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39-4. 心理職の未来のための設計図を語る

(特集:秋だ!心理職のスキルアップの季節だ!)

東畑開人(白金高輪カウンセリングルーム)
下山晴彦(臨床心理iNEXT代表/跡見学園女子大学)

Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.39-4

注目新刊本「著者」研修会

◾️『ふつうの相談』を徹底的に議論する
―心理職の未来のための設計図を語る―

【日時】2023年10月21日(土曜) 19時〜21時(※夜間講座)
【講師】東畑開人 白金高輪カウンセリングルーム主宰
    下山晴彦 跡見学園女子大学/臨床心理iNEXT代表
【注目新刊書】『ふつうの相談』(金剛出版)
https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b627609.html
【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](500円):https://select-type.com/ev/?ev=SEPAO095y8w
[iNEXT有料会員以外・一般](2000円) :https://select-type.com/ev/?ev=pwJ8ee2Aluw
[オンデマンド視聴のみ](2000円) :https://select-type.com/ev/?ev=NYYGc8hFMP0

東畑開人 先生
下山晴彦


ご案内中の注目新刊本「訳者」研修会

コンパッション・フォーカスト・セラピーを学ぶ
−日本の心理職の栄養源となる理論と技能−

【日時】2023年10月9日(月:休日) 19時〜22時(※夜間講座)
【講師】有光興記 関西学院大学 教授
    小寺康博 英国ノッティンガム大学 准教授
【注目新刊書】『コンパッション・フォーカスト・セラピー入門』(誠信書房)
https://www.seishinshobo.co.jp/book/b10031905.html
【申込み】
[臨床心理iNEXT有料会員](1000円):https://select-type.com/ev/?ev=19ydGYbhNT0
[iNEXT有料会員以外・一般](3000円) :https://select-type.com/ev/?ev=Tqf0fAgBsVg
[オンデマンド視聴のみ](3000円):https://select-type.com/ev/?ev=NM9AWJCKeUk


1.なぜ「ふつうの相談」が大切なのか?

10月21日に開催する「『ふつうの相談』を徹底的に議論する」研修会の副題は、「心理職の未来のための設計図を語る」となっています。では、なぜ『ふつうの相談』を議論することが「心理職の未来の設計図」と結びつくのでしょうか。それは、「ふつうの相談」をどのように位置づけるかが、今後の日本の心理支援のあり方を決定するからです。

かつて日本の心理支援においては、フロイトやユングなどが創設した学派の心理療法を実践できることが理想モデルとなっていました。しかし、公認心理師制度の導入後は、心理支援は公共サービスとして位置付けられ、誰でも気軽に利用できる「ふつうの相談」が求められるようになりました。学派中心モデルから利用者中心モデルへの転換が起きたわけです。

ただし、その転換が上手くいっていません。その理由は、心理職の発想の転換がスムーズにできていないからです。相変わらず学派の違いによる分断が継続しています。さらに公認心理師制度の偏りという限界も、転換が進まない要因となっています。公認心理師制度は、医療や行政の主導で進められており旧式の管理モデルが前提となっているので、利用者が気軽に相談できる心理支援システムにはなっていない面があります。


2. 今こそ、心理職の未来の設計図が必要なのだ!

結局、心理支援の担い手である心理職は、主体的に公認心理師の制度設計に関わっておらず、心理職の観点から「ふつうの相談」を形作ることができていません。したがって、今後、利用者が誰でも気軽に利用できる「ふつうの相談」をどのように発展させていくかが心理職の未来と深く関わっているのです。

確かに現在の状況では、医療や行政の進め方に対抗することは難しいと言えます。多くの職能団体や学会は、医療や行政の主導で進む公認心理師制度に追随することで手一杯です。それはそれで必要なことと言えるでしょう。しかし、心理職の未来のあり方について、少しでも心理職が主体的に議論する場があっても良いと思います。

いつまでも、このような医療や行政中心の管理的なメンタルケアが続くのは望ましくないし、また続かないと思います。臨床心理iNEXTは、将来に向けて心理職の主体性や専門性についての議論を、細々であっても続けていきたいと思っています。

そこで本号では、注目新刊本である「ふつうの相談」の著者であり、10月21日の研修会の講師である東畑開人先生にインタビューをし、その記録を以下に掲載しました。なお、研修会は、2時間の夜間講座ということもあり、参加費をiNEXT有料会員500円、その他の方(オンデマンド含む)は2000円と低額としましたので、ぜひ多くの方のご参加をお待ちしています。


3.『ふつうの相談』を執筆するきっかけ

【下山】10月21日(土曜)の夜に『ふつうの相談』(金剛出版)を注目本として取り上げて、著者研修会を開催します。そこで今回は、著者の東畑先生にお話を伺うことにしました。まず本書を書こうと思ったきっかけから聞かせていただけますか?

