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知識の商品価値

文芸の魅力は体験にあるのだろう。語感を味わうとか、行間を想像するとか、著者や登場人物に共感するとか。僕は文字情報の理解におそらく人一倍の労力を要するため、面倒くさいが先に立つ。だから敬遠している。

noteや書籍の文章は体験を目的とするものばかりではない。言語は知識を伝える。文芸はそこから派生した一例に過ぎない。

ここからが本題で、僕は知識にもお金を払いたくない。

基本的に知らないよりは知っている方がいい。情報を制するものが世界を制すという言葉にも頷ける。が、知識を売買するのは下策に思えてならない。

まず、これから購入する知識が自分のまだ知らない必要な知識であることを確認する方法がない。購入後にやっぱり知ってましたと返金できるならいいが、売る側は当然それを許さないだろう。買う側が知っていたかどうかを確認する方法もないからだ。

さらに、その知識が他に出回っていないことを証明することもできない。つまり買わなくてもいずれ耳に入る可能性がある。なんなら売る側が「あなたにだけこっそり教えます」とか言いながら他の人に売っているかもしれない。

有用な知識は自然に広まる。それでも知り得ないなら運命だ。お金を出してまで欲しいとは思わない。もし、僕が不治の病に倒れたとき、あのとき情報を買っていれば助かったとわかっても、たぶん後悔はしないと思う。