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バベルの塔

インターネットの普及により、誰もが自分の主張を表明できるようになった。ブログやSNSで自らの考えを主張することは紙の日記に思いを綴ることとは大きく性格が異なる。当たり前すぎて今更語るのも憚られるが、公開した情報は不特定多数の目に触れる。

花畑では各々が好きな色で咲けばいい。
僕は自由に咲き誇る色とりどりの多様性が見たい。

しかし、現実はそうなっていない。人によっては嫌いな色があり、嫌いを表明するだけでは飽き足りない人たちがその色を排除しようと攻撃し始める。正義をふりかざして嫌いな色の存在そのものを消し去ろうとする。

誰も悪くない。
人が集まれば衝突が起きるのは世の必定である。嫌われてでも主張したい気持ちもわかるし、嫌いなものを見たくない気持ちも理解できる。
問題は衝突の解決方法が相手の排除になりやすいことだ。排除によって見たくない人は満足だろうが、見たかった人には損失となる。

要は見たくない人にだけ見えなくなればいいのだ。
同じ花畑を見るすべての瞳に同じ景色が映る必要はない。さくら色の花が見る人によっては茜色に見えたり、群青色に見えたりしても良い。
知らない外国語で悪口を言われてもスルーできるように、相容れない者同士は最初から言葉が通じないようにしたらどうだろう。

分かり合えないのに同じ言語を共有するから不毛な争いが起きる。
誰かそんなコンセプトのSNSを作らないかな。