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博士号取得決定

先日、博士論文の本審査がありました。

本当は学部時代の指導教官も審査委員会に加わってくださっていたのですが、審査直前に急逝されるという非常にショッキングな出来事がありました。受け止めきれていない中での審査でしたが、なんとかなってよかったです。

少なくともうちの大学での三谷先生の指導学生のうち、まだアカデミアに残っているのは私だけです。同門の学生は、何かしらのスラヴ語を使う仕事につけた人が多いとはいえ、研究からは離れていってしまいました。大学院の学費に困らないというのが、既に特権的な地位となっているように感じます。それにつけても、日本の学費の高さと奨学金のショボさよ...。

肝心の論文ですが、驚いたことに修正なしでの合格ということになりました。博士論文審査ってもうちょっとボロクソというか、あれ直せこれ直せみたいなのを山ほど言われるイメージがあったんですが、予備審査でもそこまでではなかったし(これの表記法はこうした方がいいみたいなのがあって数百箇所くらい修正したりしたけど、要するに手の運動くらいで済んだ)、本審査はもっと楽でした。望外の幸運でしたね。

結果的に一番心配したのは、予備論文提出から一年で審査が終わるのかでしたね。

とりあえず今後は中国の大学で日本語を教えながら論文を書いて、可能な限り早い昇進を目指す感じになると思います。しばらくはzoom以外の学会には出られそうもありませんが、元々社交が苦手(or 嫌い?)なのであんまり不便は感じないと思います。一番困るのは大学図書館が使えなくなることでしょうか。主要な雑誌論文はコピーしておかないと...。

私はポスドクも助教もすっ飛ばして専任講師になれましたが、これは中国人の連れの全面的な助力あってのことなので、私一人ではまず間違いなく無理だったと思います。色々な説明会や集団面接会みたいなのを紹介してもらったのですが、これは連れが現地の大学院生向けの情報をチェックしていてくれたおかげで、その後の面接も採用手続きも、連れがいなければ間違いなく超えられませんでした。その意味で、日本はダメだから海外の大学に就職しましょうとも安易には勧められません。

人文系の大学院に進むことそれ自体が破滅への特急券みたいなものだと思います。

とにもかくにも、私だけに限って言えばなんとかなりました。しかし、別の見方をすれば、これからは私の意見が生存者バイアスのかかったものになってしまう可能性があるということです。確かに私はなんとかなりました。しかし、私の周りには修士で何らかの理由で脱落してしまった人、博士で金銭的に苦しくなって途中でやめてしまった人、大学院に残っていても様々な理由で博士論文が書けない(書けなかった)人、博士号は取れたけれども10年以上非常勤のポストを点々としている人、そんな人たちが山ほどいます。常勤職につけた人を数えた方が圧倒的に早いです。同じ人物は二人いないので、大学院に進んだ人生と進まなかった人生を比較して厳密に大学院進学の効果を観察することはできません。しかし、私の体感でいえば、少なくとも大学院進学の効果がプラスであるとは口が裂けても言えません。

とはいえ、とりあえず今は私自身がどうにかなったことを喜びたいと思います。さらば、大学院!

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