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親という存在

自分の親を味方である。
そんなふうに思っているうちは、おぼつかない。

自分の親を敵である。そんなふうに思っているうちは、
もっとおぼつかない。

一方の親を敵とし、もう一方を味方とする。
そんなとらえかたをしていても、
おぼつかない。あやふやである。

親を加害者にして、自分を被害者としたり、
自分を加害者にして、親を被害者としたり。
そんなとらえかたは、不自由であり、これもまた
おぼつかない。

親は敵でも味方でもない。
そこからはじめるんだ。

大嫌いな親の姿は、自分の姿であり、
自分そのものである。

大好きな親の姿もまた、
また自分そのものである。

親という存在は、全知全能全生命力を懸けて、
自分という人間を教えてくれる。
まさに鏡である。

自らの人生を懸けて、大失敗を見せてくれる。
恥も外聞もない。着飾ることもせず、不器用で、
言葉も足りない。そんなありのままの人間を見せてくれる。

ありのままのそんな親をみて、
自分が、感じてきたことが、自分の生き筋となり、
人生の方向性を決めてきた。
今の自分の人生を創っている。

結局、親は、自分の礎であり、
羅針盤であり、土台であり、
自分そのものである。
まずはそこからはじめるんだ。

この両親しかなかった。
この両親を選んで生まれてきて良かった。

そのことに気づいた瞬間から、
自分の礎、土台は、磐石となる。
あとは、そこに、自分らしさを
積み重ねてゆくだけである。

いよいよ新しい自分、
本当の自分の人生がはじまる。
そんな感覚である。

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