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青空 【短編小説/#あと100日で新型Cは終わります】

敦夫は雑居ビルの長い通路を通り、その脇のそれぞれの机で黙ってうつむいている占い師たちに全く興味がないオーラを振り撒きながら足を進めた。
母から渡されたメモ、併せて聞いた話を頼りに前へ前へと突き進む。
勇気があるというより、これほど占い師に囲まれたことがなく、自分の人生を一瞬に見透かされるのでないかいうむず痒さから早足で進むしかなかったのである。
当事者の母にしてもなにしろ30数年前の話である。その情報はなかなかにムードのある霞み具合であった。
「西本先生のお部屋はこちらですか?」
近くにいたやはり占い師の一人と見える眉毛の太い若い男に尋ねると、その戸を開けるように言う。
控えめにノックをしてから戸を開けると部屋とは言い難い狭い空間にやはり机があった。
敦夫はすぐ目の前にいる老齢の小柄な男に自分の名前を告げてから、
「あの、、西本先生でしょうか?」
「はい、西本です。予約は頂戴しておりましたか」とノートを開きながら「ああ、失礼。いただいてますね」
敦夫は深々と礼をしたあと、東南アジアの屋台にありそうな簡易な椅子に掛けた。
「私の母が30年以上前に当時大病をした自分の息子の、あ、私のことですが、将来を案じいろいろ伝手を頼って西本先生に辿りつき、私の運勢の回りを見てもらいました。
先生はもうお忘れとは存じますが、その時の母は大変元気づけられまして、いつもその時の話を私にいたします」
敦夫は咳払いを一つして、私は、と続ける。
「西本先生のその時のお示しの通りになんとか母に大きな心配を掛けることなくその後の人生を歩むことができています。私にしたら順調すぎるくらいです。先生のお蔭にほかなりません。母を元気づけていただきまして本当に有難うございました」
敦夫はそこまで言ったあと少し緊張が解けて西本の顔を見た。
占い師のイメージから自由勝手に想像する謎めいた感じはなく、フランス文学の教授だと言われたらそちらの方を信じそうな雰囲気だった。
「こういうところが初めてでしたら狭いところで驚いたでしょう。でも仕切りは欲しかったんですよ。相談者さんが大切なお話をするのに仕切りがないのも何でしょう」
最初は一人でこのビルで開業したがなぜか他の占い師もここに集まってきたという。集まった方が「客が取れる」からだという。
それを言うならこっちだって集まってくるなら占い師なんかじゃなくてお客さんだけでいいのにね、と冗談を言う。
「あなたのお母様のお姿は残念ながら覚えていませんが、お子さんのことを気にされてここに来られた情景というものははっきり目に浮かびますねえ」と目尻に皺を作る。
「実は今日はお礼に加えてどうしても西本先生にお聞きしたいことがありまして、、あの、ご気分を悪くなさるかも知れませんが」
西本は急かすでもなく眼尻にまた皺を作って敦夫の目を見つめた。

