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鬼滅の刃と呪術廻戦

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こんにちは、最近アマプラの「ウォッチリスト」がアニメで埋まりつつあります、エイです。

ちなみに最近Vivyってアニメを見たんですが、これもまためちゃくちゃ面白くて……でも意外とマイナーなんですよね……。


さて今回はアニメの話題です。

『鬼滅の刃』『呪術廻戦』といえば、ここ最近のアニメ・漫画史を塗り替えてるんじゃないかレベルの大人気で、その名を知らぬ人はアニオタ以外でもいないんじゃなかってレベルです(多分)。

かくいう私も、アニメで両方の作品をがっつり見ています。

そこでせっかくなので、この二つのアニメを比べながら、魅力を紹介しつつ分析してみたいと思います。

えぇそうです、ただの感想文です笑

でもやっぱり語りたいじゃないですか、だって面白いんだもの!

というわけで、早速お付き合い、よろしくおねがいします。


正義の主人公が悪の鬼共をぶった斬る! 
王道少年漫画『鬼滅の刃』

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主人公のキャラクター、ストーリーの流れなどが、がっつり王道を行っている(と私は思いました)、これが鬼滅の刃最大の特徴じゃないかと思います。

王道というのは、例えば戦隊モノやアンパンマンに代表される、勧善懲悪もの、「悪い奴がいて、正義の主人公がお仕置きする/やっつける」という物語です。

ついでに言うなら、『鬼滅の刃』は仮面ライダー的な要素も含めており、こういう意味でも王道です。
仮面ライダー的、というのは、「敵と同じ力で主人公側(正義側)が戦う」という意味です。
(※仮面ライダーの作品は全て主人公と敵が同じ力を持っていることが共通しています)

主人公の妹禰󠄀豆子ちゃんが敵と同じ、鬼である、という点がそれです。

こういった点で、「まさに王道!」なのです。


また、主人公炭治郎の言動も、「THE 主人公」です(遊郭編前までの話ですが……)。

「俺は悪いと思う、だから悪い!」
「それはよくない、だからやっつける!」
「だめったらだめ!」

物語の中では、主人公にとっての良いこと=正義として、物語が進行します。

このため、視聴者は安心して主人公に感情移入して爽快感を楽しむことができます。

この点もとても王道で素敵だなぁ、と思います。


昨今は「多様性」「考えよう」「疑おう」という風潮が強く、(おそらく)多くの人が「考えること」に疲れているのではないでしょうか。

そんな中、「鬼滅の刃」は主人公たちの主張がはっきりしていて気持ちがいいのが特徴です。

普段もやもやしていることも、炭治郎が「俺はそうだと思う!」と言ったらそうだし、煉獄さんが「うまい!」と言ったらうまいのです。

悪い奴はしっかり叩きのめされ、そうでない人はちゃんと救われる(例え悲しい結末であったとしても)。

鬼滅の刃は、そういったストレスをストンと落としてくれるような、王道で爽やかな気持ちのいい作品だと私は思いました。


間違ってても、俺は私は君のために戦う!
「呪術廻戦」

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「THE 王道」として紹介した鬼滅の刃に反して、呪術廻戦はちょっと外れた部分があります。

主人公が正義で対峙するのが悪、ここまでは鬼滅の刃と同じく王道です。
主人公も敵も同じ呪術(呪い)を使って戦う、これも仮面ライダー的で似通っています。

ただし、呪術廻戦の場合、「主人公が正しいかどうかはわからない」というちょっとした変化球があります。

このため鬼滅の刃のような、底抜けの爽快感は損なわれていますが、代わりに鬼滅の刃にはない力強さと没入感がプラスされています。

例えば主人公がとんでもない力を手に入れてしまい(例の指を丸呑みするところです)、あわや処刑されるというとき、友人の伏黒が主人公を助けようとする、というシーンがあります。
ところが、物語の中で「主人公が処刑されない」ことは基本的に悪とされています(この世界の常識では殺すべきということです)。
しかも、主人公はそれを承知しています。

鬼滅の刃であれば、「それはよくない、人の命をなんだと思ってるんだ、だめったらだめ!」と爽快に切り捨てるところを、あえて「もやっ」とさせるのです。

でも同時に、「それでも主人公を助けたい」という周りからの友情や絆がより強く表現され、力強さがプラスされています。

視聴者は物語を読み解きながら「これは正しい決断なのか、そうじゃないのか」「この後主人公たちは正しい道に進めるのか、悪い道に闇落ちするのか」と不安になりながら物語を追うこととなります。

