変わりゆく景色

よく通る道に本屋がある。今では珍しくなっている個人経営の、しかも昔から地域に根付いているらしい本屋である。ある日その本屋に立ち寄ったら、こんな言葉が飛んできた。

「本当に残念だよ」

客のおじいさんが若い店員にそう話しかけている。ごめんなさいと思いながら耳の意識をふたりの会話に向かわせた。

「本当に本屋がなくなっちゃうと、文化が廃るんだよ」
「こんなことを言っている私もネットで本を買ったりしちゃうから行けないんだけどさ、昔から通っていたからさ」

おじいさんが一方的に話していることに、店員が頷いているだけだった。この本屋さん、無くなるのだろうか……と私の脳裏にも浮かんだのだが、核心となるような話はふたりから出てこない。今もまだその本屋はあるし、店内に閉店の文字も無かった。しかし、その話を聞いて少し店内を見渡すと、少し寂しい本棚のスペースがあることも気づく。
地域に根づいているだけあって教育関連のドリルや問題種の量は、近くの他の大型書店系列の本屋に比べると充実している気もする。きっと学生をはじめ学校関係の人はここをよく使うのだろうと思っているのだが、真相は分からないし今後どうなるのだろう……。そんなことをいつも通るときに考えてしまう。

建物の老朽化で大型書店が消えることもあるが、個人経営の本屋が本当に消えた。これは本の売上が大きく影響していることは間違いないだろう。そして、以前なら実店舗では値引きされて本が売られるなんてそうそう見なかったはずなのに、最近ではちらほら雑誌などはバックナンバーが値引きされて売っていたりする。そして、私はそれを買ったりする。
私はそんな人間なのだが、ビッグマウスと見過ごしていただいて少し夢を書き留めてみようと思う。

エッセイを出してみたい。フォトエッセイでもフォトブックでも、出してみたい。雑誌の表紙を飾る。
少しどころではないビッグマウスだ。もっといえば、メインキャストで憧れの舞台、ドラマ、映画にも出たい。
そのためにやってきたこともなくはなかった。しかし、霞む映像の中のひとりや流れているかもわからぬ膨大な情報の中にいる。

本屋よりも私が消えそうに思う日々。もう過去の憧れに留めておけばいいのだろうかと思ったりするのだが、それができないのは秘めた思いにしては大きすぎること、希望が一瞬でも見えた気がしてしまったこともあるかもしれない。壁はとてつもなく厚く、高さもあって幅もある大きなものなのに、見えないゆえに行けるんじゃないかと錯覚してしまっているから。

その錯覚が嘘じゃないと信じたい気持ちもある。
人生何が起こるかわからないということもある。
ネガティブなのに鋭利な楽観視が自分の中にあることが憎い日々だ。しかし、その夢の輝きが苦しいのに美味を感じることもある。夢を叶えたいのはその美味を多く味わうこともひとつの理由かもしれない。

だから、私は今もこうして綴っているのかもしれない。ときに景色の一部になるのかもしれない。
本屋も私も、残るために。景色に増えていくだけでなく、その中心になって世界の橋渡しのような存在になるために。


追伸
少し酒の力を借りた駄文を失礼しました。

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