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中国隔離生活体験記(2022/09/21-2022/10/02)

2022年9月21日水曜日に中国福建省に渡航でき、無事に新しい生活を始めることができた。記憶が新しいうちに、成田空港から隔離明けまでの体験を整理しておきたい。

9月21日水曜日の10:40頃に、京成スカイライナーで成田空港に到着した。PCR検査があったので、日曜日から日暮里のホテルに泊まっていた。ホテルサニーという、日暮里駅徒歩1分のホテルだった。立地的にはとても便利だった。スーツケースが2つあったのでスカイライナー車内に置き場所が確保できるか不安だったが、思ったよりも人が少なかったので問題なかった。

空港内は今まで見たことがないほど閑散としていた。

厦門航空は4階の北側にチェックインカウンターがあるが、15:00の便にもかかわらず、11時前の時点で既にカウンター3つ分くらい行列ができていた。Gで抗原検査、Fでチェックインという感じだったのだが、FとGの間だけでは並びきれなくてGの向こうまで行列がのびていた。だから一瞬別の航空会社の列かと思った。

まずGカウンターの端のところで前日夜に取得した健康コードを見せる。申請に使った陰性証明書までしっかり確認していた。その後横に移動して抗原検査(唾液をいれるやつ)をやり、終わったらチェックインの列にまた並ぶ。陰性がわかり次第チェックイン可能になる。チェックインから搭乗カウンターまではコロナ前と同様。搭乗の時に2回検温があった。

飛行機の機材はもちろんコロナ前と同じなのだが、スタッフさんたちは全員完全防備で、フライトアテンダントという感じでは全くなかった。機内食もかなり簡略化されており、座席にパン+αと水が置いてあっただけで、それ以外のサービスは一切なかった。

福州に到着すると、降機する前に"海关码"(税関用のQRコード)を準備しろと言われる。指示が全部中国語だったので、中国語がわからない人は周りを見ながらフィーリングでなんとかしていたようだ。わたしは海关码という単語だけは聞き取れたのでどうにかなった。

降機した後は、まず体温計測がある。ゲートをくぐるだけ。その次に海关码の読み取りをする場所があり、それが終わると確かもう一度体温計測があった。それをくぐると今度はPCR検査である。一人ずつ個室に案内されるのだが、全部中国語だった。あんまりよく分からなかったのだが、とりあえず"请坐"(座ってください)と"嘴巴"(口)だけは聞き取れたのでどうにかなった。名前を確認されて、椅子に座って、マスクを外して口から検体採取という感じである。

その後は入国審査なのだが、機内で配られた入国カードは中国人用のものだったらしく、外国人は備え付けの別のカードに記入し直すことになった。最終目的地の住所や、招聘人がいる場合には招聘人の住所と電話番号が必要になるので、あらかじめメモしておいた方がいい。わたしはMacからビザの時の申請書を引っ張り出す羽目になった。並ぶ場所は中国人と一緒の列だった。中国公民と書いてある列なんだが、外国人はこの時期ほぼ入国しないのでこれでどうにかなっているんだろう。実際わたしの便でも日本人は下手したら一桁とかだった。

入国審査は多分中国語以外でも対応してくれたんだろうと思うのだが、わたしの聞き間違いでなければ、まず最初に"您会说中文吗?"(中国語はできますか?)と聞かれる。わたしは聞き取りが苦手なので"不会,听力糟糕"(できません、聞き取りが下手です)と答えた。中国語で。改めて考え直すとコントか?結局なんか中国語の質問がちゃんと聞き取れたからどうにかなった。僕の場合は招聘人の確認と、就職先が大学だったので「学生ですか?先生ですか?」と聞かれた。

入国審査の後は預け入れ手荷物を回収するのだが、どの荷物もこれでもかというくらい消毒液でびしょ濡れになっていた。塩素のような匂いだった。段ボールなどはおそらく大変なことになるのでおすすめしない。その後は税関ということになっているのだが、手荷物を検査にかける以外は特に何も無かった。

税関を抜けても空港から出られるわけではなく、また並んで隔離先のホテルへ向かうバスを待つ。一本道になっているので迷うことは無い。係員は"护照提前打开!"(パスポートは事前に開いておいて)と繰り返している。

