見出し画像

21-3.日本の権力構造と心理職の未来

(特集 協働を巡る信田さよ子先生との対話)
信田さよ子(原宿カウンセリングセンター)
下山晴彦(東京大学教授/臨床心理iNEXT代表)
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.21

〈参加集会型オンライン・シンポジウムのお知らせ〉
『心理職の技能として“協働”の活用に向けて』
─協働が困難な現実を越えるために─

【日程】9月20日(月曜:敬老の日)13時~16時
【申込】下記URLからの申し込み
◆臨床心理iNEXT有料会員:無料
https://select-type.com/ev/?ev=vg-WAnQI_Os

◆iNEXT有料会員以外:1,000円
https://select-type.com/ev/?ev=LgYXj9MnR1w

【読者の皆様へ】
今回で,信田さよ子先生との対談の連載も最終号となります。多くの心理職にとっては,普段は知ることのできない「アディクションやDVなどの心理支援の実際」,「権力ヒエラルキーにおける心理職の位置づけ」,「権力構造の中での協働の可能性」といった話題があり,驚かれた方もおられたと思います。
しかし,この対談の内容の中に心理職の未来を導く多くのヒントが含まれています。そのような未来への議論は,上記の『心理職の技能として“協働”の活用に向けて』シンポジウムで発展させます。信田先生も指定討論として参加されます。ぜひ,多くの方のご参加をお待ちしています。


1.経済の観点から心理職の活動を評価する

[信田]私も,心理職の根拠という意味ではモデルを作れなければいけないと思います。それと関連して考えておかなければならないことがあります。医者だと根拠として生物学的なものがある。司法だとちゃんと日本国憲法がある。下山さんが「心は何もない」とおっしゃった。しかし,私は,開業をしているので,収入があるかどうかが重要となる。つまり,経済という客観的な実在があるんですよ。

そうすると,どういうやり方で,どういう対象とするかが,いわゆるクライエントをしっかりと集客できるのかと関わってくる。「どういう方針でやっていけば,この相談機関にお客様(クライエント)が来続けるのか」ということが,私にとっては,とても重要となる。クライエント,つまり当事者の視点,それから支持を得ることが,活動の根拠としてとても重要なのです。それは,医者にとって生物学的なバイオロジカルな視点に匹敵するぐらいの意味がある。これは,マルクスの言う,いわゆる下部構造として確かなものなんですよ。

[下山]それは,すごく面白いですね。

[信田]下山さんが嘆いている心理職の諸派分裂と仲間割れは,自分たちがどれだけ当事者に受け入れられているのかという発想がないからではないでしょうか。例えば,がん治療の医療機関のランキングは,実施した手術の数で評価されています。日々どれくらい多くのがん患者さんに手術を行っているかどうかが,治療効果に匹敵するランキングの基準になっています。それと同様に心理職も,来談するクライエントの数,担当したクライエント数,そこからどれほどの経済的利益をあげられているのかという現実な評価の基準があってよい。

1995年から,私はスタッフに社保をつけて,賞与を出して,微々たるものですが昇給もしながら,原宿カウンセリングセンターを25年間運営・経営してきました。有限会社組織の経営者だったわけです。ずっと頭の中にあったのは,クライエントの数をどのように維持し,増やすかでした。このような経済的な観点は外部評価の基準になりますので,それがないと,心理職界隈というのは,プライドだけの,理論だけが錯綜した場になっていくと思うんです。

[下山]医療職は生物学の体系,司法職は法律体系といった基準がある。そして,その体系に即した活動をどれだけ適切に実行できているのかが,客観的な外部評価基準としてある。だかこそ,自らを客観的に評価し,まとまることできる。しかし,日本の心理職は,そのような外部評価できる体系がない。だから,自分の派閥やグループを基準にしてまとまって,内部対立を繰り返してきたということですね。それは,本当にそうだと思います。

そこで,心理職にとって外部評価の基準となるのが,どのくらいクライエントに利用されているのか,そしてそれによって経済的に成り立っているのかという経済指標ということですね。そのようなクライエントの利用率は,同時に利用者がどれくらい心理職の活動にアクセスするのかということとも関連してきます。

