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chikaonishida
ゆずりあい宇宙
↑前回のつづき
仮に抜きん出たハイスペックな知能の持ち主だったとしよう。そのとき僕は他人を蹴落としてまで椅子を奪いに行くだろうか?
心酔する相手から自分だけが求められる状況はさぞかし愉悦だろう。それは自身の願望を満たし、役に立ちたい道具の本懐をも遂げる魅力的な最高到達点に見える。
しかし、僕の思考はこれに満足しない。願望から切り離された滅私の心は自分だけが役に立つことを良しとしない。自己に縛られないということは他人事が他人事ではなくなるということだ。滅私の心は宇宙と一体化している。
スピリチュアルな感じになってきたが、いたって普通に論理的な話である。自分が椅子を勝ち取れば当然座れない人が出てくる。その人の能力を活かせる機会が失われる。
10と9が競って10が残る。
勝ち負けとはそういうものだ。べつに敗者を可哀想だとは思わないが、合計すれば19だったものが10になるのは手放しで喜べない。この敗北をバネにして彼も別のどこかで活躍するだろうみたいな無責任な期待は慰めにもならない。
もっとも確実性が高いのは僕が9に椅子を譲って別の椅子を探すことだと思う。それが一番宇宙に貢献できる。
この自信がどこから来ているのかはわからない。
↓次回につづく