この新型疫病がいつ終息するかを先生に占っていただきたいのです。

西本は真正面から丁寧に向き合うように、うん、と頷いたあと。
「ひとつは、大きすぎて占えないのです」
「大きすぎる?」
西本はまた頷いて続ける。
「この稼業は母から継ぎました。言ってしまえば占い業界は開業するのに免許は必要ないので誰でも店を出していいわけですが、とにかく当てて評判を上げなきゃならない人気稼業です。母には感謝せねばなりません。今の言葉で「データベース」と言うのですかな。占星術をベースに集約された先人たちの「宿命の情報」を、現実的ないわば「モノの道理」に落とし込んだ母独自の統計学のデータなのですよ。母が家で趣味で始めた当初からこれが基礎になっていてあまり変わっていません。
ああ失礼しました。前置きが長かったですね。つまり、ベースが占星術なものですからこの世に生まれた瞬間の星の座標が必要なのですよ」
「はあ、、」
「解りやすく申しますとこの疫病ウイルスの生年月日が必要なのです。まあ、ばらばらの個体にしようが束にしようが、あなたにも私にも判りませんわな」
判らない、のところ両手でゼスチャーを入れた。
「ウイルスでなく、人類はどうなる、のアプローチで占うにしても同じことです。誰それ何某氏が生まれた瞬間からどんな道程を辿るかを見ることしかできない仕組みになっているので、人類全体、という漠然とした読み込みが苦手なのですな」
ここまで占い師が占えない理由を明確に説明するとは思わなかったので却って親近感がわいた。
「実は私、昨年事業を起ち上げたばかりなのですが、なにしろ海外往復をテーマにした種類の事業でして、この疫病の影響をまともに受けているのです。この憎き疫病の終末期をどうしても知りたくて。。」
「それはそれは。。あなたは相当お母様に心配をかけたお坊ちゃまだ。今度はあなたがお母様をご安心させないといかんですな」
「はあ、なにしろ母は当社の「最大株主」でもありまして。。」と言って敦夫は頭をかく。
「どうでしょうかな、あなたとあなたの御事業についてなら、なんらかのお導きは引き出せるかと思いますがどうなさいますか?」
「いえ、それは。。」
見る勇気がありません。それほどあなたの占いは当たります。
西本はそれが聞こえたかのようなタイミングで分厚い占いの書をパタンという音をさせながら閉じ、
「では、占い師としての私ではなく、少しだけおじいちゃんの世間話にお付き合いいただけませんかな」
もちろんお代はとりませんから、と笑ってから、
西本がこの疫病不安以来、疫病に加え一種社会病をも憂いているという。
「新しい生活様式、というのですかな、これはよく理解できる。その次に現れる現象。その知識や思考を展開した集団行動、社会現象というのですか。それも解ります。
ただし、人間というのは時々歯止めが利かない時がある。
怖がりすぎる。危機管理しすぎる。その次のステップくらいですかな。ずるずる行き過ぎて歪が現われてくるのは」
その一つとして「切り捨ての容認」を挙げた。
人と「関わることができない」環境に晒され続けることで、やがて、人と「関わらなくても済む」ように順応していく。
「関わらなくても済む」ために、最低限必要な相手と最低限必要な情報だけで繋がるよう知恵を使う。
起点が「関われるなら関わったほうがいい」であったはずだが、すでに「関わらなくて済む」になってしまっている。
「あの、なんて言いましたかねえ。絵の一部がはっきり変化しているのに全く気がつかないという、、」
「アハ体験ですね」
「飲み会も茶話会も今や画面を見て皆さん上手に楽しんでいる。次にはどうなりますかな。ああ、直接会わなくてもこんなに楽しいのに、今までわざわざ会っていた、とならないか。
人間というのは行動で思考回路が変わる生き物なのです。対象が制度や習慣ならまだしも、うっかりすると弱者までまぜこぜに切り捨てられやしないかと心配するわけです」
話の辛さを中和するかのように少し笑いを浮かべたあと、
「あなたのお母様にその時の私がどんなお話をしたのか覚えていませんが、私が話した言葉により少なくともあなたのお母様は見えない不安を感じずに済んだのではないでしょうか。
それは占いの一つの効用と思っています。いや、むしろそちらの方が大切です。
それを思うと今の疫病にまつわる有様に触れては、ああこの先がきちんと見通せたらどんなにいいだろう、と占い師としての自分の能力の限界に歯がゆさを感じるわけですよ」
敦夫は小さいながらも自分で事業を起こした立場で世の中の他の商売に対して大変敏感になっている。
この新型疫病以来、情報であり制度でありその他何もかも入れ替わりの激しいこと。
無理やり新しい需要を作って人とカネを集めるような拙速な風景も目に余る。
逆にこれまでコツコツ地道に積み重ねてきたものを簡単に失う人もいる。
いったいこれらはすべて必然のことなのか。
そう言えばこないだ母も最近のニュースが何を言っているか日本語のはずなのに聞き取れないと言っていた。
西本は敦夫の目が泳ぎ始めたのを認め、それをまとめるように言った。
「100日でこの疫病が解決する」
そしてまた表情をくずして、
「と、そういう未来がきちんと見えたなら、見えづらくなっていた大切なものも迷う人にどのようにして再び見せてあげられるのか、と占い師というのはそういうふうに考えるものなのですよ」

30数年前、母はまさにこの椅子に掛けながら、希望を見出し、それをずっと生きがいに生きてきた。

「さあ、私のくだらない世間話はこのくらいにしましょう。どうかあなたは変わらずお母様をご大切に。。私は占い師をやってきて本当によかった」
敦夫は、はっと我に返るように椅子から立ち上がって最初に行ったより深々と頭を下げた。
「今日は有難うございました。また、若いころ心の弱った母を励ましていただいて本当に有難うございました」
ずっと長い間この言葉を伝えたかった。

それから一か月ほどが過ぎた。
敦夫はその後事業計画修正を行った。
肝心の滑り出しはどうかというと、ちょっと気取って言うなら今日の天気のような感じ。
少しは青空も見えてきた。
あと100日後にはもっともっと晴れ間が広がっているはずだ。
あの雑居ビルの中に入る。
長い通路にそれぞれの机でうつむいて座っている占い師たちを素通りしながら奥の特別な空間を目指した。
そこに一枚の張り紙があった。
それは西本の占い業の廃業とその狭い空間が空き室になった事を告知していた。
最初に来た時に部屋を教えてくれた眉毛の太い若い男が、立ち尽くす敦夫の姿を見て、西本が母親の面倒を見たいと言い故郷に帰ったことを伝えた。