いってみれば、日常的な葛藤を物語の中で仮想体験させられるのです。

だからこそ、没入感はより深くなります。

主人公と一緒に悩み、考え、葛藤することとなるのです。


一見すると鬼滅の刃とは反対のようにも見えますが、やはり時代に合った物語だと私は思いました。

それこそ、今の時代は何もかもを考えなければならない、判断しなければならない世の中です。

「もしかしたら間違っているかも、相手の方が正しいかも……」そんな不安の中で生きる私たちに、呪術廻戦の世界は一つの解法を示してくれているのかもしれません。


あなたのツボはどこから?
わちゃわちゃほっこり系?(鬼滅の刃)
ユーモラスなニヒル系?(呪術廻戦)

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一通りの紹介が終わったところで、今度はコメディシーンで比較していきましょう。

鬼滅の刃、呪術廻戦、どちらもギャグシーンが楽しく秀逸であるのも共通点です。

思わず吹き出すような、日常的なシーンは、厳しい世界観を生きる主人公たちを、ちょっとだけ私たちに近づけさせてくれます。

どちらも、違ったギャグシーンの作り方をしています。
比べてみると、一言でギャグシーンといっても、いろんな作り方があるのだと気付かされます。


まずは、鬼滅の刃から紹介しましょう。
鬼滅の刃のギャグシーンの特徴は、シンプルで楽しく、可愛らしい点です。

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わかりやすいのは善逸(雷の呼吸を使う、金髪のキャラクター)のギャグシーンです。

鬼殺隊という鬼と戦う組織にいながら、怖いこと、戦うことが心底苦手な善逸は、ことあるごとに駄々をこねて叫び散らします。

「イヤアアアアアア」
「コワイイイイイイ」
「キャアアアアア!!」

瞬発力のある勢いの良いギャグシーンは、大人から子供まで、幅広い世代で楽しめる、シンプルでわかりやすい笑いで構成されています。

小さなお子さんが鬼滅の刃にハマれるのも、こうしたシンプルな笑いが理由のひとつかもしれません。

大人から見ても、どこか微笑ましく、ほっこりと笑えるシーンが多いのも特徴です。

主人公の妹、禰󠄀豆子の奇想天外な行動によるギャグシーンは、思わずほおが緩む可愛らしいシーンが満載です。

ボケのシーンは基本的に叫んだり暴れたり、飛んで行ったり(!?)、激しい動きが中心なので、静かなツッコミが笑いの緩急を的確に作り上げます。

ある意味漫才的なギャグ、とも言えるかもしれません。

ちなみに私は煉獄さんの「うまい!」のシーンあたりが大好きです笑
なんかもう反射的に笑いが込み上げちゃうんですよね。


一方、呪術廻戦はなかなか捻りが効いてます。
鬼滅の刃と異なり、ある程度の社会常識がないとギャグ自体を理解するのが難しいかもしれません

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例えば「オッパッピー!」と主人公が箱から出てくるシーンは芸人小島よ◯おを知ってた方が笑えるでしょうし、五条悟先生がボロボロの伏黒(生徒)を写真で撮りまくるシーンでは「情けない姿を写真に収められてばら撒かれるのは恥ずかしい」という共通認識が必要になります。

鬼滅の刃のギャグシーンと比べると、小さな子全員が理解するのは厳しいでしょう。
また、全世界で人気の鬼滅の刃に対して呪術廻戦が日本中心に人気になっているのも、このギャグの難しさが理由ではないかと思います(海外の方にもわかりやすい笑い、とはいえないのかもしれません)。

ただし、その爆発力は凄まじく、鬼滅の刃にも引けを取りません(というか下手したら上回ります)。

ギャグに対する説明がない分、間口は狭くなってしまいますが、その代わりテンポが良く、ショートコント的な面白さがあります。

絶妙な間、無言の圧、モノマネ、意表をつく表現、テンポの良さからくる笑い。
ここに関しては、完全に鬼滅の刃よりも上回っています(と私は思いました)。

だからこそ、呪術廻戦は根強く人を簡単に離さない強い魅力を生み出しているのではないか、と私は考えます。

ちょっと悪いけど、めちゃくちゃ面白い友達、そんな楽しさが呪術廻戦にはあるように思うのです。


温かくて涙が込み上げる鬼滅の刃
叫びたいほどの悲しみが溢れる呪術廻戦

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ギャグシーンの比較の次は、悲しいシリアスシーンの比較です。


