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「神さまにでもなったつもりかよ」

荒れた中学校に通っていた。「公立中学校」というのは異常な空間だった。ただ同じくらいの年に生まれて同じ学区に住んでいたというだけで、性格も学力も家庭環境も何もかも違う未熟な人間たちが、狭苦しい空間での共同生活を強いられる。

みんなストレスが溜まっていたんだと思う。当然のようにいじめも起こった。どこのクラスもなんとなくギクシャクしていて、いじめの標的もコロコロ変わった。一年生のときのいじめの標的は私だった。幸いなことにいじめは一年で終わったが、とてもつらかったし、悲しかった。私には“友だち”がいたはずなのに、いじめられているときに助けてくれる人はいなかった。

どこの学校にも少なからずカースト制度と呼ばれるものは存在しているだろう。例に漏れず私の中学校にも存在していて、私と私の“友だち”は最下層だった。最下層同士の仲間意識というのもシビアで、普段はクラスの隅で目をつけられないように身を寄せ合って適当に雑談でもして過ごし、誰かが嫌がらせの標的になったときは、とばっちりを受けないように見捨てた。そんな関係だった。私たちはそんな関係だったということに、いじめられてはじめて気づいた。

表面上は仲良くして、でも仲良くするのは自分の損得を考えたからであって、自分が損をすると分かれば、あの子と友だちだったのは昨日まで。
そんなの友だちじゃないと思った。でも、私も弱かった。そんなの友だちじゃない、と強く思いながら、私を見捨てた“友だち”と二年生になってからまた笑い合った。

二年生になって、他のクラスに来た転校生が嫌がらせを受けていると聞いたとき、私は「助けなきゃ」と思った。いじめられるのはつらい。でもいじめられるよりも、自分がつらい思いをしているときに、誰も助けてくれないことは、もっとつらかったから。

今でも鮮明に覚えている。放課後の教室で、「なんとかしてあの子を助けたい」と言ったとき、“友だち”は私を真っ直ぐ見つめてこう言い返した。

「あなたに何ができるの?助けたいって、神さまにでもなったつもりかよ。」

衝撃だった。怒りとか悲しみとか、とにかく嫌な感情が自分の心をぐるぐる回っているのを感じた。あまりの衝撃で、何も言い返せなかった。みんな本当は助けたいと思っていると信じていたからだ。だからこの返答は、私にとってあまりにも予想外だった。
あのとき私を見捨てたのだって、きっと助けたいけど、一人では助けられないから……
そう信じていたのだ。あのとき私を見捨てた“友だち”も、悪い人なんじゃなくて、勇気が出なかっただけだって信じたかったから。でもそれはただ一人、私だけが抱いていた幻想に過ぎず、そもそもみんなは助けたいとすら思っていなかったんだな、ということに愕然とするばかりだった。

結局私は一人で、先生に転校生が嫌がらせを受けているらしいと報告したが、現状は何も変わらなかった。転校生はその後、学校に来なくなった。
未熟だった私はこの一件が起こるまで、自分は何でもできるんじゃないか、人を助けられる力があるんじゃないかと信じ込んでいた。しかし、実際は無力だった。

“友だち”は私が気づくよりもっと前から、自分の無力さを自覚していたのかもしれない。だから、どうせ自分が何をやっても、何も変わらないと分かっていたから、私に協力しなかったのかもしれない。

中学生のときに自覚した無力感からは、未だに逃れられずにいる。困っている人を助けたいと思ったときに、「神さまにでもなったつもりかよ」という言葉がどこからか聞こえてくる。あのときの私は何も言い返せなかった。しかし、自分の無力感と散々闘い続けて、何度も負け、それでも何度か打ち克った今なら、“友だち”にこう言い返せる。

無力感と闘いながらも、私たちは誰かに手を差し伸べなければならない。自分が無力だと思うのは結構だが、それで誰かを見捨てるのは悪だ。私たちは何もできないし何も変えられないかもしれないが、それは誰かを見捨てて良い理由にはならないだろう。