『ふつうの相談』(金剛出版)https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b627609.html

【東畑】先日、出版された『精神分析的サポーティブセラピー(POST)入門』(金剛出版)※)に一章分の執筆を依頼されたのが最初でした。その本は日々のクライアントを支えたりサポートしたりする臨床で、精神分析というものがいかに活用されているのかをテーマにしているのですが、そこに僕も「ふつうの相談」という、日々やっていることを書こうかなって思ったんです。
※)https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b632157.html

その時、編著者である山崎孝明さんと議論をしていたときに、精神分析が中心にあって、その応用として発生したのがPOSTという考え方が彼の中にあるように思ったんです。真ん中に純金の精神分析や認知行動療法などの学派的規範があって、それを応用した合金として日常臨床があるというのは日本の臨床心理学でこれまでも多く語られてきた考え方ですね。
ただ、僕はそれは逆なのではないかと思い、完全に構造を反転させてみようとの狙いがあって論文を書き始めた。
そしたら、すごく長くなっちゃって。気づいたら八万字ぐらいになっていたんですね。これはもうその本に載せられないとなった。僕なりに結構手応えのある論文になったので、いっそ本にしてしまおうというのがいきさつです。


4.純金の心理療法というものはあるのか?

【下山】なるほど。執筆依頼をされた本の編者の本来の意図としては、学派の理論がまず中心にあることが前提になっていた。そこには、「現場では純粋に理論通りにはできないから、残念だけど“折衷的”にサポーティブにやるしかない」といった発想が感じられたので、それは違うと思ったことが、執筆のきっかけなのですね。

【東畑】その“折衷的”という言葉は、学派を前提にしていると思うんですよね。これは僕の上の世代ではしばしば自嘲気味に「なんちゃってユング」とか「なんちゃってCBT」みたいなことが語られていて、それは「純粋なユング派心理療法とか純粋なCBTはできない。でもそこからインスパイアされて現場に合わせてやっているんです」みたいなニュアンスがありました。ここにはどこか後ろめたさがあるんですね。
で、それはそれで正しい面もあるのですが、「本物の心理療法とは何か」みたいな議論になっていくと、臨床から離れていくように思ったわけです。むしろ、普通の相談が真ん中にあって、それをめちゃめちゃ濃くしたのが純金の精神分析であり、CBTであるというように、発想の転換をした方が、より現実に即した臨床心理学を構想できるのではないかと考えたのが、今回の本ですね。

【下山】ゲシュタルトが変わるとか、図と地が逆転するみたいな感じですよね。

【東畑】そうです。


5. 医療人類学を経由して王道から離脱する

【下山】東畑先生は、京都大学という、ユング派的なところで学んだわけですね。その考え方の転換は、京都大学で学んだからこそ起きてきたものでしょうか? それとも、京都大学のユング派の人たちはやはり純金志向が強くて、東畑先生はその中では特殊な動きをしているものなのでしょうか?

【東畑】これは両方の側面があると思っています。一つはやっぱり京都大学で学んだときは、ユング的だったり、河合隼雄的だったりの本物の心理療法があるという風潮はあって、僕もそれにもともと憧れていました。「正統な心理療法があり、それが王道である」という感じです。ここには伝統があり、実績があり、成果がありました。ですから、それはそれで素晴らしいものなのですが、僕はそれとは違う考え方をしようと離脱を試みてきたというのはあるんですね。
だけど、ただの離脱ではないんですね。そのために僕は何をしてきたかというと、医療人類学を経由しているわけです。これがもう一つです。僕が最初に出版した『野の医者は笑う』(誠信書房)※1)では、スピリチュアルヒーラーと臨床心理学を比較した。『居るのはつらいよ』(医学書院)※2)は、精神科デイケアとカウンセリングを比較した。
医療人類学的な視点がもたらしてくれたのは、「何が本物か?」という問いではなくて、すべてを「本物」だとしたうえで、それら異なるもの同士を並べてみて、共通する構造と差異は何だろうかと考える問いです。そういう視点でいろんなことを考えてきたんです。
※1)https://www.seishinshobo.co.jp/book/b200599.htm
※2)https://www.igaku-shoin.co.jp/book/detail/106574