鬼滅の刃のシリアスシーンは、LiSAの「炎」を聞けば一目瞭然です。
込み上げてくるような、温かな感情と共に、涙がこぼれます。

蜘蛛の鬼、累など、倒される鬼の多くは悲しい過去を持っています。
そして最期のときになって、過ちに気づき、静かに目を閉じるのです。

映画『鬼滅の刃 無限列車編』でお馴染みの煉獄さんの最期もまた、家族との回想シーンも相まって、悲しさと温かさが同時に込み上げてくるような演出が光りました。

主人公炭治郎も度々涙し目を伏せます。

残酷で悲しい現実を、静かに受け止める、これが鬼滅の刃の悲しいシリアスシーンの特徴ではないかと思います。


呪術廻戦の悲しいシリアスシーンも、過去の回想や人物の掘り下げから涙を誘うのは共通しています。

ただし、主人公たちが表立って涙することは少なく、常に「次こそは」と顔を上げるシーンが目立ちます。

鬼滅の刃の炭治郎が一つ一つの悲しみを、噛み締めながら乗り越えるのに対して、呪術廻戦は一つの悲しみを胸に刻みつけ次へと向かいます。

途中で主人公虎杖が仲間から「死んだ」ものとして伝えられるシーンでも、涙のシーンは短く、「虎杖の死を無駄にしない!」と比較的すぐに前を向きます。

これは呪術廻戦がメッセージの発信をより大事にしているからではないか、と私は考えます。

呪術廻戦はあちこちにアンチヒーロー的で印象的な台詞回しが見受けられます。

「俺は正義の味方(ヒーロー)じゃない 呪術師なんだ」
「『死んで勝つ』と『死んでも勝つ』は 全然違うよ」
「てめぇの人生は仕事かよ!」

こうしたセリフから、呪術廻戦はセリフに重きが置かれているのではないでしょうか。
悲しむシーンを長引かせると、セリフの印象が薄らいでしまう可能性があるのでしょう。


シーンで泣かせる鬼滅の刃、セリフで泣かせる呪術廻戦、とも言えるかもしれません。


才能と技の修行、努力の結果の鬼滅の刃
才能と積み重ね、創意工夫の呪術廻戦

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続いて特に大きな違いが見られたのが、修行のシーンです。

実は鬼滅の刃も呪術廻戦も、修行シーンが共通してあります。
ただし、その描き方は対極と言っていいほど違うのが面白いところです。

まずは鬼滅の刃です。

鬼滅の刃に登場する修行は、一言で言うなら、体育会系の修行です。
罠だらけの山を駆け回ったり、石を刀で斬る修行をしたり。
ひょうたんで肺活量を増やす修行など、ザ・体育会系の修行シーンが随所に散りばめられています。

