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正しい道からは見えないもの(後編)

間違いを正すということはその人から間違える自由を奪うということだ。

すべての人間には自分で責任を負える範囲で間違える権利がある。屁理屈をこねるつもりは全然なくて、真剣にそう考えている。頭が良くていつも正しい人には理解されないかもしれない。

正論で従わせようとする行為は首に縄をつけて正しい道へと引っ張り込む野蛮な光景に見えてしまう。引き込む先が正しい道かどうかは問題ではない。良かれと思ってやっているのだとしても正当性があるとは思えない。

自由を脅かされれば誰だって恐怖を感じる。望んで間違える人などいないが、自由を奪われてまで正しい道を歩くことが果たして人間的と言えるだろうか。

間違えてもいい。失敗してもいい。たくさんある道の中から自分の意思で選択することに人として生まれてきた意味がある。間違える自由がある中で自分の意思で選んだ正しい道にこそ価値がある。

願わくば必要なときだけ手を差し伸べて欲しい。我儘なのはわかっている。そして遠回りの末にいつか同じ道で合流できたときは皮肉とか言わずに温かく迎えて欲しい。それ以外のときはそっとしておいて貰えると嬉しい。

たとえ傍目には明らかな自滅につながる道を歩いていたとしても、自分で責任を負う覚悟はできているから。