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後世への最大遺物

内村鑑三は次のように語ったので
ある。

「人間が後世に遺すことのできる、
これは誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物がある。それは勇ましい高尚なる生涯である」と。

では、「高尚なる勇ましい生涯」とは何であるかというと、すなわち、この世の中はこれはけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、神が支配する世の中であるということを信ずることである。失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は、悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。と。
内村鑑三「後世への最大遺物」より

一見、悪魔が支配しているように見える世界が、本当は、神の支配する世界だと理解できるために、まずすべきことは、自らのご先祖の生きざま、その人生を深く理解することである。

なぜならば、ご先祖の人生は、自らの人生のよって立つ基盤だからである。

それゆえ、ご先祖の人生が、自らの
世界の基盤となるからである。

だから、父方、母方のご先祖の
人生を知らずに生きることは、
松明を持たずに、夜道を歩くような
ものである。

とてもおぼつかないのである。

だからまず、ご先祖の苦渋に
満ちた人生を知るのである。

茫然自失、絶体絶命の人生を
理解するのである。

そういった人生から、必死に命を
繋いできた。

自分のことはさておき、
我が子のために生きてきた。

そういったご先祖の生この功績に感謝を表明するのである。
手放しに称賛するのである。

そうやって、自らの命の源を
たどってゆくと、必然的に神の領域に
思いが至るのである。

ここに至り、自らの生きる世界は、
悪魔ではなく、神が支配する世界で
あると、本当の意味で理解できるの
である。

結局のところ、両親、祖父母、
ご先祖から注がれし数多の無償の愛に
気づいてしまったならば、家族間の
行き違いは、もうどうでも良いことになるのである。

だから、後世への最大遺物として、
「感謝と敬意で繋がれた家系」を
遺したいのである。

なぜならば、我が人生も、
子孫の人生も、この家系の上に
築かれるからである。

この家系の上に、家族や、仕事や
事業が、乗るのである。

だから、その大事な屋台骨である家系にゆがみがあるならば、それを正さねばならないのである。

そのために、ご先祖と同じ人生の
辛酸を舐め、艱難辛苦を味わい
尽くすのである。

そして、ご先祖と同じ喜びや感動も
また、自らの人生で、とことん味わい尽くすのである。

そうやって、ご先祖と人生を追体験することで、ご先祖の勇ましい高尚な
生涯に初めて心から、感謝と敬意を
表すことができるのである。

それが、結果的に、「家族と家系を
整えること」になるのである。

それが、我が子孫にとって、
最大の遺物を遺すこととなるので
ある。

そして、このような生き方こそ、
自分にとっての、「勇ましい高尚な
生涯」と考えるわけである。

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