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時雨(しぐれ) ~古典文学に見る季語の源流 第十一回~

秋から冬に移り変わる頃、空が低い雲に覆われ、雨が降ったり止んだりするさまを「時雨(しぐれ)」と呼んでいる。「時雨(しぐれ)る」と動詞の形でも使われる。

この語は『万葉集』の昔から登場し、

時雨の雨間(ま)無くし降れば
三笠山 木末(こぬれ)遍く色付きにけり

(巻八、大伴宿禰稲公)

というように、山の木々が色付く様子と結び付けられた。

春日野に時雨降る見ゆ
明日よりは黄葉(もみぢ)挿頭(かざ)さむ高円(たかまど)の山

(巻八、藤原朝臣八束(ふじわらのあそみやつか))

山の色付くさまを、人が頭に草木を飾る「挿頭(かざし)」にたとえた洒落た和歌である。奈良時代までは、「こうよう」「もみぢ」といえば「紅葉」でなく「黄葉」であった。時雨を見て、明日以降の黄葉を予感する八束の歌からは、当時の人たちが「時雨が降ることで山が色付く」と理解していたことを知ることができる。もちろん科学的な話ではないが、美しいイメージである。

比喩つながりでいえば、古の歌人たちの想像力は、時雨を涙に見立てることもした。時雨で紅葉する山を引き合いに出し、悲痛な血の涙に袖が染まると訴えた。

神無月時雨に濡るるもみぢ葉は
ただわび人の袂(たもと)なりけり

(古今和歌集、哀傷)

とは、母を亡くして涙に暮れる凡河内躬恒の絶唱である。

現在、時雨は冬の季語とされているが、『万葉集』の和歌では旧暦九月(晩秋)と旧暦十月(初冬)のどちらでも詠まれている。

長月(ながつき)の時雨の雨に濡れ通り
春日の山は色付きにけり

(巻十、読人しらず)
十月(かんなづき)時雨の常(つね)か
我が背子(せこ)が宿の黄葉(もみぢば)散りぬべく見ゆ
(巻十、大伴家持)

平安時代の『古今和歌集』においても、鎌倉時代の『新古今和歌集』においても、秋・冬どちらの巻にも登場しているので、本来は、冬の季語と限定する必要もないのだろう。ただ、時雨の寂びた情感は冬の到来を実感させるものである。

神無月降りみ降らずみ定めなき時雨ぞ冬のはじめなりける
(後撰和歌集、冬、読人しらず)

俳聖・松尾芭蕉は、この時雨の時季に亡くなった。それで「芭蕉忌」のことは「時雨忌」ともいう。旧暦十月十二日、二〇二一年でいえば、十一月十六日に当たる。芭蕉本人も時雨の情感を好み、〈旅人と我が名呼ばれん初時雨〉〈作りなす庭をいさむる時雨かな〉などの句を残した。

なお、俳句には「虫時雨」「蝉時雨」といった比喩の季語もある。音量が大きくなったり小さくなったりする様子を時雨にたとえたものだが、それらの元祖は落葉をいう「木の葉時雨」(木の葉雨)であろう。

木の葉散る宿は聞き分く方(かた)ぞ無き
時雨する夜も時雨せぬ夜も

(後拾遺和歌集、冬、源頼実)

木の葉の散るのがちょうど時雨の音のように聞こえるので、時雨が降っているのか降っていないのか区別しようがない、というのである。

木の葉時雨のさまを描いた句としては、直接、この語を用いた語ではないが、加藤楸邨の〈木の葉ふりやまずいそぐないそぐなよ〉が印象深い。

*本コラムは結社誌『松の花』に連載しているものです(2020年11月号に掲載)。


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