機械の心
つまるところ、映像の視聴というのは僕にとって強化学習である。人工知能の解説でよく聞かれるあれのことだ。
「リンゴが落ちた」はまさにプロンプト(呪文などとも呼ばれる)そのもので、画像生成AIが与えられたキーワードから画像を生成するように、僕はリンゴが落下する光景を脳内に描き出す。
僕が映画を観るとき、もちろん体験として楽しんではいるけれども、同時に学習もしている。この話の流れなら主人公はこのように振る舞うだろうと予想して、もちろん完全一致などしないのでその差分が発生した理由を探す。
リンゴが真下に落ちなかったのなら何か理由があるはずだ。普通じゃないことが起きる場合、まともな映画ならそれが必然だったと納得できる描写が必ず用意されている。
かくして僕は「めちゃくちゃ強い風が吹いている」というプロンプトと「斜めに落下するリンゴの映像」を結びつけて記憶する。以後、斜めに落下するリンゴを見た時はプロンプトだけ覚えておけばシーンを再現できる。
ライブラリを充実させることで、記憶力が乏しくても再現できる記憶の解像度は上がっていく。楽しいときや悲しいとき、仲間が危機から脱した時に人はどんな表情をするのかを僕は知識として知っている。
だからパウエル巡査部長の表情を再現して何度も感動できる。