ボトルワイン 【ショートショート/#あと100日で新型Cは終わります】
いい加減なこと言って。
疫病なんて100日で終わるから来年には海外の教会で式を挙げようよなんて。
バカみたい。
100日経つ前にウイルスよりあの約束の方が先に消滅しちゃったじゃない。
世の中、憎たらしいものはなかなか消えないのに、大切に思っているものは本当に儚い。
それならしおらしくなんかしないで、悪態ついたら少しは丈夫に育てられたのかしら?
「とりあえず納得」
ユリは冷蔵庫にワインが残ってなかったか探しにいく。
時間というものは時に残酷であるが時に優しくもある。
あれから100日経ったその夜、ユリの隣にはその後巡りあった優しい彼がいる。
疫病の方はまだ絶滅させるまでに至っていないが、この頃にはかなりのレベルまでコントロールできていて、一時のことを思えば相当の自由度で外出行動が許されていた。
この二人も行きつけのレストランの今夜はバーカウンターを利用し、少し張り込んだボトルワインを中心にしていろいろ語り合っていた。
はしゃがない男であった。
肌触りのよい言葉を次々繰り出すタイプの男ではなく、どちらかと言うと口数の少ない男。
おそらく世間では「つまらない」方に分類される男であろう。
前の彼は話している時は心地よくても、だまった時に本心が判らなくて苦しかった。
「でもこの人は」
横顔をちらりと見る。
だまって横にいるだけでほっこり温かい気持ちがする。
ただ心配なことが二つだけ。
一つは、いったいこの人のどこからプロポーズの言葉が出てくるのだろうかということ。
もう一つは、よしんば言ってもらっても自分はその言葉を信じることができるのだろうかということ。
道のりはなお遠いなあ。。
ユリは「遠いなあ」のところでワイングラスをぐるぐる回した後、
酔いが少し回り始めた勢いを借りて、
ねえ、いつになったらこの疫病なくなっちゃうのかなあ。
え、唐突になんだよ?
いやなんでもない。
ユリさんはどのくらいだと思うの?
ユリはうーんと言った後、
とりあえず、、100日、かな。。
と彼の表情を見る。
100日、かあ。。
と言いながら彼は上半身をカウンターに突っ伏した。
その形があまりに面白かったのでユリは吹き出しながら、
え、どうしてどうして?
いや実はこないだちょうどこのシチュエーションの夢を見てね。
同じ質問をしたの。
その夢の中でユリさんは、、
え、私なんて言ってたの?
わからない、て、
そりゃそうだよな。
ところが問題は次なんだ。
「あと何日なんて私たちには関係ないわ」
と言うんだ。
え、なに言ってんだ、と返すと、あったとして私たちの何が変わるのよ、と真正面からじっと僕の目を見据えて言うんだな。
そこで夢から覚めてね。
しばらく、そのやり取りを考えたんだよ。
夢の中の支離滅裂なユリさん。
でも考えたら確かにそうだ。
状況によって僕たちは何も変わることがない。
これこそが真の平穏というものだ。
ユリさんなかなかいいこというじゃないか。
夢の中だけど。
ユリは涙目になっていた。今日酔っちゃったかもね。
それに比べてこのユリさんの現実的なこと。
まあ、100日でもいいわ。
一生の中では小さい誤差だ。好きにしろ。
と、彼は優しい目をして笑った。
そしてユリの方を向いて座り直し、
これからも末永くよろしくお願いします。
と会釈し、ユリの手を両手で取った。
今なにが起きているのか認識できないまま必死に目を凝らし焦点を合わそうとするユリの目に指輪が滲んで見えた。
パチパチパチパチ、、
まずカウンターの中の店主が、続いて回りのお客さんたちが拍手を送る。
広がる拍手の輪は小さなこの店の隙間から通りにもれた。
ちょうど通りがかったネコがその音を聞いてミャーと鳴いた。