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社会的制裁を望む声

社会的制裁という言葉に「法の裁きでは足りないが、自分の手は汚したくないから誰かあいつに制裁を加えてくれ」という醜い願望が見え隠れしていて、無責任に私刑を求める危うさを感じる。

ときに立川志らくさんのこのツイートは正論だと思う。

これに対してジャニーさんの問題が明るみに出たのは週刊誌のおかげだと主張する人がいた。それもおそらく正しい。

理想的には警察がなんとかしてくれるのが一番良い。しかし、現実はそうなっていないから週刊誌が支持されたり、私刑がまかり通っているのだろう。

僕も警察が十全に機能しているとは思わない。どんな組織にも真面目で優秀な人もいれば怠惰で能力の低い人もいる。だからといって出来ない子に「やれ」と声を荒げるのは間違っている。

出来る子も出来ない子もそれぞれが自分なりに精一杯やってくれれば十全とは行かなくても十分だと思える。ここが正義感を振りかざす人たちとの決定的な違いなのかもしれない。

そう考えると社会的制裁を求める声も醜い願望ではなく、悲痛な叫びに見えてくる。

正義が執行されないことが不安で仕方ないのだろう。自分にはその権利も資格も能力もないとわかっているから自分以外の誰かに求める。現状はそれを叶える方法が私刑しかないから残念なことになる。