私書箱の手紙

拝啓

もう師走も走り抜ける頃でしょうか。寒さが一層増す季節ですから、このお手紙を読む方のお身体のことが心配です。私は長く生きていますから体の不調を感じる日々もありますが、元気過ごしています。

12月になると、私は愛する人のことを考えてしまいます。結婚した月でも、誕生日でもないのですが。戦争のことを思い出すのです。12月8日、真珠湾攻撃の日です。私の夫はアメリカ人です。
世の中は終戦記念日と言われる8月15日が近くなると、先の戦争のことをテレビや新聞で話し出します。ですが、私は戦争が始まったとされる12月8日が1番先の戦争を思い出し、夫を思うのです。

私と夫の出会いは職場の出会いでした。私は英語を話すことが出来ました。戦後、私は米軍と関わりのある場所で働き始めました。お給金が良かったこともありますが、英語で海外の人と話すことが夢だったのです。意外にも思われるかもしれませんが、私たちの年代も小さい頃から海外に憧れがあったのですよ。英語を学びたくて女学校に通った方もいらっしゃいます。ただ、戦争で英語を学ぶどころではなくなってしまい、代わりに竹のやりを持って敵軍に対抗するなんて無謀な授業が始まってしまいましたけれど。
私も英語を学びたくて進学し、戦争に揉まれましたが密かに英語の勉強は一瞬でもいいから忘れないようにしていました。そのおかげでか、上手く英語は話せなくても英語に触れられる職場につくことが出来ました。本当のところ、英語ではなく女であったこと、まだ若かったからなんて理由だったのかもしれません。それでも憧れだった環境とのちの夫と出会えたことは、今思えばとても幸せなことだったでしょう。

しかし、周りはこの結婚を手放しで喜んでくれたわけではありません。米軍と関わりのある場所で働くことにも怪訝に思われていました。生活のためと割り切って考えていた両親もおつき合いについては長く続かないだろうと目を瞑っていたけれど、結婚となると勘当同然の反応を示していました。戦争で友人や親戚の人が誰も亡くならなかったわけではありませんでしたから。
私もそのことを承知していたのですが、好きになってしまった。そのことに歯止めがきかない状態だったのは若かったからとも言えますが、今も夫を愛したことは間違いではなかったと思います。

だから、考えてしまいます。もし戦争がなかったら、私は夫と出会うことはなかったのだろうかと。戦争を肯定することはありません。夫が戦時中とはいえ人を殺してきたことも許すことは出来ません。それでも時代のせいだと、私自身も割り切って愛していたところがあるのは事実です。ですが、争い事で人を傷つけ、命までも奪い合うことは二度と起きるべきではないと思います。たとえ愛する人であっても、です。
しかし、日本が敗戦国になりアメリカの占領下になった環境があり、そこに私が働きだして出会ったことのきっかけが戦争であった。そこはきっと揺るがない事実なのです。その始まりがなかったら、戦争がなかったら出会わなかったのだろうかと。

その答えはわかりません。ですが、私は思います。戦争がなくても出会えたと。戦争がなければ、英語をもっと勉強することができて上達したかもしれません。海外に渡った先であなたに会えたかもしれないし、この国で出会うことができたかもしれない。
かもしれないだなんて嘘です。私は絶対にあなたと出会っていた。あなたと幸せな日々を過ごしたことが断言する理由です。

苦しい時代が続いていましたが、やっと平和が見えたと思ったのは一瞬でした。近年は不安なことが騒がれ、あっという間に海を超えた先から涙声が聞こえてくるようになってしまいました。悲しいことです。
せめてこの涙声が小さくなるように、いえ、涙声がなくなり笑い声がここでも遠くからでも聞こえる世の中になりますように。今年の12月8日はあなたとの思い出とともに祈るばかりです。
このお手紙を読んでくださっているあなたも笑い声で溢れる日々が送れていますように、幸ある日々になるように祈ってます。

敬具



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