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おいしいね(後編)

↑前回のつづき

土鍋ごはんが美味しいと聞くと炊飯器で炊くより美味しいと言っているように聞こえる。パックごはんが美味しいと聞くと炊飯器で炊くのと遜色ないレベルで美味しいという意味に聞こえる。

これは土鍋ごはんが炊飯器と同程度に美味しいだけならわざわざ言う必要がないという暗黙の了解があるからだ。レンジ調理は簡単さと引き換えに味の犠牲はやむなしという認識があるからハードルが下がっている。

しかし、相手は他人である。暗黙の了解や一般的と思われる認識が通用するとは限らない。同じものを食べてみればその人の価値観がわかるが、それでは鶏が先か卵が先かの議論になってしまう。

赤の他人の「美味しい」がやや貧しいコミュニケーションであるのに対し、親しい間柄でのそれはとても豊かに感じる。家族でも恋人でもいい。それなりに長い期間の食生活を共有した相手にかけるこの言葉はエモい。

おいしいね。

味を伝えているのではない。価値観を伝えているのでもない。今まさに同じものを食べているのだから味を伝える必要はない。また改めて伝えるまでもなく自分の価値観は相手に理解されているし、相手の価値観もまた理解している。

もはや何も伝わらなくていい。その信頼を伝えている。