人生の圧縮率
よく考えたらべつに映画やアニメに限った話でもなかった。詩でも小説でも、歌でも漫才でもいい。さらには創作物だけでなく、日々の生活で得られるすべての情報に当てはまることだ。
いまこの瞬間に味わえる体験を僕は差分で認識している。過去の経験と比較して違う部分を抽出し、それを新たな経験として積み上げている。
差分のない体験はおそらく記憶に留めておけない。過去とまったく同じ体験を繰り返す毎日は時間をスキップしているのと一緒ではないかと推測する。旧ブログ時代の仲間が、歳をとると体感時間が速くなる理屈を同様に説明していたのを思い出した。達見だったな。
だから常に変化を求めている。おいしいとわかっているものだけを食べる人生が虚しいものだと本能的に理解している。食べて寝て殖えるだけの動物でいたくないと心のどこかで訴えている。
一方で急激な変化を望んではいない。必然性も連続性もない変化は数字の羅列に過ぎず、やはり記憶には留めておけないからだ。
新鮮味がありつつ、ある程度予測可能な情報を効率よく摂取したい。何が新鮮で何が予測可能かなんて他人に聞いてもわからないし、自分でも体験してみるまで判断できない。
倍速視聴はこの目的に適っている。