序盤の修行シーンはシリアスながら、後半は段々とギャグも混ざり始めます。

基本スタンスは数をこなす、努力する、とにかく頑張る、です。

王道の鬼滅の刃らしい、わかりやすく、同時に真似しやすい(ひょうたんのくだりや走り込みなど)修行が多いのが特徴です。

実際の戦闘シーンでは、努力の結果、筋肉や呼吸方法、体力の向上が成長に反映されます。


一方、呪術廻戦の修行シーンは鬼滅の刃より、技術面が中心で、比較的地味なシーンが多いです。

例えば、主人公虎杖が呪術を高めるために、ひたすら映画を眺めるシーンです。
体育会系の鬼滅の刃の修行と比べると、なんとも地味です(真似し易くはありますが)。

投げ飛ばされたときの受け身の訓練や、軽い模擬試合など、体育会系の筋肉を鍛える修行、というよりは、技術的な修行シーンが目立ちます。

数をこなす、というスタンスは鬼滅の刃の修行シーンと共通しますが、「努力する、とにかく頑張る」といった、汗の匂いはあまりしません。

また、実際の戦闘シーンでは、「努力の結果」、というより、「技術の習得」といった形で修行内容が活かされます。

ここも鬼滅の刃とは異なるスタンスをとっています。

ピンチの場面を切り抜けるのも、ひらめきや創意工夫に頼るところが大きく、ここも鬼滅の刃とは異なります。


この二つの修行シーンは、今の社会の二面性を表しているような気がしてなりません。

ひとつ目は、「努力は報われるから頑張る」ということが美徳とされていること。
もう一つは、「地頭の良さとスペックがものを言う」という価値観です。

言い方を変えると、「頑張ればなんでもできる」と「頑張っても報われるとは限らない」です。

鬼滅の刃も呪術廻戦も、それぞれ別の面を物語の主題に置いていますが、どちらもこの二面性に対して的確に対応しています。

鬼滅の刃は努力によって鬼に勝つシーンを見せつつも、随所に「鬼殺隊になる才能(主人公たちのように鬼を倒す力)を持てなかった人物」を登場させることで、「頑張っても報われるとは限らない」とうもう一つの面をカバーしています。

呪術廻戦は上のような修行シーンにより、「努力は報われる(報われるには努力が必要だ)」という面を補っています。

この二つの作品がヒットしたのは、こうした共通点があったためかもしれません。


覚えやすくて濃ゆい、鬼滅の刃のキャラクター
スタイリッシュで等身大、呪術廻戦の登場人物

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あえて「キャラクター」と「登場人物」と表現を変えたのにはわけがあります。

鬼滅の刃と呪術廻戦、その中でも一番大きな違いは、人物の作り方ではないか、と思ったからです。

例えばマスク売り場や巾着売り場などに行けば、鬼滅の刃の炭治郎や禰󠄀豆子の着物と同じ柄のグッズがたくさん売っています。
緑と黒の市松模様をみれば、すぐに炭治郎のものだとわかりますし、桃色の地に赤と白の市松模様があれば禰󠄀豆子のものだとわかります。

一方、呪術廻戦のキャラクターは、ここまで簡略化したグッズを出すことができません。

なぜなら、鬼滅の刃はキャラクターとして形が作られており、一方呪術廻戦は登場「人物」として作られているからです。


鬼滅の刃のキャラクターは誰でも一回見ただけで、誰が誰だか見分けがつき、すぐに覚えることができます。

見分けがつくから、すぐに物語に入り込むことができ、間口がとても広いのです。

性格もそれぞれ激烈で個性が激しいので、口調だけでキャラクターを見分けることができます。

ただしキャラクターとしての見た目が強いので、視聴者とキャラクターの距離がやや遠くなってしまうのがデメリットです。
(リアルな見た目ではないからです)


呪術廻戦のキャラクターは鬼滅の刃のように簡略化することが難しく、多くのキャラクターが同じ学校の生徒なので、似たような格好をしています。

性格は個性豊かですが、覚えるのには少々時間がかかるかもしれません。
(私なんかは伏黒と先輩らへんの関係とかの区別が怪しかったです……)

その代わり、現実の人間に近い構造で出来上がっているので、読者は登場人物たちと近い距離で物語を見ることができます。

先にも言った没入間を、より高めることができるのです。

また人物個人のアイコンは少ないものの、制服や仕草などのアイコンが多いことで、人物をより身近にさせているかもしれません。


先に見るのはどっちにしよう?
〜鬼滅の刃・呪術廻戦の、好みが分かれるクセ〜

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鬼滅の刃、呪術廻戦。

どちらも人気の作品ですが、それなりにクセもあります。

まだ鬼滅の刃、呪術廻戦を見ていない方、どっちから見るか迷っている方、どちらかを見て、もう片方を見るか検討中の方に向けて、それぞれの作品のクセを紹介していきたいと思います。


まず鬼滅の刃です。

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注意していただきたいのは、戦闘場面です。
よく耳にするのは、「グロすぎる」という声です。
(ちなみにバイオハザード・SIREN常習勢の私にしたら大したことはありませんでしたよ(ドヤッ)

鬼滅の刃は小さな子供たちにも人気な一方、反して描写が残酷であることが時折指摘されています。

これは鬼滅の刃の敵キャラクターである「鬼」を倒す条件が、「首を斬り落とす」であることから生じる弊害です。

人体の欠損シーンや、出血描写、絶命描写が苦手な方には、あまりおすすめできません。


また個人的には、「正しいこと」への主張がやや強すぎるのも、人によっては苦手かもしれない、と思うクセの強い部分の一つです。

王道の物語として、いい点でもあるのですが、同時に「いいったらいい! 悪いったら悪い!」で進んでいく場面も少なくないので、そこで抵抗を覚える方もいらっしゃるかもしれません(私自身、最初は少々抵抗がありました)。

