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たとえ明日、地球が滅びるとも、今日君は林檎の木を植える。

2009年公開の『感染列島』を観て、改めてコロナについて考える。

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キャプチャ-24

いずみ野市立病院の救命救急医・松岡剛のもとに、一人の急患が運び込まれてくる。その患者は高熱に痙攣、吐血を催し、全身感染ともいえる多臓器不全に冒されていた。しかし、あらゆるワクチンを投与するも虚しく、患者は死亡してしまうのだった。さらに、正体不明のウイルスは医療スタッフや患者たちにも感染、病院がパニック状態に陥ってしまう…。(C)2009 映画「感染列島」製作委員会
監督:瀬々敬久
主演:妻夫木聡, 檀れい, 国仲涼子

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レビューを少し観てみると、公開当初はリアリティーがないと酷評されている印象が、ここ最近コロナの影響で再評価されているようだ。面白い。

もちろん映画の中の設定として違和感を感じるところはあるけども、それ以上に考えさせられる部分も多くあった。

一つめは、『命の重さの選択をしないといけない場面』について。

映画の中で、新型インフルエンザに感染したとされる患者の症状が重篤化した際に、人工呼吸器に繋がれているシーンがある。患者が増え続け、病院のキャパを超え人工呼吸器の数より患者数が上回ったとき、『命を選択する必要』が出てくる。

人工呼吸器を外す = 患者の死

という状況に、医者や看護師は心を病んでしまう。

いくら人の死に向き合い続けている医師・看護師も、自身の無力さを痛感している様子はとても心が痛んだ。


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そして二つ目は、目に見えない恐怖の矛先。

今コロナの影響で、当初北海道で隔離施設としてコロナと戦っていた病院のスタッフへの誹謗中傷があるというニュースをみかけた。

映画の中では新型インフルエンザの原因になったのでは?と疑われた養鶏場のオーナーがひどく叩かれ、結果自殺した。

正義とは何か、恐怖の矛先は何かを理由に安心したいという心理が働く。
今、コロナの影響で心の余裕がなくなることで、日常的には理性でまかなっているはずのその人の本質があぶり出されているように感じる。少し悲しいが現実にも起きているなと感じた。


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そして三つ目が、医師役として登場した檀れいが、亡くなった弟が好きだった言葉として紹介していた

「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はリンゴの木を植える」

という言葉だ。

色々な解釈のできる言葉だが、明日への希望を感じることができるとても勇気のでる言葉だと感じた。

とても印象的な言葉だったので調べてみると、

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Even if I knew that tomorrow the world would go to pieces, I would still plant my apple tree.
ルター(ドイツの宗教改革者)1483年11月10日 - 1546年2月18日
ドイツの神学者、聖職者。
カトリック教会からプロテスタントの分離へと発展した宗教改革の中心人物。

ルターは多くの言葉を残しているので一部を紹介

⚫︎ 全てのことは願うことから始まる
⚫︎ 希望は強い勇気であり、新たな意志である
⚫︎ 私は話すとき、自分を最も低く引き降ろす
 聴衆のうちインテリを見ないで、子供を見て話をする

どの言葉も、自身の今の現状で捉え方は変わりそうだが、気づきの多い言葉の数々を残している。こうやって人に受け継がれていく言葉を残せる人に憧れる。


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10年前の映画の中で起きていたことが、少なからず今の日本に当てはまるところがある。

でもその中で、何を学ぶかは皆違うのだろう。

私は全ての出来ごとに必ず意味があると考える。だからこそ、このコロナも早く終息してほしいという気持ちと同時に、今私にできることはなにかを考え行動していく。


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