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幸福のお守り

両親の顔も知らずに路地裏で
育ったクリスチーネは、水汲み、
洗濯、子守りなどをしながら、
人間の醜さばかりをみて暮らして
いた。そのような彼女が、
二十歳の頃、奉公した老軍人が
亡くなり、彼女は、お守りを
手渡されるのである。

「わたしなんかよりおまえさんに
ありがたい幸運をもたらしてくれるかもしれん」と手渡されたお守りなのである。

だから、このお守りが、不思議な力を発揮し、彼女を幸運に導くのではないかと期待してしまったのである。

しかし、その期待は、ことごとく
裏切られるのである。
クリスチーネには、さらなる不幸が
待っていたのである。

そして、ついに、彼女は狂乱し、
悲劇的な事件を引き起こすのである。

ここに至り、お守りの効力は、
皆無だったように思えたのである。

しかし、最終場面において、生き別れていた内縁の夫に言われるのである。

「おまえが罪の償いを終えたら、
結婚しよう」と。

彼女にとって、生まれて初めて、
優しい言葉をかけられ、誰かに
許された瞬間だったのである。

そこで、彼女に死が訪れたので
ある。

「いよいよこれからという時に、
身も蓋もない。こんな人生は嫌だ」

そう思ったわけである。

しかし、これがクリスチーネという
人間のありのままの人生なのである。

そこに良し悪しはないのである。

「お守り」の作者ヴァッサーマンは、作品の冒頭で次のように述べている。

「不思議なことだ。油が切れれば、
ランプの炎は消えてしまうが、
人生は、決してそうではない。
歓びもなく、憩いもなし。素敵なこともなければ、明日への希望もない。
そんな人生でも、人は生き続けるのだ」と。

夢があるから、希望があるから、
生きるのではないのである。

夢もなく、希望もなく、絶望の連続でも、生き続けねばならぬ。
これが、人生なのである。

クリスチーネは、人間の醜さを
これでもかというくらい、みて、
育ってきたわけである。

しかし、自らの醜さを見ることは
しなかったのである。

なぜならば、本当の意味で、人を愛するということをできなかったからで
ある。

しかし、内縁の夫や、我が子への愛情が、湧いてきた瞬間から、自らの醜さに対峙する人生がはじまったので
ある。

内面に潜んでいた怪物が暴れだし、
自らの醜さをさらけ出す人生に
変わっていったのである。

そうやって罪人となり、初めて、
自らの醜さを許し、受け入れることができたわけである。

もっといえば、そこまで行かないと、無償の愛に気づくことができなかった。

これが、クリスチーネという人間の
人生なのである。

なるほど、お守りの効果については、現世利益的な点からは皆無であったといえるわけである。

しかし、幸福の獲得という点に
おいては、お守りのもたらした
効果は、大きかったと考えるので
ある。

愛を知らなかったクリスチーネにとっては、まさしく、「幸福のお守り」
だったわけである。

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