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神社好きな日本人は知らなきゃやばい!?伊雑宮神訴事件


中臣(藤原)氏の祖神・天児屋命さんシンクロが起こったため、色々調べていたのだけれども、ふと「菊池展明さんは、天児屋さんについて何か記書き残してはないだろうか?」と、「円空と瀬織津姫/白山の神との対話 下」を何となくパラパラめくってみた。

そしたら、「伊雑宮神訴(しんそ)事件と円空」の記事に釘付け。

いや、「『元伊勢』と呼ばれる神社がある」というのは知っていたが、伊勢にて島流し!?焚書!?ひいては暗殺まで!?読んで唖然呆然…。

「真実だからこそ抑え込む、隠す」のでは?

以下、事件の部分のみリライトしたので、読んでいただければと思う。さらに詳しく書かれたものに触れたい方は、ぜひとも菊池さんの書を手に取ってほしいところでありやす。

伊雑宮神訴(しんそ)事件

三重・伊雑宮(いざわのみや/いぞうぐう)と伊勢神宮との熾烈な争い。ことの発端は、1633年。鳥羽藩(志摩国)に没収されていた土地の返還と長く行われていなかった遷宮を、伊雑宮が江戸幕府に求めることから始まった。

この訴えは鳥羽藩に肩入れする幕府によって無視され続ける。これに業を煮やした伊雑宮神人さんたちが「伊雑宮と伊勢内外宮は同格である」と主張。その訴えを強化していく。

幕府は「伊勢内外宮とは別宮である」とした上で、翌年に内宮主導で遷宮を行うこととなったが、伊雑宮は内宮の下に位置付けられたことを不服とし、自社の古記録・縁起([伊雑宮旧記]等)に基づき、今度は朝廷へ上訴。

その主張は以下。

日神・天照大神を祀る本宮は伊雑宮のことである。伊勢内外宮は伊雑宮の分社(分家)。外宮は月神・月読を、内宮は星神・邇邇芸(ににぎ)を祀る。

これを内宮が黙認するはずなく、結果、伊雑宮の古記録・縁起は偽書と見なされ、主張も却下。伊雑宮は内宮の「別宮」であり、祭神は伊射波登美(いざわとみ)命とされる。

これでは収まらない伊雑宮サイドは江戸将軍(当時、家綱)に直訴するも却下され、1663年、伊雑宮の神人さんの約50名が追放処分(島流し)される事に。

が、しかし、その後も伊雑宮は訴え続ける。伊雑宮は伊勢神宮と再論争するにあたって、1676年に新たな史書「先代旧事本紀大成経」を刊行。当時の知識層の間で話題になった。

伊雑宮のかつての主張を裏付ける内容だったため、伊勢神宮も朝廷も容認するはずなく、「先代旧事本紀・大成経」は偽書の烙印を押され、版木は焼却、我が国初の発禁本と処分された。

それでもなお伊雑宮神人さんたちは諦めず、伊雑宮本宮論と土地回復を求め訴え続け、1682年には神人代表・大崎兵大夫(へいだゆう)が暗殺されるにまで至る。


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