[信田]そうです。おっしゃるとおり。

[下山]その点でクライエントの利用率は,心理職の外部評価というだけでなく,心理職への活動へのアクセスをどのように改善し,増やしていくのかという課題とも結びつきますね。

しかし,今の日本の心理職の関連団体の幹部の多くは,自分たちの派閥やグループの会員を増やすといった内部的,自己愛的な視点しか持ち合わせていない。そのために,利用者が心理支援にどのようにアクセスし,活用するのかというパス(道筋)を,利用者の視点にたって改善していこうという発想にならない。

画像1


2.心理支援サービスへのアクセスを改善する

[下山]ところが,現実は,ちょっとした適応不全で不安になり,抑うつや不眠になっただけで多くの日本人は精神科や心療内科のクリニックや病院に行くようになっている。そして,薬物療法を受け,時には多剤大量処方をされ,5分診療の通院を繰り返すことになる。心理支援によって改善される可能性がある問題でも,医療のクリニカルパス(医療への道筋)に乗せられてしまうわけです。

国民がこのような悲惨なメンタルケア状況に置かれているのに,心理職は内部対立を繰り返しているだけで,視点が外に向かない。私が心理職の内部対立を嘆く理由は,心理職の関連団体の幹部の皆さんが利用者の視点をもって活動を展開できなくなっているからです。

[信田]私は,1995年から,医療パスとは別のアクセスをずっとつくってきたつもりなんですね。私は本をいっぱい書くって言われる。でも,それは,医療へのクリニカルパスとは異なる心理支援のへのパスを作るためだった。

[下山]別に薬が必要でないレベルの人たちがクリニックや病院に行き,薬が出される。特に海外では精神科薬物の投与はなるべく控える子どもたちにも,比較的容易に精神科薬物が処方される。精神科薬物は劇薬ですから副作用もある。それこそ,精神科薬物へのアディクションとなっている患者様も多い。そのようなことが起きてしまうのは,心理支援へのアクセスが非常に限られているからだと思う。

心理職は,この問題を喫緊の課題として取り組まなければいけないのに,お家芸のように内部対立を繰り返している。多くの利用者が気軽に利用できる心理支援サービスへのパスを作らなければいけない。それが,今の私自身の課題です。それで,アバター心理相談※1)を開発したりしています。

※1)https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/z0110_00002.html
https://www.youtube.com/watch?v=YfDezGTPvW8

[信田]心理支援サービスへのパスの名称ですが,“心理”という言葉は使わないほうがよいですね。「生きることへのエイド・パス」とか,「ライフエイド・パス」とかのほうがよいと思います。そういうものを心の問題に限定しないほうがよい。私たちは,そのようなパスを伝えるために25年間やってきたつもりです。たとえば,本を書く,それからホームページを使う,SNSを使う,それから講演に行ったらとにかくカウンセリングに来てくださいと宣伝しまくる。あと,メディアに露出する,他分野の方々をつながる,コメントを求められたらちゃんと発言する,といった努力を重ねてきました。

画像2


3.利用者の利益を考えない心理職の関連団体

[信田]ところで,心理職の団体は,どうして,そのような利用者のアクセスについて考えないのでしょうか。下山さんは,心理職の関連団体の現状などをよく知っているのでしょ?

[下山]確かに以前には,そのような団体の理事をしていました。しかし,今はどの団体の理事も辞めているので,現状はよく知りません。今の自分は,心理職の関連団体の中で活動しようとは思っていません。私自身は,今は利用者のアクセスをどうして高めるのかに関心があります。しかし,現在の心理職の関連団体の多くは,利用者のアクセスといったことにはあまり注目しておらず,所属する派閥やグループの勢力拡大に関心がある人が多いように思います。そこに違和感があるので,心理職の関連団体の外部で活動をすることを選択しています。

[信田]確か下山さんは,日本臨床心理士資格認定協会の理事でしたよね。よくそのような団体の理事をしていましたね。

[下山]はい。随分昔に理事でした。理事は無給でしたが,社会勉強だと思って務めさせていただきました。理事の立場でしたが,内部から活動に批判的な意見を伝えることもありました。そのような態度がよくなかったのだと思います。ある時,理事の名簿をみたら,理事リストから自分の名前が消えていました。ですので,辞職ではなく,自然消滅でした。

