者など、本来アイドルではないジャンルで活躍していた人たちも、アイドルとして売り出したり、アイドルファンが流れてきて結果としてアイドルのようになったりもしている。

好きな人と密着したツーショットチェキが撮れ、小さい会場でのライブがたくさんあり、SNSで簡単にメッセージが交わせるような身近なアイドルが人気の時代である。

タレントがSNSをしていない、サブスクリプションサービスに対応していないため気軽に楽曲が聞けない、撮影会や握手会なんてない、そんなジャニーズは、そのプロモーションスタイルとしてはきっともう古い。所属の人気タレントの脱退も相次ぎ、2020年末には大人気グループ嵐が活動休止してしまう。どうなってしまうのだろうか。

ジャニー喜多川から滝沢秀明に「政権交代」したことで、新しいジャニーズが見られるようになっている。

所属タレント個人のアカウントはいまだ認めていないにしても、各種SNSアカウントの開設も進み、YouTubeチャンネルも始めたことで、デビュー組が身近に感じられるようになったことはもちろん、ジャニーズJr.の露出も増え始めている。

一方で、このコロナ禍においてはジャニー喜多川が大切にしていたミュージカルやコンサートを生中継配信することも増えてきた。

今、「ジャニーズワールド」は「ジャニーズアイランド」へと姿を変え、アクセスが非常に良くなっているのである。ジャニー喜多川がいなくなってしまっても、その世界観は変わらず受け継がれていることは、上映中の『滝沢歌舞伎ZERO2020 The Movie』をはじめ、開催されているミュージカルやコンサートが証明している。


2020年、社会は新しい生活様式を提示し、我々の生活は大きく変わってきている。生みの親を亡くし、新たな副社長のもと新しいプロモーションを始めるなど、ジャニーズもまた大きく変わってきている。

これからのジャニーズにはジャニー喜多川を知らない世代のタレントやファンが現われはじめるだろう。そのとき、ジャニーズはそのユニークな世界観を維持し、ミュージカルを上演しているのだろうか。新時代を迎えたばかりのジャニーズにこれからも注目していきたい。


参考文献
エドワード・W・サイード 1993『オリエンタリズム上・下巻』平凡社.
太田省一2016『ジャニーズの正体』双葉社.
太田省一2018『テレビとジャニーズ』垣内出版.
大谷能生・速水健朗・矢野利裕2012『ジャニ研!』原書房.
矢野利裕2016『ジャニーズと日本』講談社.
本文は筆者が制作した卒論を一部編集して掲載しています。数値などのデータは執筆当時のまま修正していません。

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