6. 昔からあった比較心理療法論

【東畑】この視点そのものは、実はユング心理学の中にあったものだし、京大の臨床心理学の中にもあったものだと思います。例えば、京大でよく引用されていたエレンベルガーの『無意識の発見』(弘文堂)※3)も歴史という軸でいろいろな治療を比較しているのだと思います。たとえば、シャーマニズムと精神分析を比較したりしています。
※3)
上巻)https://www.koubundou.co.jp/book/b156641.html
下巻)https://www.koubundou.co.jp/book/b156642.html

そしてユング自体も、やっぱり「集合的無意識」ということを考えることで、人類学的な視点を持っているように思うんですね。比較文化論的な発想があり、それらに共通する構造とは何かを考えて、元型というアイディアが出てくるわけです。河合隼雄も日本の心理療法と欧米の心理療法の比較を軸にものを考えており、そこには人類学的な眼差しが入っていると思います。
僕が京都大学で受けた教育にはそういう比較心理療法論的なところはあったので、そこは継承しているのではないかなと思います。そういう意味でさっきの質問には両方の意味があるという感じがしますね。


7. 時代変化の中で心理療法の役割を見ていく

【下山】心理療法を比較する場合、時代の変化も考慮する必要があると思います。かつては、“野生の思考”といった時代があり、中世の伝統社会があり、さらに19世紀になり社会の近代化が進んだ。その近代化の中で心理療法が生まれたわけですね。それが、創始者を中心に心理療法の学派となり、権威になっていった。だから、エレンベルガーにしても河合隼雄先生にしても、近代以前の考え方と、近代化後の考え方の両方を持って心理療法を理解しようとしていたと思います。
そのような時代推移の中で生まれた心理療法であるので、いずれの学派の心理療法も、その底には近代以前の“野生の思考”のようなものを含んでいると思います。近代化の中でそれらしい理論化はされてきていますが、実はその中には近代以前の混沌も含んでいると見ることができますね。東畑先生の医療人類学を経由した比較心理療法論は、そのような近代以前の混沌も含めて心理療法の比較をしていこうとするものですね。

【東畑】対人援助という広い文脈から、現代の心理療法を考えてみたいと思ったんです。人が人に相談するとか、人が人に頼るとか、そういう古代からある人間の営みが、ある時代ある社会で心理療法という形をとる。そういう観点ですね。

【下山】それをどのように位置づけるかということは、ぜひ研修会の時に議論していきましょう。


8. 情報社会&公認心理師制度の中で心理療法は成り立つのか?

【東畑】ちょっと付け加えると、時代の推移の中で心理療法を比較する視点は、下山先生が翻訳されたマクレオッドの『物語りとしての心理療法』(誠信書房)※)にもあって、その影響もありますね。
※)https://www.seishinshobo.co.jp/book/b88290.html

【下山】そうですね。私はマクレオッドさんの本を翻訳し彼と個人的に交流をする中で、時代の変化、特に近代化のプロセスに各心理療法を位置付ける視点を学びましたね。

【東畑】ですから、比較心理療法的な考え方は、臨床心理学の中では連綿とずっとあるように思うんです。下山先生もそれをやられているし、中井久夫先生も河合先生もそうですよね。この問いはメインストリームにはなりませんが、常にオルタナティブな思索として存在していて、それは心理療法が原理主義的になることを防いだり、解毒したりするものだと思うんです。心理療法にはいろいろあるけれども、その背景に共通の構造があり、さらにそこに差異を見出していく作業が僕らの学問の中にずっと流れている水脈としてあるように思います。

