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勝ち確定からの迷い

ゲームのボス戦などで勝利を確信する瞬間がある。この攻撃が来たらこう回避して反撃する。HPがこれだけあればワンパンされる心配はない。完全に相手のパターンを読み切っていて、あとは操作ミスがなければ確実に勝てる。

そんなときに天邪鬼が囁く。
予測可能な未来をそのまま手に入れてお前は満足なのか、と。

初見であれば相手はまだ僕が知らない奥の手を隠し持っているかもしれない。倒した後にもっと苛烈な第二形態と連戦するはめになるかもしれない。最後まで気を抜かずに安全策で行くべきだ。

しかし、それらが杞憂だった場合、ルーティーン化された単調な作業がとどめを刺すまで続く。工夫も発見もない。記憶が過去の経験との差分の積み重ねだとしたら、予想通りの結果を得ることは何も為していないに等しい。

いやいや勝てばいいのだ。それで十分じゃないか。

その通りなのだが、作業ゲーの先に待つ勝利と最後まで色々試して掴む勝利では後者のほうが味わい深い体験となるのは間違いない。多少のリスクを冒してでも後者を選ぶべきだ。

これは思考願望の対立と見ることができる。願望は結果を求めていて、思考は過程を求めている。どちらを優先するかは時と場合によるが、振り返ると過程を重視することが多い人生だったと思う。