よもやばなし

檀ふみのエッセイに、感謝の意味を込めて「すみません」と言うのは日本語だけだと書いてあった。その話を友人に話したときに言われた言葉がある。

「エッセイ読むんだ、すごいね」

正直、どうしてこんな言葉が出たのだろうと思った。だから、私は「そうかな、読みやすいよ」と言ったのだけれど、そもそも本を読むこと、読まなくても本を鞄に入れていることに感嘆している様子だった。
本を持ち歩く私も、本を読まずにスマホで時間を潰すことが多い。そんな時代だ。それならば本など持たないほうが荷物も軽くなるのに、どうしても持ち歩いてしまう。そして、電車で座れたら本を開くこともある。本を読む習慣はいつの間にか身についていた。そのきっかけになったのは、あるラジオ番組がある。


日曜日、目が覚めるとコードが耳元や首元に絡まっていることがあった。イヤホンを着けたまま眠っていたからだ。

BOOK BAR

このラジオを番組を土曜の夜にスマホやウォークマンからイヤホンを通して聴いていた。大好きなラジオ番組だった。好きなのに、心地よい音楽や会話に私は眠りに誘われてしまうのだ。
本の紹介をする番組と説明すると堅そうだのつまらなそうだの言いそうな人もいるだろうけど、この番組は本をきっかけに世間話(番組紹介ではよもや話なのだが、分かりやすく世間話と説明させていただきました)をするような番組だった。その話に笑ったり、「へー」と唸ったり、時に流れてくる音楽に涙したりと思い出が詰まった番組だ。

聴くきっかけになったのは、杏ちゃんのエッセイ『杏のふむふむ』がきっかけだ。その本に一緒にラジオをしている大倉さんのお話だけでなく、本をきっかけに友達ができたことをラジオで話したと書いてあった。
それまでラジオをほとんど聴いてなかった私は「杏ちゃんがラジオをやってるんだ〜」程度の軽さで聴いてみたのだ。本はぼちぼち読むけれど、本のラジオをなんて難しそうだしなぁと、まぁものは試しだという気持ちで聴き始めた。

気づいたら、私は番組で紹介された本を検索していた。そして、図書館にあると知って借りて読み始めた。本が面白そうだと思ったことはもちろんなのだが、杏ちゃんと大倉さんのお話が本当に楽しそうだったのだ。本のことを話していたはずなのに、そこから身の回りの話に派生したり、うんちくのようなことも出てきたり。話が魅力的だったのだ。
その会話に直接入れなくても、本を読めば間接的に入れるかもしれない。もともと杏ちゃんのファンだったことあって、ミーハーのような動機かもしれないけれど、私も本を携えて会話に入りたくなったから、番組に出てきた本を読み始めるようになった。本を読めば、感想を伝えたくなる。そんなときは番組にメールを送ることもできた。実は番組で読んでもらえたことがあって、そのときはどれだけ心臓がバグバグしたことか。
ありがたいことにradikoでタイムフリーで聴けることを知ってからは寝落ちしても聴けるようになったし、心臓がバグバグして聞き逃した部分を聴いたし、観たいテレビ番組と重なってもエセ聖徳太子にならずに済んだ。

長く続いたラジオ番組ではあったが、数年前に終わってしまった。私はその最後の数年しか聴いたことはなかったのだが、番組のホームページが残っていて、紹介された本を遡って知ることができた。番組で流れた音楽も紹介されていたから、時々検索して聴いては終了のロスを癒やしていたのだが、そのホームページも今はない。
終わる際に「読書の秋スペシャルで復活もありですからね!」とおっしゃっていたけれど、いまだに復活は叶っていない。時々メールが少ないと素直に話していたけれど、J−WAVEには問い合わせが少ないのだろうか。それとも、書籍はどんな媒体になってももう需要がないのだろうか。そんなことはないはずだと信じている。

このラジオ番組が終わってからずいぶん本を読むペースは落ちてしまい、今はただ持ち歩くだけの状態に近い。どんなに読むのが遅くても本を携えているのは、いつかこのラジオ番組が復活した時にまたふたりの会話に入りたいからだ。
今日も明日も、そしてこれからも、私は本とラジオ番組『BOOK BAR』への思いを携えていく。

#好きな番組

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