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明治期、阿波藍ギルド崩壊の意味 (1)

 2021年の大河ドラマの主人公だった渋沢栄一の実家が藍商でした。藍染め染料「すくも(藍玉)」の製作を家業にする家族のもとで幼少期を過ごされた様子が、ドラマで伝えられたのをご覧になった方も多いかと思います。
 東の経済界の巨人・渋沢栄一が藍商出身なら、西の経済界の父・五代友厚は沈殿藍工場を作り新たな藍産業の創出を試みた人。明治維新前後で大きく変貌した国内経済事情の要に立つ2人が、「藍」に因縁を持つというのは興味深いことだと思います。
 今回は、明治期の阿波藍ギルドの崩壊までにどのような流れがあったのか、五代友厚の沈殿藍産業創出の試みとその失敗を通じて俯瞰してみようと思います。


最強藍染め染料ギルド終焉の始まり

 藍染め染料の蒅(すくも)を商品として完成させ、品物と金融の流通の仕組みを構築し、最適な売り場の「藍大市」を地元で開催できるようにして、着実に商売の道を固めた阿波藍の関係者たち。この道のりは一朝一夕では整わず、地域一丸となり100年かけての大事業でした。
 その流れについては以前に記事にいたしましたので、ご覧ください。

 徳島藩と深く結びつきを持った大藍師は、名字・帯刀を許されるほど地域の重要な経済構成要員となります。主だった都市の政治・経済の要人とも関係を深くし、人・物・金融の流れを抜かりなくコントロールし続けました。大藍師の羽振の良さは歌舞伎の演目に取り沙汰されるほど広く認知され、藍染めが当たり前に暮らしに溢れる中で落語に染師がネタにされるほど親しまれる時代になっていました。

 常世の春と、藍業界の誰もが思っていたかもしれません。
 確かに、盤石となった経済基盤に何らの抜け目も見受けられないと思われました。ですがそれは、日本国内だけで政治・経済が回り続けるのであれば、という条件付きのものです。まだ日本の外を見たことのある人の方が圧倒的に少ない時代に、そこまで思い至れる人がほとんどいなかったことが、後の大混乱につながっていきます。

 藍業界の様相がすっかり変わる、始まりの動きはほんの小さなものでした。
 1858年に解散したイギリスの東インド会社の諸々を引き継いだのが、商社ジャーディン・マセソン。中国に大量にアヘンを輸入し、アヘン戦争のきっかけを作った商社として知られています。この商社の出先金融機関として機能していた銀行が横浜に開設されるところから、全てが静かに始まります。明治維新を迎える10年前の話です。1859年には長崎開港を受け、ジャーディン・マセソン商会が正式に参入。長崎の観光地「グラバー邸」で有名なグラバーさんは、このジャーディン・マセソンの出先スタッフとして着任しています。

 目利きの商売人であるグラバーは、薩摩藩などを相手に軍艦や武器の販売に精を出します。この時、薩摩藩の窓口となって商談に当たっていた数名のうちのひとりが、後に大阪の経済の父と伝えられるようになった五代友厚。
 2人は意気投合し、後に薩摩藩の精鋭を幕府に内密でイギリスに留学させる計画をともに企て、見事に成功させます(1865年)。この時、五代友厚自身も引率者として留学生とともにイギリスに渡りました。

 遠いイギリスの地で、五代友厚が目にした文明の利器の数々は、呑気に観光気分で驚いてばかりいられない焦りを彼に与えたようです。蒸気を上げ轟音とともに入り去る汽車、一日中織機の音が鳴り止まない大きな織物工場、その合間に目にしたのはインドから仕入れられたインド藍で大量に染められる生地の数々…のんびり構えていたら、日本は彼ら列強国にあっという間に飲み込まれると肝に銘じ続ける日々を送ったようです。

 ヨーロッパで彼が確信したのは、武力で国の攻防をはかる時代の終焉だったのではないでしょうか。圧倒的な経済力と圧倒的なスピードを持って、多くの国々が彼らに支配されることを、これから起こることの可能性として察知していたのではないかと考えます。
 彼が帰国後すぐに着手し1867年に郷里の薩摩に完成させたのは、日本初の紡績工場でした。翌年に明治元年を迎え、新政府の大阪外国事務参与に任命されますが、わずか1年勤めただけで自ら退任。質の良い貨幣を効率的に作るための金銀分析所を立ち上げ、銅山・銀山を次々と購入し、国内経済の均一化と効率化を図ろうと意欲的に活動しました。

 そんな中で、彼が情熱を注いだのが沈殿藍製造工場の設立と運営だったのです。
 紡績工場で糸を大量に作れるようになれば、今度はたくさんの生地を織る工場が必要で、その後にはたくさんの染色工場も必要になる。
 日本には優れた藍染め染料と染色技術があるのだから、イギリスのようにインド藍を買わずに自国で賄えるはずだし、さらに藍染料を海外への輸出品目として調整することも可能ではないか。
 大阪に朝陽館という沈殿藍を製造し販売するための工場を作り、自らの新事業の目玉としていた思惑の底には、強固な藍業界の結束力・経済力とタッグを組めば、必ず日本を代表する輸出品としての藍染料を作ることができるという期待があったのではないかと思います。

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