生きてることが辛いなら
生きてることが辛いなら
いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが
三日と経てば元通り
気が付きゃみんな年取って
同じとこに行くのだから
生きてることが辛いなら
わめき散らして泣けばいい
その内 夜は明けちゃって
疲れて眠りに就くだろう
夜に泣くのは赤ん坊
だけって決まりはないんだし
生きてることが辛いなら
悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の
お花みたいに咲くという
そっと伸ばした両の手で
摘み取るんじゃなく守るといい
何にもないとこから
何にもないとこへと
何にもなかったかのように
巡る生命だから
生きてることが辛いなら
嫌になるまで生きるがいい
歴史は小さなブランコで
宇宙は小さな水飲み場
生きてることが辛いなら
くたばる喜びとっておけ
~生きてることが 辛いなら~森山直太郎
幼き頃から、生きてることが辛かったわけである。
幼稚園や学校に馴染めず、
困っていたわけである。
いっそ死にたいと思えども、死ぬことは、生きることよりも、もっと恐く感じたわけである。
だから、ここまで生きてこられたわけである。
それゆえ、人生とか、命とか、死後の世界に人一倍、興味があったわけである。
人はなぜ、生きるのか。人はなぜ、死ぬのか。そもそも、人生とはどういう意味があるのか。
生きることが辛く、死ぬことが恐かったゆえに、そういった人生の本質について、学びたかったわけである。
しかし、両親や祖父母、学校の教師から、それらのことを、学ぶことができなかったわけである。
だから、仕事として、
ライフワークとして、自らの求めていたモノを追究してきたのである。
思えば、そのプロセスにおいて、
何度も大切な人や親を悲しませてきたわけである。
でも、時間が経てば、元どおりか、
いやそれ以上の良き関係になって
いるのである。
これは、小さな死を
何度も経験してきたということ
なのである。
生きてることが辛いから、
こんなに辛い理由を
知りたかったわけである。
辛い理由もわからずに、
ただ死ぬことは、とてももったいないと思ったわけである。
だから、家系の流れをたどり、
自らの根源をたどったのである。
そして、発見したのである。
自分のように、いや自分以上に
生きることが辛かった
ご先祖たちをである。
気づけば、かつての生きづらさも、
やわらいだわけである。
なぜならば、生きてることが
辛いという感覚を味わうため、
この家系に生まれ落ちたのだと
理解できたからである。
そして、ここから先は、
ご先祖が、見たくとも、
見ることができなかった。
そのような景色を見ることが
できるのだと確信したからである。
嫌になるまで生きたい。
そして、くたばる喜びを
とっておきたい。
今やっとこう思えているわけである。
「生きてることが辛かったから」
これが、我が人生の原点なのである。
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