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マルハラとネグレクト。

句点が怖い若者がいるらしい。この話題は世代間ギャップ、書き言葉と話し言葉、ハラスメントの線引きなど、いろいろな切り口がある。どれも面白いが、とりあえず一番気になったのは句点を怖がる理由だ。

ありがとう」は良くて、「ありがとう。」は怖いのだという。事務的で他人行儀に見えるのが距離を置かれたように思えて怒っているのではないかと不安になるのだとか。

デリケートすぎる。とはいえ、わからないでもない。たしかに距離は感じる。でも、べつに怖くはない。これは僕が他人に親密さを求めていないからだと思う。

句点が怖い人も誰彼構わず親しく接して欲しいとは思っていないだろう。ただ、大切な人に冷たくされた経験があるのかもしれない。たとえば親とか友人とかパートナーに。

怒りを言葉でなく態度で表明する人がいる。そういう人の手口のひとつに距離感のコントロールがある。あなたは私を怒らせましたよという意思表示で急に敬語を使いだしたりする。

一種のネグレクトだが、親密さに依存している人には効果絶大だろう。句点を怖がる人の中にはこうした調教を受けた人が含まれるのではないかと想像する。

言いたいことははっきり言おうね、と自戒を込めて。