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負けず嫌い

子供の頃、父とゲームをしては負けてよく泣いた記憶がある。勝利について考えるなら敗北とも向き合わなければならないだろう。勝ちたいと思わない、むしろ勝ちたくないと思いながら、同時に負けたくないという気持ちもある。

ゲームというのは「はさみ将棋」だ。将棋の駒のうち歩兵だけを使って遊ぶゲームで、自軍の駒で相手の駒をはさんだらその駒を取ることができる。

全滅まで行かなくても一定の差がついた時点で決着らしいが、我が家のルールがどうだったかは覚えていない。差が付き始めるとどんどん不利になる仕組みなので、劣勢に耐えられずに途中で投げ出していた気がする。

普通の将棋で負けて泣くことはなかった。将棋は駒の動きをようやく覚えた程度のひよっこが勝てるゲームではない。詰まれた盤面を見ても敗着まで遡れる能力はなく、悔しい以前に敗因がわからない

一方、はさみ将棋はルールが単純で、敗北が自分の力不足のせいだと当時の頭でも理解できた。数手前の自分の判断が誤りだったとわかるから悔しいのである。

あの悔し涙には覚えがある。

算数の問題がわからなくて泣いたのと同じ種類の感情だ(過去記事)。相手に負けたことよりも、できない自分が許せなかった。

つづく