マスクをつけるのは、感染予防だけが理由じゃないと思うんです
先日、テレビのワイドショーで、マスク信仰に疑問を抱いている有名人と、餃子店のなりすましYouTuberの話が話題に上っていました。
マスクを着けないと入店できないお店と、マスクをしない主義とのぶつかり合いです。
この「マスク信仰」に警鐘を鳴らすこの有名人さんは、
「マスクのつける、つけないは自由だ」との考えの持ち主です。
確かにそうなのだけど、何かひっかかるものがありました。
それはきっと、「マスクをつける」ことに対する意味が変わってきたからではないかと思うのです。
それぞれの立場に立って、考えてみました。
マスク信仰について言われる、今日この頃
「マスクをつけていれば(コロナに)感染しない」
「マスクをつけていない人は非常識」
「マスクをつけないのは危険な行動だ」
いわゆるマスク信仰、と揶揄されることもある、このような考え方。
この他、感染拡大防止のために、政府からマスクが配られたこともありました。
先ほどのニュースの例と同じように、マスクの着用が入店条件になるお店も増えてきています。
マスクを重要視する風潮は、確かに強まっていると言えるでしょう。
「マスク信仰」が嫌な人の気持ち
感染予防対策の一つとして、マスクが重要視されているのは確かです。
だからといって、「マスクが完璧に感染を防げる」かといえば、そんなこともありません。
マスクをしていても、隙間から飛沫は漏れます。
手で顔を触った結果感染する、接触感染の危険もぬぐえません。
「それなのに、どうしてマスクだけつけなくちゃいけないんだ」
信仰、と揶揄し、反発したくなる気持ちも、なるほど、わからなくはありません。
何より、マスクをしていると顔が見えない、喋りづらい、息苦しい、などデメリットの方が多いくらいです。
マスクをつけない自由が、なぜ認められないんだ!!
「マスク信仰を咎めるのが、どうしていけないのか」
「マスクをつけるかどうかは個人の自由だ」
マスクが重要視されることに反発するように、このような主張がテレビやネットでも頻繁に見かけられるようになりました。
「マスクをつけるのは自由、つけないのも自由」
たしかにそうです。
それでもマスクをつけさせたがるのは、なぜでしょう。
マスクを付けてほしいと思うのは、なぜでしょう。
こんなに不完全な感染予防対策なのに?
息苦しいししゃべりづらい、邪魔な存在なのに?
お店側が、来店する時にマスクをしてほしい、と願う理由は?
マスクをしない人を批判する人の気持ちは?
マスクの感染予防能力を過信しているから、ではありません。
マスクをしている=協力者としての意思表示
マスクの着用には、こんな意味合いもあるのではないでしょうか。
「感染予防をしています」
「感染予防に協力します」
マスクをつけることで、「自分はコロナ感染について知っている、予防対策をするつもりの人間である」ということを、意思表示することができます。
もちろん、マスクをつけていなくても、感染予防に気をつけている人はいらっしゃるでしょう。
しかし、外から見た限りではわかりません。
「感染はしていない」
「手洗い、消毒はしてる」
という主張を持っていても、見た目では意思表示ができないのです。
マスクをしていない状態=剥き出しの拳銃?
「別に意思表示なんかしなくていい」
「なんで他人のために、意思表示をかかげなきゃいけないんだ」
他人のため、他人のため、という言葉ほど、身勝手で押し付けがましい、窮屈な言葉はありません。
「たかがマスクをしない程度で…」
そうです、ただの布一枚です。
しかし、そんな「布一枚」をつけない状態は、人間を「剥き出しの拳銃」と同じ状態にします。
それくらい、不安定で怖いもの、ということです。
例えるなら、こんなところでしょうか
マスクぐらいしてほしい
=拳銃なんて持ち歩かないでほしい
「自分は感染者じゃないから、ウイルスは持っていない」
「くしゃみも咳もしないし、するとしても、手でおさえる」
「だから自由にマスクをつけなくてもいいじゃないか」
この主張を大袈裟に例えるなら、拳銃を見せびらかしながらこう言うようなものです。
「銃はモデルガンだし、弾は入ってない」
「引き金は引かないし、発砲するときは地面に向かって打つ」
「だから自由に銃を持ち歩いたっていいじゃないか」
周囲の人たちは、こんな不安を抱くでしょう。
もしかしたら銃は本物で、弾が入っているかもしれない。
(マスクをしていない感染者で、ウイルスを保持しているかもしれない)
突然こっちに向かって発砲するかもしれない。
(突然こちらに向かって、くしゃみや咳をするかもしれない)
なんで拳銃なんて持ち歩いてるんだろう。
(どうしてマスクぐらいつけないのだろう)
マスクをしてほしい、と願う人の恐怖は、こうしたものではないでしょうか。
マスクをつけてほしい理由は、協力してほしいから
お店などでマスクの着用をお願いするのは、こうした不安を少しでも和らげたいためでしょう。
マスクをしている人だけがいるお店、これはお店自体が「感染症予防に協力している」ということを意思表示することができます。
訪れる客は、お店に意思表示を受けて、安心して買い物をすることができるのです。
これは感染予防というより、お互いに協力関係にあることを示す、意思表示の確認です。
まとめ:「マスクをしても無駄だから」で、マスクをしない=マスクに付随する意思表示の価値が考えられてない
「どうしてマスクをしないといけないのか」
最初は、感染予防が理由でした。
しかし、現在はそれ以上に、意思表示としてマスクをつける、という価値が付随されています。
「マスクをしても、感染は防げない、だからつけない」ということに違和感があったのは、この意思表示についての言及がなかったからでしょう。
逆に言えば、どうしてもマスクをつけられない場合は、「感染対策に協力している」と示せる別の形での意思表示があればいいわけです。
それが、フェイスガードであり、リモート収録であり、ソーシャルディスタンスなのではないでしょうか。
「感染予防に役に立たない、だからマスクをつけない」
本当にそれでいいのか。
今一度、考えてみませんか。
あとがき
え? 私ですか?
私は他人に怒られるのがすごく苦手なので、余計な火種を作らないためにマスクをしています。
だけど、暑い季節は流石に辛くて、くらっとめまいがしたこともありました。
誰ともすれ違わない場所では、少しマスクを外したり、ズラしたりして、休憩をとるように心がけています。
人の少ない場所に行く時は、普通のマスクより薄めの生地を使った「世間体マスク」を使うことも。
これなら、涼しいし呼吸もしやすい、そして、周りの人から見ればマスクをしているように見える。
なかなか便利なアイテムです(性能は低いですが、一応飛沫も止められます)。
もちろん、人混みの中に飛び込む必要があるときは、ちゃんとしたマスクをつけますよ!
感染予防以上に、風邪やインフルエンザが怖いですし……。
あと、マスクつけてると、表情がわかりにくいから、電車の中で漫画を読んで吹き出してもごまかしやすいんですよね。
今回使った画像:
reenablackによるPixabayからの画像
Bruno /GermanyによるPixabayからの画像
PDPicsによるPixabayからの画像
jacqueline macouによるPixabayからの画像
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Henning WesterkampによるPixabayからの画像
miiyaによるPixabayからの画像
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