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命の教育

父方の曾祖父は、八歳の時に、
川で溺れ、ひとり川底に沈んだと
いう。

偶然通りかかった人が、川面に
浮かぶ水疱をみて、「もしや」と
思ったのである。

瞬時に川に入り、溺死寸前の
曾祖父を救出し、幼き命を
取り留めたという。

吉田松陰は、出獄できないと
言われていた野山獄に入り、
日々学問に打ち込んだわけである。

その姿をみて、他の囚人が、
こう言ったのである。

「二度と世の中に出られないのに、
今さら学んで何の役に立つのか」と。

松陰は、答えた。

「物事を知って死ぬのと、知らないで死ぬのでは、何かが違う」と。

今あらためて思うわけである。

曾祖父の八歳のエピソードを
知って生きるのと、知らないで
生きるのでは、大きく違うと
いうことである。

曾祖父の強運に対してなのか。
それとも、救出してくれた
通行人の行為に対してなのか。

いったいどこに感謝すれば
良いのか、わからないのである。

何か理屈ではわからない。
不思議な力に支えられ、我が命は、
受け継がれてきたのである。

その事実を考えさせるエピソードの
ひとつなのである。

このような奇跡の先祖物語の
上に、これまた奇跡の自分物語が
乗っているわけである。

「知って生きるのと、知らないで
生きるのでは大きく違うこと」

これを学ぶことが、本当の意味での、「命の教育」と考えるわけである。

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