バス待ちの列

パスポートをバス乗り場の手前の係員に見せると、何やら手続きがあった後に、バスに乗るように促される。バスは満員まで乗せるのでマスクはしっかりつけておくこと。僕は税関のところであった日本人と、あと前日のPCR検査の時に声をかけてきたおばちゃんと偶然再会して3人でずっとくっちゃべっていた。正直心細かったので助かった。ただ、感染予防という観点から見るとおすすめしない。

バスで夜中の道を30分くらい走る。行先は誰も知らされていない。中国の高速道路は夜は真っ暗なので怖い。追い抜き、割り込みは日常茶飯事なので急ブレーキがかかることもある。つい先日中国で隔離の人たちを載せたバスが事故にあったというニュースもあった。まあだいたい大丈夫なので祈るしかない。

ホテルに到着すると、まずはやはり並んで順番にチェックインする。パスポートを見せればあとはやってもらえる。日程表みたいなのをこの時にもらう。チェックインが終わるとその日の夕飯を渡され、部屋に通される。あとはその部屋で最低7日間隔離。今のところ隔離は7+3なのだが、希望者は+3も同じホテルに滞在できる。わたしは大学の宿舎に来るように勧められたので7日でホテルを出た。

わたしが泊まったホテルは海峡青年交流营地というところで、可もなく不可もなくという感じであった。私は一回中国に来たことがあったので、そんなに不便には感じなかった。もちろんPCR検査と体温計側とご飯を取る時とゴミを出す時以外はドアを開けることはできないのだが、元々出不精なので特に気にすることはなかった。ただし、七日間掃除が入らず、また、ゴミ袋の数が限られているという都合上、ゴミを頻繁に捨てるということができない。おそらくは一年以上にわたるその積み重ねの結果として、ゴキブリが最低でも4匹生息していることを確認した。これは私の運が悪かっただけかもしれない。

隔離のホテル
窓からの景色

ご飯は8時、12時、18時で、体温計測は毎日10時と16時、PCR検査は1、2、3、5、7日目の16時に来る。PCRは"你好~做(?)核酸~"、体温は"你好~测体温~"と言われる。中国語では做核酸と言うはずなのだが、何度聞いても做ではなく"打"か何か別の動詞のように聞こえた。よく分からない。

2日目くらいに、同じ便の乗客に陽性者が出たことを伝えられビビる。無事に隔離を終えられるようにとにかく祈った。

ご飯は毎食海鮮系、肉、野菜が全て入っており、とてもじゃないが全部は食べきれない。隔離で部屋の外で運動ができないという状況を考えると、全部食べるのはむしろよろしくないと思った。わたしは比較的食べやすかった朝ごはん以外、半分以上残してしまった。

朝食
昼食
夕食


隔離中は毎日授業準備をして過ごした。それ以外はモンハンくらいしかしていない。生来の出不精故に、ゴキブリが出たことを除けば不満は無かった。

そうして7日間の隔離が過ぎて、9/29に勤め先の大学の宿舎に移送された。行程表によれば14:30頃とのことだったのだが、10時過ぎくらいにいきなりフロントから電話がかかってきて、車が来たから1階まで下りるようにと言われた。スーツケースは片付けてあったのだが、リュックサックの方は昼飯を食べたら準備すればいいかと考えていたので、大慌てで荷物の片付けをすることになった。そのせいでスリッパをホテルに忘れてきてしまった。文字通り追い出されるような感じだった。

慌ててホテルの外に出ると、チェックアウト列ができていた。ここではサインをするだけでよかった。前日の5回目のPCR検査の陰性証明書をもらい、1人ずつタクシーに乗せられる。タクシーといっても普通のタクシーではなく、感染対策ばっちりの隔離者輸送専用車である。

その車で直接目的地まで移送されるのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。タクシーの運転手の中国語が癖がありすぎて全く聞き取れず、どこに向かっているのかもわからないまま1時間ほど高速道路を走っていた。ちなみにこのタクシー、後部座席と運転席の間がほとんど密閉みたいな感じで閉ざされているため、冷房の風が全く来ず、暑くて死ぬかと思った。突然の出発だったのでろくに水も飲んでいなかった。

