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もしかしたら、五箇条の御誓文が憲法の基礎になってるのではないか?

もしかしたら、五箇条の御誓文が憲法の基礎になってるのではないか?

憲法改正議論が出ている中、一般的には、GHQなどによって憲法がつくられたとか草案を押し付けられた、修正されたということになってるようだが、
果たしてそれは事実なのだろうか?

現行の日本国憲法の中身を見てみると、近代西欧諸国のような植民地、奴隷制度などとは程遠い文言が並んでいる。
原爆投下した国、直近で2回も大戦をした結果の世界の勝者たち。寝返ったりした国も。
そこに違和感があった。(単なる直感だが)

そして、最近『五箇条の御誓文』なるものの内容を考えるキッカケがあったのだが、
それを見た時、ふと感じたのは、今の憲法の前文や内容に一致点があると思ったからである。

その内容を簡単にいうと、
日本の民主主義の基本精神と、普遍的な理念として、文という形で残っており、これが憲法の前文や内容の基礎の一部になっているのではないだろうか?と考えた。
基礎はこれだけではないだろうけど。

これは、私個人の解釈なので歴史的にそうだとは断言できないが、ある程度の影響を及ぼしているのではないだろうか?
実は、この考え方や、色々な別の事実的なものが、この後の戦争においても、歴史認識が変わっていくと思っているし、
真実と断言できなくても、色々な点で歴史のデタラメさの可能性が高くなってくると思う。

一つの読み物として見てくれてもいい。

又、憲法改正案については自民党案は反対である。
何故か?それは
行政等権力を解放し、民意を押さえつける憲法改正法案であり、論外!ということだ。
そして、前文は大事であると、言っておこう。
細かい事はいずれ話したい。

勘違いしないでいただきたいのは、国を守らねばと言って民をないがしろにする人達とは違う。
民あっての国であり、国あっての民なのだ。
ちょっとややこしいけど。

まあ、私としては、現実が良い方向に向かっていればそれでいいのだ。
それでは、また。

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五箇条の御誓文

慶応3年(1867)10月、将軍徳川慶喜は大政を奉還し、12月9日には王政復古の大号令が発せられ、幕藩体制に代わる新政府が成立しました。しかしながら開国まもない当時の日本の世情は依然混沌としており、国際的にも多くの問題を抱えておりました。 慶応4年(明治元年)3月14日、明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになりました。絵には副総裁三條實美が五箇條の御誓文を御神前に奉読する光景が描かれています。明治天皇は白の御引直衣をお召しになり玉座に南面し、御神前に御身体をお向けになっておられます。この日、天皇みずからが国難の先頭に立って伝統あるこの国を護り、世界各国との親交を深めつつ国を隆昌に導こうとするにあたり、国民への協力を求める告諭(宸翰)が、御誓文とあわせて布告されました。


「五箇條の御誓文」意訳(口語文)

  • 一、 広く人材を集めて会議を開き議論を行い、大切なことはすべて公正な意見によって決めましょう。

  • 一、 身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。

  • 一、 文官や武官はいうまでもなく一般の国民も、それぞれ自分の職責を果たし、各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。

  • 一、 これまでの悪い習慣をすてて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。

  • 一、 知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を大切にして、大いに国を発展させましょう。

これより、わが国は未だかつてない大変革を行おうとするにあたり、私はみずから天地の神々や祖先に誓い、重大な決意のもとに国政に関するこの基本方針を定め、国民の生活を安定させる大道を確立しようとしているところです。皆さんもこの趣旨に基づいて心を合わせて努力して下さい。
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以上

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