[信田]現在のようなコロナ禍において心理職のニーズはとても高まっている。だから,心理職関連の団体は社会に向けて無料の心理相談を積極的にやったら,ものすごく評価が上がると思うのですけどもね。

[下山]確かにそうですね。

[信田]心理職の関連団体は,もっと利用者からの評価を重視してもよいのではないでしょうか。さらに,利用者とか当事者の立場を,より尊重することもあってもよいと思います。最近,医療では患者様と言って,利用者の方を尊重するようになっています。しかし,心理職は,転移-逆転移等といった視点で当事者との関係をとらえがちですが,利用者からどのように自分たちが評価されているかを取り上げることがないのではないでしょうか。むしろ,心理職は,利用者からの評価を本当は知らないのではないかと思います。もしくはそんなものを気にする必要がないと考えているのかもしれません。

[下山]心理職と利用者・当事者の間に権力構造ができてしまっているということでしょうか。

[信田]それはありますね。さらに心理職の世界は,医療の手術件数のように評価の外的基準がないので,外部から自らの権力のあり方を査定されることがない。それってけっこう心理職にとって不幸なことじゃないかと思うんですね。言葉では「当事者目線で」と言いつつ,同業者ワールドしか知らない。心理職の関連団体の中には会員から会費を徴収するだけで,それに見合う会員へのサービスをせずに蓄財し,腐敗していくという危険性はあると思いますね。

画像3

4.医学モデルを超えるオープンダイアローグの可能性

[下山]確かにそのような危険性はありますね。ここでも権力の問題が関わってきます。それと関連して次のテーマに移りたいと思います。すでに話題になっていたことですが,協働において医学モデルの及ぼす影響について,改めてお話を聞かせてください。特に医学モデルが協働を妨げる要因になっているとしたらそれはどのような特徴があるからでしょうか。

協働といってもただ仲良くするという意味ではなく,それぞれの職種がその専門性を出し合い,議論し合う中でより良い多職種協働をすすめていくために,医学モデルとどう付き合うのかというテーマです。そこについてはどう思われていますか。

[信田]医学モデル自身が非常に権力的ですよね。ある種の診断治療,それから被治療者,治療者っていう,二項対立が医学モデルだとしたら,すでに医学モデル自身が権力をはらんでいる。そこで不在なのは,やっぱり当事者の声,当事者との協働です。だから,協働のなかでも当事者との協働が重要となっている。だからこそ,今オープンダイアローグが注目されているんじゃないでしょうか。オープンダイアローグの衝撃っていうのは,医学モデルを一掃したことですよね。

[下山]オープンダイアローグを実践している方のお話をお聞きすると,その新しさと同時に難しさもあって,あれを維持するって大変なことですよね。

[信田]オープダイアローグは,金額的にペイしないから難しい。私たちのセンターでは(他の開業心理相談機関と同じように),複数のスタッフが関わればその分料金が高くなるのは当たり前です。一人でも二人でも同じ料金では,開業の場合はペイしないわけです。だから,オープンダイアローグが,医療保険で成り立っている医療機関ではなかなか実施できないことが,とてもよくわかる。現に私は,オープダイアローグを2例実施中です。

[下山]それをペイはなしで実施しているということですか。

[信田]お金はもらいますよ,ちゃんと。それ相応の料金を支払っても希望される方がいるんです。オープンダイアローグに関しては,多くの書籍も出版されていて,心理職よりも,むしろ一般の方(家族の立場)に多く読まれているんじゃないでしょうか。効果はありますよ。精神科医も含んだ4人のチーム,もうひとつは心理職とソーシャルワーカーの4人のチームで,クライエントの自宅を訪問しています。コロナ禍では,オンラインに変えていますが。

[下山]訪問看護の,もっとしっかりしたみたいなものという理解でよいでしょうか。

[信田]オープンダイアローグは内容的には,方法より哲学だと言われてますし,創始者は心理士なんですよ。日本では,精神科医による往診と訪問看護を組み合わせて保険点数を計算することで実践しているところもあります。結局2万ちょっとしか収入にならないので,3人のチームだったり,往復の時間と労力を考えると,なかなか採算が合わない。その時間患者さんを診てたほうが明らかに収入が高くなりますから。あれだけ鳴り物入りで評判だったのに,日本で実践が広がらないのは,今の医療保険制度の限界じゃないんでしょうか。

