「透明なこころ」であること
「透明人間」
では、ないですが。
わたしが思うに
「透明なこころ」であるというのは
「清らかなこころ」であること。
ここに、透明度の高い水があるとして
そこに、わずか一滴の墨汁を
落とすとします。
それはたちまち、水のなかで混ざり合い
濁った水になる。
もともと、透明な水でなければ、
わずか一敵の墨汁に
そこまで影響を受けることは
ないのだけど。
日々、ゆれ動く世界。
そこで何かを
敏感に感じ取るこころがあるというのは、
それだけ「透明なこころ」「清らかなこころ」の
持ち主である、ということなんじゃないかな。
あるがままを見る目。
あるがままを感じ取る力。
あるがままに生きること。
そこに、必要なのは純度ではなかろうか。
濁りから物ごとを見るのではなく、
澄んだ目でものを見る。
清らかなこころで感じる。
鎧をかぶらずとも、
武器をもたずとも、
世界が純粋なものであふれ
混ざり合う世界になるといいな。