勧善懲悪ものが肌に合わない、という方は、首をひねることになるかもしれません。


あとはギャグシーンです。
というか、アニメ版の善逸です笑

このキャラクター、とても賑やかで面白くて楽しいのですが、人によってはちょっとうるさく感じるかもしれません。

大きな音が苦手、叫び声が苦手、という方は、音量を落とすか、コミック版で楽しむのをお勧めします。

……本当に楽しくていい子なんですけどね……。


次に呪術廻戦です。

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まず第一に、ガラが悪いです。
言葉遣いが悪いです。

鬼滅の刃は時代設定のこともあり、比較的上品な言葉遣いが主流です。
(汚い言葉遣いも難解であったり、やや子供っぽい描写であることが多いです)

しかし呪術廻戦は、まるでヤンキー高校のようなガラの悪いシーンやキャラクターが目白押しです。


そんなキャラクターたちが中心なので、鬼滅の刃のような正統派の正義のキャラクターは基本的に存在しません。

大人気の五条悟先生も、基本的にはダメ教師ですし、他のキャラクターたちも、多かれ少なかれ、悪いところや残念なところが目立ちます。

勧善懲悪の爽快さ皆無の、胸糞悪いシーンも少なくありません。


呪いの描写がなかなか気持ちの悪い素晴らしいデザインをしているところも注意です(私は大好きなのですが……)。

人によっては苦手意識を持つことがあるようなので(実父です)、こちらもご注意ください。

人型の敵が少ないのは、鬼滅の刃より見やすい点かもしれませんが、最終的には破裂したり切り刻まれることが多いです。
(グロさに関してはどっこいどっこいでしょうか)


それぞれの形で今の時代にぴったりな作品
鬼滅の刃と呪術廻戦

この2つの作品を見た後、すぐに思いついたのが両者の比較記事でした。

どちらがいいとか悪いとか、そんなことは言いたくありません。
どっちもめちゃくちゃ面白いからです。

現在私は鬼滅の刃の遊郭編を見つつ、2週間ほど前に『呪術廻戦0』を見に劇場に足を運び、未だ両者の余韻に浸っている真っ只中です。


遊郭編の8話は話題に登っていましたが、確かにすごい動きっぷりでアニメーターの方の体調が心底心配なるほどでした(頼むからちゃんと寝てくださいね!! でもありがとうございます!!)

ちび禰󠄀豆子ちゃんは相変わらずかわいいし、善逸も面白かわいいです。

炭治郎は始終カッコよかったですね!
宇髄天元の「派手に〜しようか!!」という喝も気持ちがいい!!

毎度ながら、鬼の能力や戦い方なども、奇想天外で見ていて全く飽きが来ません。
噂の「鬼いちゃん」は演技が凄すぎて、家族で思わず笑ってしまいました。
時々真似したくなります。

エンディングのAimerの歌声に合わせて美しい反物が空を泳ぐ映像は本当に美しいですし……。


『呪術廻戦0』は最初は「主人公の乙骨、ほぼエヴァの碇シンジじゃん」と予告で思っていたのですが、あっという間に魅力に引き込まれました。

友達が「King Gnuの主題歌とエンディングが合いすぎてやばい」と言っていた意味がよくわかりました。

五条悟の本気の戦闘シーンには痺れまくりですし、噂の夏油傑と乙骨憂太の戦闘シーンは大興奮で瞬きするのも惜しいほどでした。

乙骨憂太とリカちゃんが好きすぎて、最近TikTokのモノマネさんの荒野行動動画から手が離れません笑

ところでなぜリカちゃん(怨霊状態)のグッズってこんなに少ないんでしょう……ただいま粘土で作るかどうか検討中です。


というわけで、特に毒にも薬にもならないオタクの一人語りですが、楽しんでいただけたでしょうか?

私はとっても楽しかったです!!

これからも鬼滅の刃、呪術廻戦、そしてあらゆるアニメを心から楽しんでいきたいと思います。


エイでした!!


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