[下山]経済の論理はとても重要ですね。日本において権力的な医学モデルが今でも続いているのは,日本の健康保険システムが,たいへんな赤字を出しながらペイさせてしまっているということですよね。その問題は,コロナ渦の中ですぐに医療体制が逼迫してしますのに,国民だけでなく,政府の要請にも協力しない医療の現実から見えてきていますね。

[信田]そういうことですね。

画像4


5.フォレンジック(司法)モデルの可能性

[下山]さらに次のテーマとして,フォレンジック(司法)モデルについてお話を聞かせてください。

[信田]私は,公認心理師の可能性を考えるならば,むしろフォレンジック(司法)モデルが重要になると考えている※2)。それは何かというと,加害者ですよ。で,今,社会のあらゆるシステムで明らかになりつつあるのは,ハラスメントの数々ですね。そして家族の暴力である,DVや虐待です。でも,日本の法律(子どもの虐待防止法・DV防止法)は,防止と被害者の保護がメインであり,肝心の虐待する親,DV加害者へのアプローチは明記されていません。

被害を受けた存在をケアするだけって不十分ですよね。もちろん日本の心理職は,被害者支援やトラウマ治療がせいいっぱいだと思います。私は,被害者と同時に加害者へもアプローチするのが当然と思っていましたので,2005年からDV加害者プログラムに取り組んできました。そのモデルになっているのがカナダで実施されているものです。

※2)「DV加害者プログラム・マニュアル」(NPO法人リスペクトフル・リレーションシップ・プログラム研究会編著,金剛出版)
⇒ https://www.kongoshuppan.co.jp/book/b515054.html

いっぽうで法務省の性犯罪者処遇プログラムの作成にもかかわりましたので,カナダには何度も視察に行きました。そこで衝撃を受けたのは,担当しているのがほぼ全員心理職だったことです。カナダでは刑務所と連携してコミュニティでも加害者プログラムを実施している。その効果測定を連邦共通のデータベースにもとづいて毎年行う。アメリカは州単位ですから,カナダ連邦のサンプル数は多く,そこで出たエビデンスの確度も高いと言われています。

それによって,毎年プログラム内容が微調整されていくので,担当しているサイコロジスは,研究者としても厚遇されて社会的評価も高いですね。ですので,ほぼすべての活動を心理関係者が担っている。それを見たときに,日本の心理職は,何故いつまでも医学モデルに拘泥しているのかと思いましたね。多くの心理職は,就職するのが病院でしょ。あまりにも情けない。

[下山]カナダもそうですが,欧米の心理職というのは,研究ができることが重要な役割になっていますね。心理職が専門職として発展するためには,研究に関与できるスキルをもっていることです。ところが,公認心理師は,その研究をすることが想定されていない。それは,公認心理師は,医師の指示の下が働く技術者あるいは実務者だからです。日本でも,心理職が司法・犯罪分野において,カナダのようなプログラムを統括運営できる専門職になっていけたらよいですね。

[信田]そうですね。だから,私は,フォレンジック(司法)モデルに今後の可能性を見たいと思っています。

[下山]確かにフォレンジック(司法)モデルにおいて心理職ができることは多くありますね。ただ,司法・犯罪分野の家庭裁判所の調査官の話を聞くと,裁判官が頂点にたつヒエラルキーがあり,その中で働かなければいけないという状況のようですね。

[信田]確かに法務省の内部ヒエラルキーというものはあります。でも,それは,医療分野の医学モデルのヒエラルキーとは,本質的に異なっている。医療は,病院やクリニックの外部にいても,主治医として心理職を指示の下に置き,その内部に巻き込んでしまう巨大なヒエラルキーです。

しかも,医師は,明確な定年もなく,権力を実行し続けることができる。でも,裁判官は定年退職したら,もうただの人です。医者って死ぬまで医者でしょ。だから,私は医学モデルの権力性と,フォレンジック(司法)モデルの権力性は,比べものにならないと思うんですよ。それで私は,フォレンジック(司法)モデルは,心理職がまだそこで活躍できる余地はあると思う。

