見出し画像

古典文学に見る季語の源流 第13回 春はネモフィラ?〜連載の終わりに〜

春の花といえば、何か。梅? 桜? 藤? 花壇のチューリップ、道端のたんぽぽを思い浮かべる人も多いだろう。

先日、ある女子大生と話していると、
「春は皆ネモフィラを見に行き過ぎなんですよ。まぁ、私も行くんですけど」
という話が出た。今や、「春はネモフィラ」という人が少なからずいるようなのだ。

確かに、丘一面に咲いたネモフィラの青の絨毯は美しい。でも、春の代表的な花とまでは思わない、というのが、三十代後半の私の感覚である。

しかし、SNS、特に写真を投稿する「インスタグラム」が若い女性に広まる昨今、写真映えするネモフィラはにわかに注目を集め、なかなかの存在感を発揮しているのだと言う。実際、ゴールデンウィークの国営ひたち海浜公園には、大渋滞が発生する。

新たな表現手段が生まれるとき、新たな感受性が生まれる。そんなことを実感したエピソードであった。

さて、本連載を始めたのは早や二年前のことである。古典講師という職業柄、俳句よりも和歌に触れることのほうが多かった立場から、季語の源流を古典に探ってみようというのが企画趣旨であった。

十数年前、古典を本格的に学び始めた頃に驚いたことがある。『古今和歌集』や『新古今和歌集』などをひもといてみると、驚くほどに夏の和歌が少ないのである。しかも、題材が著しく偏っている。

『古今和歌集』には春の歌が百三十四首あるというのに、夏の歌は三十四首しかない。その上、実に二十八首までがホトトギスを題材とした歌である。残りの六首も花橘・撫子などが題材で、向日葵も入道雲も炎暑も詠まれていない。

これは、和歌が「雪月花」「花鳥風月」の理想的な美しさを捉え、結晶化する表現であるためだが、じりじりとした暑さや激しい夕立ちなども夏の醍醐味と思う現代人の私には、少々物足りない。

夏がいきいきと詠まれるには、俳句という表現手段の登場を待たねばならなかった。

夏河を越すうれしさよ手に草履

与謝蕪村の夏の句で、彼が天橋立で有名な丹後に滞在していたときの作である。母のふるさとである与謝村を訪ねるため、野田川を越えたらしい。この句からは、暑い中、素足で冷たい川を渡るときの快さがありありと伝わってくる。これは、あの紫式部にも清少納言にも描き出せなかった季節の美である。

こうして和歌になかった視点を、江戸時代の俳句が切り拓いてみせたように、江戸時代の俳句になかった視点を、近現代の俳句も切り拓き続けている。

本連載で季語について調べる中で、和歌にルーツを遡ることのできない新しい季語が存外多いことに驚かされた。同時に、現代俳句が失った季語のニュアンスもたどることが出来、言葉の厚み、深みをより味わう機会ともなった。結社の皆さんにとっても、少しでもそういうヒントになっていれば、と思う。

先ほど与謝蕪村を例句に引いたのは、日本画と書、俳句を学んでいる私にとって、その三方面全ての先達である蕪村が憧れで、最近よく調べているからだ。彼の『夜色楼台図』は、二〇〇九年に国宝に指定された。国宝級の画業と句作に影響関係は見られるのだろうか。

本連載の後は、このことを調査・考察した文章を発表できないか準備しているところである。

*本コラムは結社誌『松の花』に連載しているものです(2022年1月号に掲載)。

サポートは、書籍の購入、古典の本の自費出版に当てさせていただきます。