【下山】そういう見方もできるとは思います。しかし、私は、残念ながら時代はさらに進んできてしまっていると考えています。今は、近代を超えた高度情報社会の只中にいるわけです。IoT、VR、そしてAIの時代です。もし、さまざまな心理療法の根源的なものがあるにしても、それがこの高度情報社会の中にどのように位置づけられるのかについては、危機感を持ってみていかなければいけないと思います。
私は、そのような根源的なものは、今の時代に位置付けるのは困難になっているのではないかと悲観的にみています。根源的なものがあったとしても、現代の情報社会の中で、そして公認心理師制度の中で心理療法は成り立ち得るのかというテーマに行き着きます。そのあたりも、10月21日の研修会で議論ができたらと思います。


9. 学派主義からの脱却は、本当に可能か?

【下山】私が、『ふつうの相談』を読んで面白いなと思ったのは、学派主義から抜けようとしていること、あるいは原点に戻ろうというところです。しかも、その原点を現場の営みに見出そうとしているところに関心を持ちました。それは、日本の今の心理職にとって、大きなテーマだからです。
特に中堅心理職やベテラン心理職にとっては、公認心理師制度以降の変化にどのように対応するかとも関連して重要な課題となっています。私も含めてこの年代の人にとって、河合隼雄先生の影響力はとても大きかったわけです。その影響力から脱しないと、今の時代の変化についていけないのです。『ふつうの相談』は、その部分は正面から扱っていますね。

【東畑】そういう歴史的批評というのは僕の仕事の中にずっとあるように思います。

【下山】研修会では、そこを議論したいと思っています。それに加えて今の若手の人たちは、河合隼雄という存在自体を知らないこともあります。公認心理師制度が進む中でその傾向はますます進むでしょう。そのような時代において比較心理療法論はどのような意味を持つのか、あるいは、もはや持たなくなるのかについても議論をしていきたいと思います。


10. 現場での心理職の実践を社会に発信する

【下山】それとも関連して、『ふつうの相談』を執筆するにあたって、どのようなことを一番読者に伝えたかったのか、この本がメッセージとして最も大切にしているものは何かを教えてください。

【東畑】二つあります。一つ目を言うと二つ目が導き出されます。一つ目はこの本の「最もコアな中核の読者は誰なのか」という問題と関わってきています。これは、やっぱり現場の臨床家です。とりわけ現場で仕事をしている中堅の臨床家たちです。大学院を出た後に、それぞれの現場で5年から10年ぐらい仕事をしていて、病院にせよ、学校にせよ、そこで責任者になり始めている同僚たちです。
中堅の心理士たちは、それぞれの現場で「こういうことが支援になるんだ」とか、「臨床とはこういうものなんだ」という、自分なりの考えや臨床観をもっています。しかし、それらは、ほとんどアカデミックな論文や本になっていなかったり、言葉になってなかったりするんですね。なぜかというと、臨床心理学という学問の持っている言葉が学派の言葉の方に偏っていて、現場の臨床というものを語るための枠組みを持っていないからだと僕は考えています。
例えば僕の『居るのはつらいよ』という本がそうです。その本で扱ったデイケアの臨床を語る言葉は、それまでたぶん臨床心理学の中にちゃんとはなかったと思うんです。そのリアリティを乗っけて運んでくれる言葉や概念ですね。ですから、『居るのはつらいよ』は、同じような臨床をしている人たちに「新しくこういうやり方をやったらいいよ」と言いたい本ではなく、すでに存在している実践をシェアするための本でした。
僕の本はすべてそうです。それが人類学的なところだと思います。規範を示すのではなく、実態を言語化する。ですから、『ふつうの相談』に書かれた概念たちが、そういう中堅の臨床家がすでに実践しているものを、社会的にシェアし、発信するためのプラットフォームのような言葉になるといいなと思っています。