画像5


6.日本のメンタルヘルス政策の遅れ

[下山]確かに日本では,医師が特別な権力をもっていますね。多くの国では,医療は国家のコントロール下に置かれており,医師は準公務員として公的な立場が強いと思います。ところが,日本の医療は,経済的には国民の保険制度,つまり国民の税金によって運営されているのにもかかわらず,国家のコントロールから外れている。私立病院も多いですし,医師会が強い。

今回のコロナ渦の状況で,日本は世界的にはコロナ罹患者が非常に少ないのにもかかわらず,すぐに医療が逼迫するのは,多くの医療機関がコロナ渦の治療に協力しないからですね。最近になって政府や地方自治体が重い腰を上げて,医療に協力を強く要請し,従わない場合には名前を公表すると言い出しています。そこでわかるのは,医療は国家がコントロールできないほどの権力をもっているということですね。国際的に見ると,それは,かなり特殊だと思います。

[信田]もちろん法務省内部の権力構造は厳然としてあります。でも,そこで行われるプログラムについては,今後,法務省は民間活力を積極的に取り入れていこうという意識が強いですね。法務省も外国に遅れをとっていることは理解しています。

韓国や台湾などもDV加害者プログラムは実施していますし,多くの興味深い文献がありますね。ある人がジョークで「DV加害者プログラムに国家が言及してない国は,日本と北朝鮮だけ」と言っていました。中東や中国,ロシアだって意外とやっていますしね。そう言うと,日本の男性の暴力がそんなにひどくないからだって反論されますが,そんなことはありません。コロナ禍でのDV相談数の増加はメディアでも取り上げられました。それにしても加害者プログラムについて日本は,韓国や台湾よりはるかに遅れていますね。

[下山]なるほど,日本はメンタルヘルス全般において政策が遅れているんですね。

画像6


7.複雑性PTSDが取り入れられたことの意味

[下山]ところで,DVなどの家庭内暴力とも関連するテーマとして,複雑性PTSDの診断が最近取り入れられるようになりましたが,この影響はどのようなものでしょうか。暴力という点では,家庭内だけでなくて,学校における“いじめ”などとも関連してきます。複雑性PTSDの概念とともに,暴力の及ぼす影響の深刻さっていうのが認識されるようになっていますが,先生は,それについてどのように思われますか。

[信田]もともとはジュディス・ハーマン(精神科医)が複雑性PTSDという言葉を1980年のDSM-Ⅲに入れるように主張したのですが,拒否された。それは,ベトナム戦争後のアメリカで帰還兵を医療的に救済することが優先されたからと言われています。それから時は流れ,40年経ってやっとICD-11で診断名に入った。それは,本当に歓迎すべきことだと思います。

ある意味で“被害”というものの医療化が進むだろうと思いますが,私は,複雑性PTSDの医療化については,基本はあんまり好ましいと思っていません。でも,日本の今の精神科医療は,複雑性PTSDを扱えるほど余裕はないですよ。精神科医療は,それこそ経営維持のために追いまくられていて,午前中に外来診療で30人から40人を診なければいけない。それは,人間業じゃないですよね。そんな人たちが複雑性PTSDは扱えません。

[下山]そのような状況なので,複雑性PTSDに関しては誤診されやすいということもありますね。複雑性PTSDの症状が不安障害,パニック障害,うつ病,場合によっては発達障害や統合失調症に間違われていた事例も多いのではないかと思います。発達障害に加えて複雑PTSDの枠組みが新たに出てきたことで,従来の精神医学の診断分類の体系を見直さなければいけない時がくるかもしれませんね。

[信田]そうですね。おっしゃるとおり。

画像7

8.日本の権力構造と女性の位置づけ

[下山]次は,暴力の問題と関連する日本の文化についてお話を伺えたらと思います。先ほどおっしゃっていたように,日本はDVにおいて加害者の問題を取り上げない傾向が強いですね。世界の中でも日本は特にその遅れが目立ちます。それは,日本の文化が要因としてあるのでしょうか。

[信田]それは文化じゃないですよ。明治以降の日本の国家の基本戦略は,家族を底支えすることで日本の国をまとめて統治するという,いわゆる家父長制だったわけですね。だから,介護だって何だって,家族の中の女性が最後は支えてきた。その女性は我慢強くなければならない。だからそれを女の美風とし,褒めたたえてきたわけです。ある意味,家族を強調することで福祉のお金が節約できたわけですね。だけど,介護保険によって女性が介護から解放された。結婚するしない,子どもを産む産まないも女性が決めるようになった。こうやって,非婚少子化がどんどん進むことで,本当に日本の国は困ったと思いますよ。

