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聖地巡礼 伊豆半島

春分の日、伊豆半島行ってまいりました♪
私の研究対象である賀茂さんとのつながり、伊豆半島の成り立ちなど興味深いことを知ることができたので、書き記していきます。

伊豆半島の地理的環境

伊豆半島は、もともと島だったようです。島が地殻変動によって今の本州にぶつかったと。それによって生まれたのが、霊峰・富士だそうで。

伊豆半島って紀伊半島と形がそっくりですが、「もしかしたら紀伊半島も地殻変動で本州にくっついたのかもしれない…」なんて妄想。

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伊豆も、紀伊半島と同様、南には切り立った断崖絶壁が形成され、傾斜がきつく、くねくねした道が非常に多い!ただ、水はあまり豊富ではないらしく、「紀伊半島だったら、この道路脇は滝が流れている(た)だろうな…」と思う箇所が数多くありました。

伊豆に残っている賀茂氏の痕跡

しかも、黒潮の流れに乗っかって大和・賀茂氏がやってきたという記録が明確に記されていました。半島の東エリアには賀茂郡という地名があります。

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下田・白濱神社(伊古奈比咩命神社/いこなひめじんじゃ)社伝には、「三嶋神は南方から海を渡って伊豆に至った」という記述も。

「伊豆国を造ったと言われる三嶋神は、事代主である」なんていう記述も見られました。三嶋神とは、伊豆市・三嶋大社の祭神「三嶋大明神」のことですね。

三嶋大明神は、大山祇命と積羽八重事代主神、御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
【引用】三嶋大社公式HP

最初は山の神・大山祇命説が唱えられていたようですが、江戸時代の国学者・平田篤胤が事代主説を主張。それが多くの賛意を得たため、中庸をとって御二柱としたのではないでしょうか。

事代主といえば国譲りに関わった出雲神ですが、私はすぐに葛城・一言主神社を思い出しました。事代主は、葛城・一言主と同神です。律令制度によって整備される前の古代大和と出雲とのつながり…。私の深掘り衝動が再燃しますw。

しかも、「三嶋《大社》」ですからね。出雲・国津神系でしょう。

賀茂は、もともと大和・葛城の豪族。私の大好きな役行者さんは賀茂氏。役行者さんが大衆を扇動したとの罪で流刑されたのは伊豆大島ですね。役行者さんが先なのか?賀茂氏の集団が黒潮に乗ってやってきたのが先なのか?まだ調べてませんが、賀茂氏にとって、伊豆は非常に縁深い場所であるということは理解できます。

葛城氏は、藤原氏と持統天皇による律令制度で整備される以前から今の韓国周辺との交易を盛んに行えるほどの力を持っていた古代豪族。当時、国の通訳としての役割も担っていたとのことなので、航海技術も持っていたと思われます。

そんな葛城一族の一派である賀茂氏ですから、紀伊から伊豆に移動するのはそれほど難しいことではないでしょう。賀茂氏は、行者・山伏の血。八咫烏・忍者の祖とも言われてますから、山岳の移動も容易だったのではないでしょうか。

だからでしょうが、伊豆の神社を訪れてみると山岳信仰の痕跡がしっかり残っていました。静岡・三島市辺りを出発点とした「伊豆八十八遍路」なるものも整備されています。

今回、寺に足を運ぶことはできませんでしたが、その痕跡残る神社を数カ所参拝してきたので、次回は写真とともに紹介したいなと思います。

続く。

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