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風が吹けば桶屋が儲かる

「たとえばうちの坊主は、今五つです。十五年たてば、二十歳になる。
もしそのときうちの坊主が兵隊にとられて、戦場へ狩り出されるとしたら、その大もとは、奥野川ダムの三十万キロワットの最大発電力が、軍需産業の発展を促したためということになる。

そのダムの建設に、おやじが片棒をかついでいたら、つまりおやじが、わが手で可愛い我が子を殺すために働いてやるようなものじゃないか」

「風が吹けば桶屋がもうかるというあの論理だな」と一人が言った。

~三島由紀夫「沈める滝より」~

「風が吹けば桶屋が儲かる」とは、何か事が起きると、巡り巡って思いがけない意外なところにも影響が出ることである。

この世界の常識や流れというモノに乗り、知らず知らずに悪に加担している。そのような自分に気づいてしまったわけである。

これまで、家族のために、そして、世のため人のためになるのだと、信じてやってきたこと。
そのすべてが悪の片棒を担いでいたと気づいた時の衝撃は、とても大きかったわけである。

だから、この社会の仕組みから、
外れて生きることを決めたわけで
ある。

いわゆる世捨人である。

なぜにこのような選択をするのか。
頑なで、不器用な 自らの生き方を
嘆いたわけである。

ただ、ひとり沈思黙考する中で、
自らの仕事の存在意義を吟味できた
わけである。

そして、どうして、この世の中が、
このように悪魔的であるのか。
この悪魔的な世の中を、どうやって
改善してゆくのか。

この一点だけを、
模索できたわけである。

やがて、「自分自身が悪魔的である」という結論に至ったわけである。

そして、「悪魔的な自分を変えれば、悪魔的な世界も変わる」ということに気づいたわけである。

そして、自らに与えられた愛を思い出すことで、悪魔的な自分から脱却できるという確信に至ったわけである。

すべては、三島由紀夫氏の気づいていたことに気づいてしまったことから
はじまったのである。

そして、三島由紀夫氏の求めたことを、自分なりのやり方で求めてきたということなのである。

あの時から、本来の自分の人生が、
はじまったということなのである。

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