でも,もし歴史の進歩があるとすれば,女性が誰も我慢しなくなることが進歩だと思うし,少しずついい時代になってきたと思っています。今はセクシャルマイノリティの存在も明らかになってきたし,耐えて我慢しなくてもいい。そう考えると,日本の家族は,今後,もっと別の方向に行くかもしれない,そう思いたい。

でも,その希望とは裏腹に,あまり楽観はできないと思います。いっぽうで「家族愛を大切に」「親をうやまえ」「日本の美風」を掲げる勢力が,現状に対してものすごい危機感を抱き,ネトウヨ的な言説を支持しているからです。私みたいな言説を,好ましく思わない人たちがいっぱいいる。SNS上で,私なんか叩かれている。

[下山]夫婦別姓も,結局進まなかったですしね。

[信田]そうですね,残念ですが。それとDV加害者を逮捕しないっていうのは同じ流れです。家族の中の暴力は,「家族に任せる」「家族で解決する」のを推奨するからです。この5年でけっこう変わりましたが,基本的にDVの加害者に介入するよりも,妻を逃がすことが主眼でした。「法は家族に入らず」という近代法の原則は,明治から今まで変わりませんでした。そこにメスを入れないと,DV加害者に対してプログラム参加を命令できないわけです。

[下山]なるほど。明治の時代につくった家父長制が機能しなくなっているのに,その現実を見ずに過去のあり方に拘る人たちがいるということですね。

[信田]それは,既得権益だから放さないんじゃないでしょうか。

[下山]でも,それだと,結果として日本がどんどん沈んでいきますよね。日本の高度成長のときは,まさに会社が家族でしたからね。男性はガンガン働いて,女性が家を支えて,日本を支えたという構図ですね。それはもう成り立たなくなっているのに,変えられないですよね。

画像8

9.未来に向けての日本の心理職の課題

[下山]最後に,このような状況において日本の心理職は,どのようにしていったらよいのでしょうか。心理職の未来に向けて,先生の考えておられる課題を教えてください。

[信田]やっぱりユーザー,つまり心理支援の利用者の視点を大切にすることです。自分たちの相談援助によって助かる人がいる。その助かると思う人たちをどこまで大事にするかっていうことです。それは,原点ですよね。学派間の論争や理論構築も必要かもしれませんが,いっぽうで自殺企図や暴力の問題を抱えるひとが助けを求めていることを知ることでしょう。

それからもう一つは,ソーシャルワークができること。心に注目し,心の内部にどんどん焦点を置いていくという方向性や理論を,私は否定しない。でも,“心理”の曖昧さゆえの社会的困難さを考慮するならば,やはりソーシャルワークができることが重要。それから,フォレンジックなものを対象とする,このような方向性を開拓していく必要があるんじゃないでしょうか。外に関心を向ける,即応的で介入的役割が果たせるための教育がもっと増えても良いと思う。利用者とソーシャルワークの重視という2点ですね。

[下山]最後は,“利用者”の重視と“ソーシャルワーク”の重視という2点にまとめていただきありがとうございました。権力構造を変えていくという点で日本の国も,日本の心理職もいろいろと課題が多いですね。先生との対談を通してその具体的な課題が見えてきました。改めて貴重な機会をいただき,御礼を申し上げます。

■デザイン by 原田 優(東京大学 特任研究員)
■記録作成 by 北原祐理(東京大学 特任助教)

画像9

目次へ戻る

〈iNEXTは,臨床心理支援にたずわるすべての人を応援しています〉
Copyright(C)臨床心理iNEXT (https://cpnext.pro/

電子マガジン「臨床心理iNEXT」は,臨床心理職のための新しいサービス臨床心理iNEXTの広報誌です。
ご購読いただける方は,ぜひ会員になっていただけると嬉しいです。
会員の方にはメールマガジンをお送りします。

臨床心理マガジン iNEXT 第21号
Clinical Psychology Magazine "iNEXT", No.21


◇編集長・発行人:下山晴彦
◇編集サポート:株式会社 遠見書房



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?