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悩むために生まれてきた

悲観と楽観が同居している。

まず心配性であるのは間違いない。取り越し苦労は日常茶飯事だし、石橋を叩いて叩いて叩きまくって結局渡らないことも多い。一般的にこれはチキンなどと呼ばれて短所とみなされるが、それでも構わないと思っている。

心配事のない人生が果たして幸せだろうか。不安のない平坦な道をずっと歩き続けるほうが僕にとっては苦行に思われる。悪路ばかり続くのも困るが、適度な試練は欲しい。

もし生まれてきたことに意味があるとしたら、僕の人生は考えるためにあるのだと思う。悩むために生まれてきた。考えない自分に価値はない。

案ずるより産むが易し

経験上、この言葉は真理をついている。が、いまいち共感はできない。

これは案ずるのは嫌いだけど結果を出したい人向けの言葉である。悩まなくていいよと言われて救われる人は多いだろうが、好き好んで悩みたい僕のようなヘンタイには響かない。

重い病気かもしれないと悲観して悩むことが楽しいとさえ思えるのは、心のどこかに重い病気でも構わないという楽観があるからだ。長生きはしたいが、余命宣告とかもされてみたい。残りの人生をどう過ごすか悩むのもきっと楽しい。

案ずることが最も大切なこと。後は野となれ山となれ。