位置情報を確認してみると、どうやら空港の方に向かっているようだった。最終的に到着したのは空港の近くのよく分からない場所で、ここでまた別の車に乗り換えて目的地が近い人と一緒に移送されるらしい。10分ほど待つと、迎えの車がやってきた。

その車に乗り込んで就職先の大学に向かった。向こうの事務の人には「もうすぐ着くというタイミングで言ってくれ」と言われたのだが、初めて行く場所なのでわからない。仕方ないので、位置情報を頼りに、大学から4キロくらい離れた公園を通過したタイミングで連絡した。

そろそろ大学が見えてきたというタイミングで、運転手さんが大学の人に電話をかけていた(事前に受け入れ先の電話番号を登録する必要があったのだが、ここで使うんだなと思った)。断片的にしか聞き取れなかったのだが、「今日新しい学生が来ることになってるでしょ?」みたいな話が聞こえたので、「先生(老师)だ」と訂正しておいた。

そうこうするうちに、大学の敷地内にある宿舎に到着した。出迎えてくれた人がいたのだが、結論から言えばその人は連絡をとっていた事務の人ではなく、管理人さん(楼管)だった。管理人さんに部屋に案内されたが、まだ掃除中だった。到着が予想外に早くなったので間に合わなかったらしい。掃除が終わるのを待っているうちに、事務の人も到着した。インターネットで購入した寝具の類を代理で受け取ってもらっていたので、それを受け取った。

掃除が終わると、いよいよ入居ということになった。これから3日間はこの部屋で隔離する事になるが、それが終わればようやく自由の身だ。隔離が7+3日に短縮されていたからよかったものの14+7日だった時期は本当に退屈で仕方なかっただろうなと思った。

近くの建物は学生寮

もともと出不精なので、3日間の隔離くらいはなんということは無かったが、初日はホテルを追い出されるように出てきたため、水をほとんど飲んでおらず、また部屋に飲料水もお湯を沸かすためのポットもなかったので、喉が渇いて大変だった。日が暮れる頃に事務の人が隔離中の物資を差し入れしてくれたため、何とか助かった。

もうひとつ困ったのは、エアコンのリモコンが見当たらないことだった。聞いてみると、50元をデポジットして管理人さんから受け取るというシステムらしい。すぐに持ってきてくれた。幸いなことに、50元札は一枚持っていた。福建は9月末でも余裕で37度とかなので、エアコンがないと結構しんどかった。ただし、風があるので日本の37度よりははるかにましだった。

3日間はすぐに過ぎた。2日目の午後にPCR検査の人が来て、その翌朝に晴れて自由の身となった。


今回の渡航に当たって痛感したのは、今の中国は基本的に外国人が来ることを想定していないということである。日本人はパスポート上での名前がローマ字になっているので、漢字前提の欄に名前がのりきらないとか、そういうトラブルはざらに起こる。

今の中国(少なくとも私のまわり)では現金決済がほとんど行われておらず、QRコード決済が必須な場面がとても多いのだが、中国に在住経験があるとかでもない限り中国の銀行口座なんて持っているわけが無いので、渡航前に支付宝や微信支付を利用出来るようにする手段がない。だから、現地の協力者はどう考えても必須である。

隔離のホテルはQRコード決済が必要だったし、PCR検査を受けに行くには微信支付が必要だし、近所のスーパーは釣り銭がないから現金を受け取ってくれないし…ととにかく銀行口座を作るまではトラブル続きだった。作った後もトラブルばっかりだけど。

わたしの場合は幸運なことに、就職先が日本語学科で、日本語のわかる人と国際教育センターの人が非公式にチームのようなものを結成して事務手続き等に協力してくれている。銀行口座を作りに行く時も、やはり外国人を想定していないせいかトラブルがあったが、銀行員さんが4人がかりで対応にあたってくれたし、困ったら連絡して欲しいと微信も交換してくれた。市街地の交通マナーが悪い(歩道をスクーターが普通に走行している)とか問題点がないわけではないが、概してこちらの人は親切にしてくれる。運がいいのかもしれない。

これ以外にも、官僚主義の洗礼を受けたり、いきなり准教授になってしまったり、書けることは色々あるが、とりあえず隔離期間中のことは書けたので、残りは次の機会に書くことにする。とにかく、中国渡航、マジで大変だった。





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