11.心の内だけでなく、社会学的視点を持つ

【東畑】ここから導かれる二つ目は、“権力”ということと関わってきます。つまり心の内側に働く力動ではなく、心の外側=社会に働く力動のことです。「社会的力動」という言葉をこの本ではつかいました。臨床というものが、いかなる政治的、経済的、社会的な力に取り巻かれているのか、そしてその中で心の臨床は人間をどのようにかたどっていくのかという問いですね。
この社会学的視点が、今まで僕が研究してきたことの軸になっているものですし、臨床心理学にとっては新しい点だと自分では思っています。臨床心理学がカラフルに社会を捉え、臨床現場をもっとカラフルに描くことができるようになるためには、この社会学的な視点がいるように思います。
実際、現場の最前線で仕事をしている心理士たちは、そういう社会的な力動をひしひしと受けながら、その中で心の支援をしているわけです。これは非常に面白いことで、すでにかなり精緻なものとして練り上げられた心のモデルだけを考えているよりもずっとクリエイティブではないかと思うんですね。

【下山】その点は、議論になるところですね。これまでの臨床心理学には、心の内だけでなく、社会を扱ってきた方法もあります。コミュニティ心理学も家族療法も社会の権力的なものを扱ってきています。認知行動療法も、社会環境にどのように反応するかを扱っている。だから、心の内だけを扱ってきたのは、むしろ心理力動的心理療法、つまり精神分析やユング派の心理療法に限られたことだったわけです。東畑先生は、その限られた世界を中心に見ているという面もあると思います。


12. 心理職は、社会的権力をどのように扱うのか?

【東畑】僕は、それは意見が違います。ここにあるのは、「社会」という次元をいかに捉えるのかの違いですね。認知行動療法も家族療法も、外界については語っているし、環境というものをもたらす力については十分に語っていますね。たとえば、ストレスという概念には環境や外界というものが刻印されています。

【下山】社会環境は、人間の反応を引き出す刺激ですから避けて通れない対象ですね。

【東畑】また、力動的心理療法においても環境についての概念はあるし、重視されています。ウィニコットの仕事が典型的でしょう。しかし、それは外界や環境についての言葉ではあっても、社会についての言葉ではありません。社会というものは歴史的で、政治的で、経済的なものです。それは単なる外界とは違う。
この人文社会科学的な視点を再導入するために、僕は医療人類学の力を借りたわけです。さらにいうと、従来の臨床心理学でもっとも欠けていたのは、自分自身を社会の一部とみなして、社会学的な批判の対象にする感性です。
たとえば、精神分析にせよ、認知行動療法にせよ、社会学的な批判はたくさんあります。
これらを引き受けたうえで、どういう社会的文脈においては心理療法はどういう意味で有効であるのか、あるいは無効であったり、有害であったりするのかを考えていかないといけない。これらを考える上で、外界や環境という平坦な言葉を超えた歴史的、経済的、政治的な言葉と議論が必要となると思っています。ここが違いですね。

【下山】そこに権力ということが出てくるわけですね。社会は、同時に権力のシステムですから、社会環境に関わる限りは権力の問題に関わらざるを得ない。それも、研修会で議論したい重要なテーマですね。


13. 現場から日本の心理支援を形作ることに向けて

【下山】少し話が戻りますが、現場の心理職の声が届かなかったということについては、今まで心理職の活動をリードしてきたのが、大学の教師だったからということも原因だったと思います。

【東畑】この問題は非常に深いですね。臨床心理学にとって「大学」とは何か。これを問わないといけないと思います。

【下山】現場の人たちは、自分たちの実践を語る余裕がない。そもそも論文を書く時間がない。現場で使っている“言葉”は、論理の言語ではないですね。そのような臨床の言葉を論文にするのは、それを論理言語に変換しなければいけない。それは、無茶苦茶大変な作業です。それに対して大学の教師は、日常で学問の論理言語を使っているので論文は書きやすいということはありますね。
ただ、日本の大学教師は、学派の論理を頭に組み込んでしまっていることが多い。そのため、学派の用語を使って論文を書いてしまうので、対立も起きてしまう。結果として、普通の現場の心理支援の実践がどこにも言葉として届かなくなっているという問題もあると思います。私も大学の教師ですので、それは自戒を込めて議論したい点です。
今こそ、普通の現場から日本の心理支援を形作っていくことが必要な時代ではないかと思っています。そのようなことを研修会で議論できたらと思っています。


■記事制作 by 田嶋志保(臨床心理iNEXT 研究員)
■デザイン by 原田優(公認心理師&臨床心理士)

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臨床心理マガジン iNEXT 第39号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.39-4

◇編集長・発行人:下山晴彦

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